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Vol.26008 現場からの医療改革推進協議会第二十回シンポジウム 最先端臨床研究開発-糖尿病根治のための膵島移植―

医療ガバナンス学会 (2026年1月15日 08:00)


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神戸大学大学院医学研究科 外科学
客員教授 松本慎一

2026年1月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

現場からの医療改革推進協議会の第二十回のシンポジウムで、久しぶりに講演の機会をいただきました。糖尿病の根治的治療である膵島移植のお話をしました。そのお話をMRICとして発信したいと思います。

―移植研究への道―
私は中学2年生の時に、父親をがんで亡くします。闘病生活の中で母親から「あなたのお父さんは、今の医学では治らない病気と言われている。でも、世界のどこかで治らない病気を治す研究をしている医者がいる。ある日突然、治療法が見つかるかもしれない。」とよく言われました。父親が亡くなった時に、「今の医学で治らない病気を治す研究をする医者になろう」と決意しました。 神戸大学医学部に入学し、学生時代に「移植医療は20世紀の医学的奇跡である。不治の病を治すことができる」と学び、移植の研究をしようと決断しました。

外科の専門医を習得後、外科学の大学院に進学し、膵臓移植の研究を始めました。
移植前の膵臓保存の研究がテーマでした。当時は、日本では臨床の膵臓移植が行われていなかったため、神戸大学で開発した膵臓保存法である二層法保存の臨床応用を行うべく、ミネソタ大学に留学しました。

―ミネソタ大学での研究―
ミネソタ大学は、世界で初めて膵臓移植と膵島移植が行われた大学です。サザランド教授に受け入れてもらえた時は、とても嬉しかったですが、留学直後英語の壁にぶつかりました。自分は、英語が話せないことに気が付いたのです。コミュニケーションが取れず困っていたところ、サザランド教授から臓器提出チームに参加するよう言われました。移植のための臓器摘出は通常夜中か週末に行われます。私は、昼夜週末を問わず、必死に臓器摘出に参加しました。すると、インド人のフェローから、神戸大学で開発した二層法膵臓保存の臨床応用をしようと言ってもらえました。みごと、臨床応用を行い、世界初の二層法膵臓保存の論文を発表することができました。物事必死に頑張れば何となることを学びました。

私が二層法で臓器摘出手術に明け暮れていいたころ、ドイツのギーセン大学からへリング先生が膵島移植の立ち上げのために、ミネソタ大学にリクルートされていました。へリング先生はドイツ人で厳格な方で、アメリカ人はいい加減に映ったようで、私に二人で膵島移植のラボを立ち上げようと声をかけてもらいました。そして、膵臓保存の知識を生かして、膵臓から膵島を分離する方法「ミネソタ膵島分離法」を開発することになりました。細胞を扱ったことも一切なかったですが、そこは、必死に頑張れば何とかなると膵島分離法の研究に没頭しました。

そのころ、カナダにあるアルバータ大学のシャピロ先生が、膵島移植を受けた7人の患者が、すべてインスリン注射不要になったという発表があり、膵島移植が脚光を浴びました。そして、当時のクリントン大統領の号令の下、北米で膵島移植の多施設共同治験が実施されました。ミネソタ大学も参加し、なんと、最も優れた結果を残しました。そのため、ミネソタ膵島分離法を用いた多施設第3相臨床治験を北米で行うことになりました。
その結果、米国の規制当局であるFDAが、膵島を生物製剤として承認することになりました。薬としての承認を得るには、相当な労力が必要なのですが、イリノイ大学のオーベルホルツアー教授が、CellTransという製薬企業を立ち上げ、ヒト膵島の承認を得ます。現在は、イリノイ大学でヒト膵島はLantidraTMとして提供されています。

―日本での膵島移植―
米国で膵島移植の研究を行っていた私に突然京都大学の当時の病院長である、田中紘一教授から、京大で膵島移植を行わないかと連絡がありました。天下の京都大学で生体肝移植の世界的権威である田中教授のもとで、膵島移植が行えることを非常に喜び、帰国を決めました。当然、日本には、米国のような膵島移植を行う環境は全くなく、文字通り0からの出発でした。まさに、様々な課題があったのですが、必死に頑張ればなんとかなると信じて、課題を解決していきました。
そして、2004年4月に日本での膵島移植1例目を実施することができました。京都大学は、生体ドナー肝移植で世界に名を馳せていたという背景があり、生体ドナー膵島移植を計画しました。失敗の許されない膵島分離は、高い技術が必要ですが、その当時の京大膵島チームであれば可能と考え、2005年1月に世界で初めての生体ドナー膵島移植に成功しました。この症例はLANCET誌に報告しました。この症例がきっかけで、世界の移植施設から声がかかるようになりました。

