
医療ガバナンス学会 (2025年12月16日 08:00)
JA尾道総合病院/田辺クリニック/合同会社MONSHIN
田邊 輝真
2025年12月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
東京23区には監察医制度があるが、全国的には例外だ。大阪は複数の監察医が調整し、要請があれば現場や警察留置場に向かう体制を整えている。ドイツでは死因究明は公衆衛生の領域、英国は司法と地域行政が要を担う。アメリカでは州ごとに異なるが、“社会として死を調べる”というコンセンサスが大枠として先にある。
一方、日本は医療機関が“できる範囲で”始めた歴史があり、死因究明が医療の内部に閉じたまま発展してきた。そのため責任と役割の線引きが曖昧になり、医療・警察・法医学のいずれにも負担が偏る。だが、私はこの問題を“制度批判”として書きたいわけではない。むしろ、人口減少社会を迎えている日本こそ、死因究明を「未来への投資」に変える可能性があると考えている。
最も深刻なのは労働人口の減少だが、私たち世代の死因データ、遺伝子情報、感染症、生活歴等々を体系的に蓄積すれば、未来の世代の健康リスクを減らせる。すなわち死因究明は、予防医療の母体となり得る。
私がコロナ禍で絶望の空気の中読み耽ったジャック・アタリの『命の経済』には、「生命の価値に投資せよ」とあった。亡くなった方から得られる知見を未来に生かすことは、まさに“命の経済”であり、国家にとってコスト(負債)どころか大きな資産となるだろう。
もちろん、各国それぞれに問題は抱えている。日本の制度にも歴史的文脈があり、悲観しても仕方がない。大切なのは「知ること」から始めることだ。議論のきっかけになれば、という願いだけで、私はこの原稿を書いた。
死因究明をめぐる複雑さを目の前にしたとき、私はいつも思い出す。
―― 亡くなった方も、
―― その周りの家族も、
―― 現場で働く警察官も、
―― 少ない人数で責任を背負う法医学者も、
みな、それぞれの立場で“誰かの人生に責任を持つ仕事”をしている。
だからこそ私は、これからも静かに粘り強く、「“納得できる”死因究明の形」を探していこうと思う。