医療ガバナンス学会 (2011年5月14日 06:00)
実際には、想像を絶する広範囲の災害で、物資もボランティアもいくらでも必要と思われましたが、被災された自治体の人々が窓口となっているので、どこでど れだけ足りないのか、何が必要とされているのかの細かいニーズを把握することができず、大量の物資を受け入れるだけでいっぱいいっぱいになっている印象で した。大きな避難所まで来られない人には、物資も医療も行き届いていないのでしょうが、そこを探してコーディネートする人が足りないので、支援したい人 と、受け入れ側でミスマッチが起こっているようでした。
津波の被災地は、all or nothingのところが多く、すべて流されてしまった南三陸町のようなところでは、泥掃除のボランティアは不要で、がれきの撤去に重機が入るまでは何も できそうにありません。ここの人たちにはまず住むところが確保されなくては、生活用品を差し上げても使えないでしょう。泥にまみれても使える家が残ってい る地域では、ボランティアの出番となります。家の掃除から、周辺の道路の整備まで、いくらボランティアがいても足りないのではと思われました。
2)提言 私たちに出来ることは何か。
一般支援:
誰もが経験したことのない広大な範囲にわたる災害です。この先息の長い支援が必要です。被災地の人々のために何かしたいという気持ちに、あまり多くのハー ドルを設けるのは如何なものでしょうか。断られ続けると、自分が必要とされていない気がして何かしてあげたいという気持ちが萎えてきます。この国のお役所 は、有事に際しても今何ができるのか考えるより、出来ないこと、認められないことを羅列することが好きなようです。
あるDrが、日本が中途半端な先進国であったために、かえって必要な支援が届かないことが起こってしまったということを指摘されていました。発展途上国で あれば、他国からの災害救助隊がどんどん入って行って、市民生活の面でも、足りないものを判断して全体を見渡して支援に入るが、日本ではそれができず、か えって孤立する人を作ってしまっていると。アメリカを始めとする海外からの支援打診を当初日本政府は断っていたそうで、各国はNPOも含め未だに困惑して いるようです。
先の長い支援を得るには、最初の混乱があったとしても来る者は拒まずという姿勢が、悲しみを共有して被災地のために何かしようという息の長い支援につなが るのだとおもいます。被災地に行くことが、渋滞を作るとか邪魔になるとかいう意見もあるようですが、行って見て来られたらいいと思います。百聞は一見にし かずです。何よりもまず津波の跡を見て見られるとよいでしょう。これほど強烈に悲しみを共有できるものはありません。つくばからだと朝4時半に出れば、渋 滞に巻き込まれることもなく、渋滞を作り出すこともなく現地に着くことができます。
医療支援:
医療の面でも有事の対応が出来ているのでしょうか。
当初は、DMATやTMATの人たちが入っていた被災地の医療も、この先は徐々に現地の人たちにバトンタッチしていきます。ただ、もともと医療過疎の地域も多く、今回の震災で亡くなった医療者や、もともとの立地が津波や原発の影響で再開できない医療機関も多いようです。
茨城県も被災県ですが、つくば市は被害の程度も軽く、被害の大きな県北地域への支援も当初からできる状態だったと思います。県北へは九州からすぐにDMATが入っていましたが、筑波大学附属病院からも、ある程度の医療支援が行っていたのでしょう。
末端の開業医は、県内の医療情報を共有することが難しく、ネット社会になっても、情報が有効に利用されるまではまだまだ工夫が必要です。東北が無理でもせめて県内の医療支援につくばの開業医が動くことは十分可能だったと思います。
ただ、開業医が自分のクリニックを1週間単位で閉めて被災地に行くことは、地元の患者さんを放り出すことに成りかねず、それでは本末転倒です。特に震災の 急性期については、災害医療に熟知したDMATの方々や、日常的に急性期医療を担当されている勤務医のDrのほうが必要とされるでしょう。
私個人は、通常業務を続けることが自分の仕事と割り切って、震災翌日からは、断水の中粛々と通常業務を続けてまいりました。そのころ出来た支援は、クリ ニック近くの避難所にいわきからの避難民が来ておりましたので、その人たちが抱える慢性疾患のfollowや軽症疾患の対応でした。
被災地で急性期医療以外にも比較的すぐ必要なのは、慢性疾患で薬を継続する必要がある人々への対応です。この人たちが、少ない被災地拠点病院に殺到して薬を求めるとどういうことになるか、今回のことで学ぶべきことが多かったように思います。
