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Vol.184 原発作業員の自己末梢血幹細胞採取は正当化されるか?(前編)

医療ガバナンス学会 (2011年6月7日 06:00)


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谷口プロジェクト事務局
谷本哲也

http://www.savefukushima50.org/

2011年6月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


【初めに】
我々は、今回の福島第一原子力発電所の災害について、原発作業員の方々が不測の事態の発生により急性放射線症候群に陥ることを危惧し、事前の自己末梢血幹 細胞の採取・保存を3月末から呼びかけて来た(通称、谷口プロジェクト)。この提案に対し、国内外で賛否両論が巻き起こり、2ヶ月あまり経過した今も決着 を見ていない。このような新しい試みに対してコンセンサスが得られにくいのは当然であり、あらゆる角度から十分検討を行った上で、敢えて選択しないとの立 場を取ることも十分考えられる。ただし、原発事故は現在進行形であり、いつまでも議論ばかりしている訳には行かないことは、原発作業現場と同様に医療現場 で働く人間は十分承知している。このため、虎の門病院、国立がん研究センター中央病院や日本造血細胞移植学会の関連施設では、希望者が出た場合は即時に対 応可能な態勢を当初からとっており、現在もそれを維持し続けている。本稿では、谷口プロジェクトが「正当化されるか?」、という側面から、前編では安全性 について、後編では提案後2ヶ月間の経過について叙述し、皆様の判断材料として提供させて頂く。

【谷口プロジェクトに対する意見公募】
なお、谷口プロジェクトに対し、意見論文投稿(日本語の場合4000字以内を目安、他言語も可、MRICもしくは谷口プロジェクトのHP上で掲載、投稿者 名は実名で公開とさせて頂きます)及び公開討論会開催に向け登壇者を公募させて頂きます(締め切り:2011年6月30日、連絡 先:savefukushima50@gmail.com)。

【健常人に対する医療介入】
医療行為において副作用が生じることは避けられない。医療行為以外で勝手に他人に薬を盛ったりメスを入れたりすれば犯罪となる。患者の病を癒すという目的 のために、薬物投与の副作用や外科治療等に伴う傷害が医療行為では正当化される。医療行為による副作用のリスクより、治療効果というベネフィットが上回る という想定で医療介入が許されるのだ。ところが病気を持たない健常人ではどうだろうか。原発作業員は基本的に病気を持たない健常人のはずだ。健常人に薬物 投与や外科行為などの医学・医療上の介入が許されるのは、例えば医薬品を開発するためのボランティアだったり、患者に臓器を提供するドナーだったりと、ご く特殊な場合に限り社会的に許容されている。

【末梢血幹細胞採取とは】
谷口プロジェクトで行う末梢血幹細胞採取は、血液疾患の治療で健常人ボランティアドナーに用いられる手法と同じものだ。かつては骨髄にある造血幹細胞を、 全身麻酔下で骨に穿刺し骨髄を直接取り出す方法が行われてきた。この方法は現在も行われているが、1990年代に入りG-CSFという薬剤による新たな採 取法が開発され、この薬剤を数日間皮下注射した後に、末梢血から血液成分分離装置により採取するという方法が世界的に普及した。これが末梢血幹細胞採取と 呼ばれる方法である。健常人でのG-CSFによる末梢血幹細胞採取それ自体は、日本を含む世界中で、血液疾患患者に対するボランティアドナーに対して日常 的に行われている診療行為である。健常人がボランティアドナーとなった場合、採取後の細胞をそのまま患者に提供する形となる。採取には当然種々の副作用が 生じるが、患者の治療のためのボランティアということで、現在では世界中で社会的に許容されている。もちろん、一足飛びに認められた訳ではなく、数多くの 議論や長年のデータの蓄積があった上でのことである。他の多くの医薬品や医療機器等と同様、日本では世界から年単位のラグがあったものの、血液疾患患者の 血縁者の健常人ドナーからの末梢血幹細胞採取は2000年より保険適応の医療として認められた。また、2010年には非血縁者間、つまり骨髄バンクドナー でも末梢血幹細胞採取を行うことが公的に認められた(1,2)。

