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Vol.166 南相馬の避難所を訪ねて

医療ガバナンス学会 (2011年5月12日 06:00)


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都立駒込病院レジデント
高橋幸江
2011年5月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


病院の先輩である森甚一医師が、自ら被災地へ赴いたと聞き、自分もと、4月27日から30日まで福島県南相馬市・相馬市に行ってきました。状況を報告します。

福島に入るとまず違和感を覚えたのが、人通りの少なさです。飯舘村を通過すると、花が綺麗に咲き乱れ、地震などなかったかのようです。しかし平日の昼間な のに通行人は1人見かけた程度。皆自宅に籠もっているか、避難しているかのどちらかなのでしょう。家も人が住んでいる気配が感じられません。放射線という 目に見えないものへの恐怖・影響の大きさがうかがい知れました。実際、はまなす館・向陽中学校・中村第1中学校における被災者アンケートには、「これから 福島に住み続けたいかどうか」に関して大きく意見が分かれていました。高齢者は「不安だけれどもここに住み続けるしかないし、外に出て行くのはもっと不 安」で、労働できる年代は「もうここには住みたくない、他に仕事や生活できる場を探したい」とのこと。福島復興のために、「見える安心」が求められていま す。

到着してから一番にお会いしたのが、宮澤保夫会長率いる星槎グループの皆様でした。星槎グループは、学習障害の児童の教育を行っている教育施設です。4月 12日より長期支援の為福島入りし、教科書を含めた支援物資の搬入や、「相馬フォロアーチーム」として被災児童生徒の受け入れ・精神的なサポートにあたっ ています。ちょっと変わった、気さくな方達ばかりで、子供達を守るんだというその情熱・行動力には頭が下がる思いです。

南相馬市立総合病院の及川友好副院長(脳外科)とともに、避難所となっている原町第1・第2小学校へ往診に行きました。被災者の方は我々を気遣ってくださ いましたが、杉並区からボランティアでいらっしゃったブルドック整体院院長 須藤剛さんが、「どのひとももれなく体がこわばっている」と言うように、立て ば中が丸見えになってしまう段ボールのついたての中で、日々ストレスがたまっているご様子でした。十分に足も伸ばせず、プライバシーも保たれない状況では 無理もありません。一日も早く、帰る家が必要です。

避難所には他に、ボランティア団体・アースデイ奄美の方々がいらっしゃっていました。震災5日後より救援物資の搬送を始め、現在は「ハートケア・レス キュー」という専門部会を発足。医療支援活動も行っています。彼らによる鍋やおたまを用いた打楽器リクリエーションでは時折笑顔を見られ、長期化する避難 所生活には、物資だけでなく娯楽によるひとときが必要不可欠であると感じました。
また、避難所での生活だけでも十分なストレスですが、非日常の体験によるPTSDは年単位で問題となってきます。津波から車で逃げてもすぐ後ろまで迫り続 け、かろうじて逃れた方からは「波の音のしない高台に引っ越したい」など、脳裏に震災のイメージが焼き付いてしまっています。アースデイ奄美の人々は、今 後精神的サポートが必要な被災者のASD・PTSDトリアージを行い、専門家につなげる役割も果たしておられます。その先である、精神科の先生がたのご支 援がまだ足りない状況です。

移動時、津波により流された大浜海岸付近を車で通りましたが、言葉が出ませんでした。直後よりは瓦礫が片付いており、あたり一面何もありません。実際に目 の当たりにすると、範囲自体は狭いものの、決して津波の被害も小さいとはいえません。家を探しているのか女性がひとり無表情で立ちすくんでいました。他に も看板に貼り付けてある生存者情報を食い入るように見つめる人もいます。大震災の被災地域ではライフラインが復旧していても、本当に欲しいものは手に入り ません。ただ、そういった中で印象的であったのが、よく晴れた青空にたなびく鯉のぼりでした。

福島は原発をメインに地震・津波と3つの問題を抱えている上、対応の遅れが生み出した「人災」により問題は更に長期化しています。また、急性期は過ぎ、 「命を助ける」から「いつもの生活へ戻る」へ問題がシフトしています。けれども様々な方の情熱によって日々確実に良い方向へ向いている、と感じました。

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