さまざまな疾患を抱える高齢者医療や軽症者への対応、足がなくて病院に行けない孤立した人々への対応は、開業医が担える仕事だと思います。
つくばに開業してまだ半年の 自分の足元も固まっていない一内科医に何ができるのか、震災当初からずっと考えてきました。
結論として、自分のクリニックを閉めないで出来る医療支援は、月1回程度、土曜の午後から日曜日にかけて1泊2日で継続して、同じ地域に行くことかと思い ます。その地域の医療が軌道に乗るまで半年から1年続けるつもりで検討していました。もし地域の拠点病院の支援が必要であれば、休日の勤務を代わること で、たった一日でも常勤のDrを休ませてあげることができるかもしれません。移動診療所が可能なら、ワゴン車で往診が出来ます。
幸いクリニックでは、クラウド型の電子カルテを導入しており、無線LANで接続できますので、遠隔地には打ってつけです。半年前まで救急車を断らないこと がポリシーの病院で循環器内科として働いておりましたので、およそのことには対応できますし、携帯出来るワーファリンのコントロール用の機械もあります。 自家発電機は、PCが使えるインバーター式のものを用意してあります。クリニックのナースも事務も一緒に行くと言ってくれました。往診や移動診療所は、開 業医ができる慢性期ならではの支援です。
でも残念ながら実現できておりません。
医師とNsと事務でチームを組んで独立して動くタイプの支援は、JMATでした。
ところが茨城県は被災県であったためなのか、JMATを立ち上げていただけませんでした。県医師会のHPを見ても情報がありません。日本医師会の震災情報 のページにリンクしてあるのみです。痺れを切らして、4月になって直接日本医師会に申し込みましたが、県単位でしか受け入れられないと断られました。被災 地の病院やNPO系列の医療支援も片っ端から当たりましたが、公的なところは大抵JMATやTMATを通してほしいということで断られ、NPOも1週間程 度のサイクルで来てくれるところ優先とのことでした。JMATは県単位で支援区域を指定されています。他の県のJMATは継続して募集があるのに、本県で は一枠も持っていないためJMATを一切出すことが出来ないのです。なんと残念なことでしょう。医師会を通しても、出身大学の筑波大を通しても被災地の医 療支援に行く道は開けておりませんでした。
医師は基本的に人のために働きたいという気持ちを持っていますので、応募が多いことは喜ばしいことです。本当に医師が溢れていてもう必要ないというならそれでいいのかもしれません。
ただ、災害救助法が適応されるのは、仮設住宅に入るまでとか、その先の医療は、被災県の問題だと待ちの姿勢でいいのでしょうか。医療過疎の問題は、今回初 めて出てきた問題ではありません。被災地の復興計画と密接に繋がっていくものですが、震災がなくてもお手上げ状態だった医療問題ではないのでしょうか。被 災自治体にその解決策を求めても難しいでしょう。
日本医師会は長期にわたる継続的な医療支援をすると表明しております。つい先日厚労省も1000人規模医師を派遣すると表明致しましたが、ただでさえ疲労している勤務医にこれ以上の負担が出来るのでしょうか?
また費用の面ではどうなるのでしょうか。災害時の医療費は、国や市区町村が持ってくれたり、被災地の医師が働いたときは、医師会から日当が払われたりする ようです。被災地以外の医療関係者は、基本的にボランティアです。厚労省の保険局からは、Q&A形式での事務連絡で、震災に伴う様々な医療行為 が、「保険診療として取り扱うことができない」として羅列してあります。
しかしながらすべてボランティアでは長くは続きません。長期の支援が必要な場合は無料では出来ません。今回被災地に入るに当たり、いざという時の点滴から 薬まで、持ち出し覚悟で揃えていきましたが、毎月の支援が持ち出しになるのなら、1回や2回ならともかく、長期では誰も手を挙げなくなるでしょう。
一番簡単なのは、支援に行って診た分は通常の保険請求を認めていただければいいのです。今の制度では県を越え他の地域に行って往診することは認められてい ません。とりあえず、医療過疎地は医療特区に指定して、他地域の医師が交代して入ればいいのではないでしょうか。その際クラウド型の電子カルテなら、情報 も共有することが出来ます。今のようにすべて県や市区町村の単位でしか動けないと、大切な医療資源が有効利用されないのです。
今回の震災をきっかけとして、早急に機動力と継続力のある医療システムが構築されることを切に願います。