【原発作業員からの採取】
谷口プロジェクトとは、この末梢血幹細胞採取を原発作業員が自分自身のために行い、将来の事故に備え保存するという提案だ。各種報道を見る限り、この未曾 有の原発事故の収束の見通しは、残念ながら未だ立っていないと考えざるを得ないだろう。散発的な小規模の”想定外の”被曝事故はあるものの、今のところ高 度の急性放射線症候群に至るような大事故は発生していない。しかし今後、予定外の汚染水が増える梅雨時や台風、熱中症が危ぶまれる真夏を無事乗り切り、余 震や津波の発生なく工程表に沿って安定化作業が進められるのか、原発作業員の方々が持つ業務上のリスクを我々医療者が正確に見積もるのは困難である。一 方、谷口プロジェクトを実施した場合のリスク、安全性はどのくらいあるのだろうか?健常人ボランティアドナーと違い、原発作業員の場合は、他人に提供する のではなく、自分の将来の不測の事故に備えて、自分のために細胞を保存することになる。自己末梢血幹細胞採取に伴うリスクは正当化されるのだろうか?

【谷口プロジェクトの安全性について】
谷口プロジェクトでは、世界中で数万例以上の健常人に実施され、その安全性が長年確認されてきたG-CSFを使用する通常の方法(3)と、採取の期間を短 縮するために国内では未承認の薬剤(モゾビル)を併用で用いる方法(4)とを用意している。採取を行うか否かは戦略の問題だ。G-CSFのみを使うかモゾ ビルを併用して使うかは戦術の問題と言える。時間的余裕があれば、5日程度かかるものの前者の標準的な方法が望ましいと考える。この標準的な方法について は、最も専門性を有する日本造血細胞移植学会からも健常人からの採取ガイドラインが公表されており(5)、日本全国の専門施設で実施可能な方法である。 G-CSFは世界中で健常人では数万人以上、癌患者も含めれば数千万人以上に長年使用されているごく一般的な薬剤である。

一方、作業を何日間も離れることは許されないという場合を考慮し、国内未承認の薬剤を3月の時点では緊急避難的に用意した。この薬剤、モゾビルは、海外で は一部の悪性腫瘍患者で承認され一般的に用いられているものの、健常人への使用は海外でも適応外の方法となる。本邦での未承認薬の使用には様々な議論、批 判がある。モゾビルは比較的新しく開発された薬剤で、健常人での使用経験は限られ(6,7)、癌患者まで含めても世界で数万人程度までしか使用例がないか もしれない。このため、G-CSFと比べれば、未知で重篤な副作用が生じる可能性は否定できず、長期的な影響も不明である。谷口プロジェクトにおいて、万 が一モゾビルによる重篤な副作用が生じた場合は、世間から途方もない非難を受けなければならないだろう。G-CSFを使用した通常の方法で採取するのか、 ある程度のリスクは承知で採取期間短縮を優先させモゾビルを使用して採取するのかは、医学的な判断のみではなく、実際の作業状況等も含めた総合的な判断で 選択を行う必要がある。

【副作用の問題】
使用データが豊富にあるG-CSFの場合、軽度だが多くに見られる副作用は、腰痛、骨痛、関節痛、筋肉痛、頭痛、発熱、倦怠感などであり、これらは通常の 解熱鎮痛剤などでコントロールされる。また、どの薬剤にもつきものだが、まれにアレルギーによるショックが起こることもある。1%未満だが重篤なものとし ては、間質性肺炎、狭心症様発作、脳血管傷害、脾破裂といったものがあり、過去海外で11例の採取関連死亡が報告されている(8)。重篤な副作用など臨床 的に問題となるケースは、もともとの病気があったり高齢であったりする場合が多く、採取が実施可能かどうかは事前の検査を入念に行う必要がある(3)。

モゾビルは2008年に米国で初めて承認され、欧州や韓国などでも既に用いられている。主な副作用は、下痢、悪心、疲労、注射部位反応、頭痛、関節痛、嘔 吐、めまい等だ。また、皮下投与後に、血管迷走神経反応、起立性低血圧症、失神も起こり得るとされる。重篤な有害事象として、心筋梗塞と肺炎の発生例も報 告されている(4)。