―再び米国へ―
生体膵島移植の論文がきっかけで、米国テキサスにある、ベイラー大学から、膵島移植研究所のディレクターのオファーが来ました。テキサスは、銃社会で脳死ドナーが多く出ることを知り、再び米国で膵島移植を行うことを決意しました。京都大学で培った膵島分離法をさらに洗練させ「ベイラー大学膵島分離法」を開発しました。当時は、ヒト膵島分離は技術的にむつかしいため、成功率はほとんどの施設で50%以下でした。しかしベイラー法は、90%以上の成功率を誇り、群を抜いていました。
当時ベイラー大学にはヒューマンイムノロジーつまり、ヒトの免疫学の大家である、Jacques Banchereau 教授が、抗炎症治療による自己免疫疾患の治療開発を手掛けていました。Banchereau教授との協議の上、膵島移植にもIL-1阻害剤であるアナキンラを使うことになりました。アナキンラを用いた膵島移植は、今まで2回の移植が必要であったエドモントンプロトコールに比べて1回の移植でインスリン注射から離脱できることができました。このベイラー法を使った膵島移植は、NIHから評価され研究資金としてグラントを獲得することができました。

―異種移植へ―
膨大な糖尿病患者さんに対応する治療として、ヒトドナーを必要とする同種膵島移植には限界があります。ヒトドナー以外のドナー候補として、ブタに注目しました。ブタを用いた異種膵島移植は、1990年代にスウェーデンのグループが同種腎臓移植後の患者さんに実施し、ブタ膵島がヒトでも生着することを示しています。その後、ニュージーランド、ロシア、アルゼンチン、メキシコ、中国で、ブタ膵島を用いた異種膵島移植が実施されてきました。

特に、アルゼンチンで行われた免疫隔離カプセルを用いたブタ膵島移植で、移植後10年の以上たって実施された患者アンケートの結果、移植後10年経てもHbA1cが移植前よりも低いこと、重症低血糖や入院を要する高血糖の数も移植前よりも少ないことがわかりました。また、免疫隔離カプセルで膵島を包埋すると免疫抑制剤を使用しなくてよいため、発がんは無く、重篤な合併症もほとんどありませんでした。さらに、移植医療でよくある精神的負荷を訴える方も皆無でした。免疫抑制剤を使わない膵島移植は、患者さんにとって内服薬もなく、膵島が補充されるだけなので、満足度が非常に高いことがわかりました。

日本でも、ドナー不足解消のための異種膵島移植を実施することを計画しています。なんといっても、医療用ブタを入手する必要があります。
衛生度の高いブタを生産している企業はあるのですが、医療用に使うことはハードルがあり、困難を極めました。そこで、神戸大学肝胆膵外科内に一般社団法人医療用ブタ開発機構を立ち上げ、ブタを生産している企業と、異種移植を行いたい臨床チームをつなぐことにしました。医療用ブタ開発機構を立ち上げることで、日本で異種膵島移植を行うための、ドナーブタのめどが立ちました。ドナーブタが確保できると、私の得意分野の膵島分離そして移植への道が拓けます。私の得意分野である膵島分離は、職人芸が必要とされます。

具体的には、膵臓と消化酵素を混ぜ、それをリコルディチャンバーと呼ばれる特殊な容器に入れ、1-2分ごとにサンプルを取り、顕微鏡で膵臓の消化状態を見ながら、両手を使って上下にリコルディチャンバーを振盪させます。膵臓を消化させすぎると過消化となり、分離された膵島が障害されますし、消化が足りないと未消化となり、膵島が分離されません。
この微妙な調整を職人芸から、ロボットを伝った一般技術にするためにAI膵島分離ロボットを開発中です。AIの開発には、相当な開発費用が掛かるために、現在、日本IDDMネットワークの協力のもと、ふるさと納税で資金集めをしています。以下のホームページからプロジェクトと素敵な返礼品が確認できます。
https://japan-iddm.net/
12月が締め切りのふるさと納税に、ぜひご活用ください。

―どMの会―
私は、日本で1例目の膵島移植を実施し、世界で初めての生体ドナー膵島移植成功を導きましたが、パイオニアは必ず叩かれます。パイオニアは必ず叩かれるという共通の経験を今からおよそ20年前に共有したのが、東京大学の大澤幸生教授です。大澤教授は、ちょうど私が膵島移植を日本に導入した20年前に、チャンス発見学という新しい情報処理の分野を立ち上げ、地震予測をはじめとする、様々な業績を上げられます。チャンス発見学という、前代未聞の学問の立ち上げには相当叩かれたようです。

私と大澤教授の共通点は、叩かれたことを糧にして、次は叩かれないようにと準備して進化し続けたことです。最後には、叩かれることによって自分が育ち、プロジェクトが成熟することに気が付きました。二人で「どMは世界を救う」と意気投合し、「どMの会」を立ち上げました。叩かれたことを糧に成長するために、LINEグループを作って、意見交換をしています。すると、メンバーがどMの会のマスコットを作ってくれました。

http://expres.umin.jp/mric/mric_26008.pdf

―最後に―
私は、中学生の時に研究をしようと決意し、1992年に膵臓保存の研究を開始し、30年以上糖尿病を治る病気にする研究を続けています。この間大変なことが多くありましたが、一方で、多くの仲間もできました。現場からの医療改革推進協議会第二十回シンポジウムでは、古くからの仲間に会えたことや、この会を通じて新しく仲間が得られたことをとてもうれしく思います。どMは世界を救いますが、重要なのは一人でも多くの仲間を作ることです。
私は、医師免許を使って神戸三宮でCODAというワインと食事の店を開業しました。そうです、日本では、医師免許で飲食店が開業できるのです。私と仲間になってやろうという方は、一度お越しください。

 

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