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Vol.218 元自衛隊医官から見た谷口プロジェクト

医療ガバナンス学会 (2011年7月22日 06:00)


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中村 幸嗣
2011年7月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私は防衛医科大学校を平成元年に卒業した内科医で、専門は血液内科です。元陸上自衛隊の医師(医官)として、危機管理、特に特殊武器(CBERN:化学、 生物、爆弾、放射線、核)に対する危機管理を研究していました。災害当初から自分のブログ (http://blog.livedoor.jp /dannapapa/) でも原発作業員に対する自己造血幹細胞保存(谷口プロジェクト)に対して意見を述べてきました。参議院議員会館で今回行なわれた 6月24日、7月1日の谷口プロジェクトに関する公開勉強会を拝見し、ブログから一部修正した個人的意見を述べさせていただきます。

まず臨床医としての血液内科医の立場でお話させていただくと、原発で働く作業員の自己造血幹細胞保存をおこなうことは、医学的には間違っていません。この 事は勉強会でも議論され、ほぼ意見の集約が得られたものと思われます。他人の造血幹細胞移植では、移植片対宿主病等の合併症のコントロールが難しく、この 方法で重篤な放射線災害患者をいままで一名も助ける事ができなかった歴史を思えば、万が一のとき原発作業員の命を助ける新たな手段と成り得ることは間違い ないと思います。また造血幹細胞保存自体は現在血液臨床で問題なくおこなわれており安全性も十分高く、さほど作業員の方の負担にもならないことは議論され た通りです。

危機管理のやりかたとしてもひとつの方法であることも間違いありません。ただし予算をかけて危機管理の施策とするのなら、自己造血幹細胞を使用する状況、 つまり重度の放射線災害がどの程度生じる可能性があるか、そのリスクを正しく分析、議論しなければならないでしょう。福島の作業員に自己造血幹細胞を保存 するかどうかの是非はそこで決まります。しかしそのリスク分析を実施しようとしても、放射線防護を管理する東電の現在の能力の状況が評価できない(信用で きない)という事は勉強会の通りです。

戦地に赴く決死隊の隊員に、どんなに放射線防護策をとっても相手からの攻撃で致死的放射線障害を受ける可能性が非常に高いと見積もれば、隊員の自己造血幹 細胞を保存することは軍のひとつの防護策として妥当であると研究されています。しかし放射線災害患者の治療法を一番研究して実際に活動している米軍でも、 この事前の自己造血幹細胞の採取はまだ実際には行なわれてはいません。つまり本来の放射線防護(つまり予防)をしっかりと行なえば幹細胞移植をおこなう患 者は戦争中でもほとんど出てこないということが考えられているからです。学術会議の自己造血幹細胞保存がいらないと反対している理由もこちらにあります。

しかし250mSv以上の被曝をした作業員をすでに6人出してしまっている事、132人の作業員の被曝量が所在不明のため調べられない等、今までの東電、 政府の放射線防護態勢があまりにもお粗末であることは明らかです。そのことより正しい防護つまり予防がおこなわれているという前提をたてる事ができず、事 故の発生を否定できません。また現場の作業環境を良くご存知の谷川先生によれば、公衆衛生上、作業員のミスが起りやすい現在の劣悪な作業環境は改善しない 可能性が高いということ、それゆえヒューマンエラーの関与も含めて過度の放射線障害が発生する可能性がやや高いことが推定されています。

以上のことを考えると、作業員の方の自己造血幹細胞を保存する事は、医学的には正しいものの、本来正しい放射線防護ができてさえいれば危機管理の施策とし てはやや過剰な施策であり、放射線防護、管理(作業員の一般的な健康管理を含めて)に、さらなるお金と人をつけるべきであると教科書上は結論付けられま す。しかしその前提条件である正しい防護ができていない今の状況では、自己造血幹細胞保存を施策とすることは過剰ではないとまとめられます。

ただし自己造血幹細胞保存を施策とするのなら以下の問題点を解決しなければならないでしょう。

1.自己造血幹細胞を採取した作業員とそうでない人に仕事、給料に差をつけないこと。
細胞を保存した人が危険な作業に従事する割合が高くなってしまう可能性が今の東電ではあるかもしれません。では不公平を除くためには全員分を保存するのでしょうか?少なくとも保存した事を東電には秘密にすべきでしょうか?予算、保存方法等解決する問題がかなりあります。

2.造血幹細胞をとったことで全体の許容放射線基準をあげないこと。
世界的に認められている部分で基準はすでに100mSvから250mSvに上げられています。それでもいざとなれば移植すればいいと今の東電ならさらに上 げる可能性が否定できません。上げてしまうと本当に移植細胞が必要な状況が発生する可能性が上昇するかもしれませんし、晩期の障害も増える危険性が上がり ます。本末転倒です。本来作業員の人を増やして一人一人が浴びる量を少なくすることが先決です。

3.細胞を保存する際様々な整備しなければいけない問題を解決しておく事が必要。(人数、場所、期間等)
何人の細胞を保存すれば良いのか。例えば作業員全員の自己造血幹細胞を保管するとすれば、保存場所を含めてコストがかかります。そしていつまで保存してお くかも非常に重要な問題です。急性期を対象として、本当に半年でよいのか。後期に出現するかもしれない白血病等の晩期障害への治療手段としては残さなくて いいのか。ちなみに民間の子供の臍帯血保管サービス等は一生保管です。議論が必要です。

4.自己造血幹細胞保存は、値段(採取に10~15万程度(虎の門病院の場合、一般の病院では50万円前後)、保存期間を長くするとよりさらにかかる可能性もある)、手間(入院等、給料保障)を考えると、作業員の健康を守る道具としての守備範囲が狭い。
脱水、TIA、心筋梗塞、熱中症等の他の病気は幹細胞移植では治せません。このような一般的な疾患予防のための作業環境整備が優先と思われます。

以上これらの4つの問題点を並行的に解決する事が必要です。自己造血幹細胞移植は万能ではないのですから。

勉強会でもそうでしたが、まだ専門家でも統一した意見はでていません。東電の組合の人もその点を気にして、皆に知らせるかどうかの結論を導いていました。 しかし専門家の確立した意見を待って組織が対応する事は基本の行動なのですが、今回のような戦争においても前例がない事態において過去の事例に基づこうと しても、いつまでたっても対立する意見は集約できず、ただの遅延を起こすだけで有効な手段とはなりえません。ましてや生命を守る施策です。
今後の原発の状況はまだまだ予断を許さないと思われます。作業員の自己造血幹細胞を保存すべきであるという施策は、安全策の1つとしてとる事は妥当であり、それゆえ自己責任のもと保存するという対応がベストではないかと提案します。
今後とも様々な議論が必要な分野です。

筆者プロフィール
元陸上自衛隊医官
元防衛医科大学校第3内科(血液)
中村 幸嗣(ナカムラ ユキツグ)

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