血液成分分離装置を用いた採取(アフェレーシス)は、通常の骨髄採取と異なり、全身麻酔を必要としない。主な副作用は、全身倦怠感、クエン酸中毒による四 肢のしびれ、めまい、吐き気、嘔吐、一過性の血圧低下、採取後の血小板低下などだ。この採取法は、ボランティアからの成分献血の際にも広く用いられてお り、副作用に対する対処法は既に確立している(9)。

【白血病発症リスク増加はあるのか】
一番気になるのは、谷口プロジェクトの実施前または後に福島原発の作業環境下で被曝した場合の白血病等の造血器疾患発症リスク増加の程度だろう。G- CSFが造血細胞に作用するからだ。G-CSFを使用した場合の、通常の健常人ボランティアドナーでの発症リスクは、国内外で長年検討されており (10,11)、国内でも血縁ドナーのデータを長年検討した結果、健常人でのリスク増加はほぼ否定され、前述のとおり昨年より日本骨髄バンクのボランティ アドナーでの実施も認められた(1)。では、原発作業員ではどうかというと、残念ながらそのようなことを検証したデータはどこにもない。チェルノブイリの 時代には存在しなかった医療技術だ。若干参考になるのは、癌患者で治療に用いる量の抗癌剤や癌に対する放射線療法とともに、G-CSFを治療で使用(谷口 プロジェクトより低い用量で長期間)した場合、大雑把に言って0.4%程度の発症リスク増加があるとされていることだ。我々もその研究の第一人者である デューク大学のライマン教授に直接見解を確認した(12)。谷口プロジェクトではG-CSFの使用は高用量だがごく短期間であり、癌患者ではなく健常人、 抗癌剤の使用はない、ということを考慮すると、G-CSF投与に伴う実際のリスク増加はこの0.4%よりはずっと低いと予想される。もし影響があるとすれ ば、通常の健常人ドナーよりも放射線被曝が加算される分だけわずかにリスクが上昇するかもしれない。ただし、これは数千人規模を何年も長期間にわたって追 跡しても証明することが困難な、理論上のリスクと思われる。また、100 mSvを超える作業被曝自体で白血病等の発症リスクが上昇すること、薬剤の影響は採取終了後の休息期間を長くとればとるほど無くなるということも指摘して おきたい。

【残された課題】
谷口プロジェクトには未解決の課題も数々存在する。まず、採取費用の負担だ。政府、東電、原子力安全委員会などが反対している状況下では、原発作業員個人 が負担しなければならない。また、採取した造血幹細胞は、原発の作業終了後6ヶ月間までの保存を予定している。保存にもコストがかかるからだ。さらに長期 間の保存の要望が出た場合の対応は未定である。万が一採取の過程で重篤な副作用が生じた場合の補償問題も残されている。さらに、最も重要なのは、愛媛大学 大学院の谷川武教授が要望されているような、原発作業員に対する総合的かつ長期的な健康管理体制の構築だ。しかし、「厚労省に予算化を求めたところ、 「『今年は無理。来年来て下さい』と言われた」とのことで、現時点では難色を示されているという。」との報道がなされているのが現状だ(13)。
(後編に続く)

【引用URL】
(1) http://www.savefukushima50.org/?p=813〈=ja
(2) http://www.savefukushima50.org/?p=1254〈=ja
(3) http://www.savefukushima50.org/?p=933〈=ja
(4) http://www.savefukushima50.org/?p=923〈=ja
(5) http://www.savefukushima50.org/?p=438〈=ja
(6) http://www.savefukushima50.org/?p=471〈=ja
(7) http://www.savefukushima50.org/?p=475〈=ja
(8) http://www.savefukushima50.org/?p=816〈=ja
(9) http://www.savefukushima50.org/?p=1256〈=ja
(10) http://www.savefukushima50.org/?p=434〈=ja
(11) http://www.savefukushima50.org/?p=443〈=ja
(12) http://www.savefukushima50.org/?p=690〈=ja
(13) http://www.savefukushima50.org/?p=1173〈=ja

【筆者プロフィール】
平成9年九州大学医学部卒
独立行政法人医薬品医療機器総合機構生物系審査第一部
公益財団法人がん研究会がん研究所嘱託研究員
日本内科学会認定総合内科専門医
日本血液学会認定血液専門医
注:本稿は筆者個人の文責によるものであり、所属団体を代表するものではない。

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