医療ガバナンス学会 (2011年9月1日 06:00)
2.副作用死の危険の引き受け
抗がん剤の副作用のインフォームド・コンセントの問題における最大の論点は、「抗がん剤の副作用による早期の死亡を、患者はあらかじめ説明を受けて、その リスクを理解・納得して自己決定し、死の危険を引き受けたとしてよいのかどうか?」ということであろう。「抗がん剤によって逆に死期が早まってしまうこと だけは、患者は認めていなかった。」という訴えが遺族から出されることが想定される。インフォームド・コンセントの徹底とは、主にこの点を指す。
この点は、必ずしも形式的・外形的に判断されるとは限らない。詳細な説明と十分な同意があったとしても、実際の抗がん剤使用のあり方が完全に適切とまでは 言えなかった時には、結局、「インフォームド・コンセントが徹底されていなかった」と評価されてしまう可能性がある。インフォームド・コンセントの徹底と いうのが、形式的・外形的にではなく、実質的・主観的に判断されかねない。医療現場のインフォームド・コンセントの実務への悪影響が懸念される。
もともと医薬品副作用健康被害救済制度を作るに際して、「安全性確保のための『規制』と『救済』は裏腹の関係にあるので、必要な『規制』が十分に行われて いることが、救済制度を作る前提となる」とされていた。「安全性確保のための規制と救済は表裏の関係にあるという考え方」と言ってよい。今回は、イン フォームド・コンセントの徹底という大義名分の下で、いたずらに「規制」の強化がなされる懸念がある。せめて、医師・医療機関は「悪意又は重大な過失があ るのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。」という責任制限の特約を抱き合わせするべきではあろう。
3.不適正使用を理由とする医療紛争
医薬品の副作用とは、独立行政法人医薬品医療機器総合機構法によれば、「許可医薬品が適正な使用目的に従い適正に使用された場合においてもその許可医薬品により人に発現する有害な反応」を意味する。「適正目的」「適正使用」がポイントと言えよう。
抗がん剤が健康被害救済制度の対象となった場合でも、「不適正目的」か「不適正使用」があったとPMDA(医薬品医療機器総合機構)に認定されると、支給 が拒否される。本来の使用目的とは異なるのが「不適正目的」であり、たとえば「適応外使用」はその典型とされかねない。また、使用上の注意事項に反するの が「不適正使用」であり、用法・用量を厳密にチェックされることにもなる。添付文書の文言の一言一句への拘束が強まりかねない。
PMDAが不支給を決める際には、「不適正目的」や「不適正使用」を厳格に認定し、それを患者側に公式文書として通知する。当然、医療過誤訴訟か少なくと も医療紛争となるであろう。もちろん、この点は何も抗がん剤に限らないが、特にぎりぎりの局面で患者との緊密な連携で治療をする抗がん剤使用の場合は、一 律の添付文書の基準からすれば形式的・外形的には外れていることも少なくなかろう。そうすると、抗がん剤副作用での不支給決定を契機に、医療紛争が誘発さ れかねない。
この点をカバーするためにも、やはり「悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。」という責任制限特約を導入すべきであろう。そうしないと、抗がん剤使用の治療に対する萎縮が生じかねない。
4.真の無過失補償制度導入の契機に
抗がん剤が医薬品副作用健康被害救済制度から除外されていた理由については、前述の第1回検討会の冒頭で間杉医薬食品局長(当時)が端的にその趣旨を述べ た。「その使用に当たり相当の頻度で重い副作用の発生が予測されること、重篤な疾病等の治療のために、その治療が避けられないことなどの理由から、医薬品 を使用する患者が副作用の危険を引き受けるべきものとして救済の対象外とされている」とのことである。必ずしも論理必然とは言い切れないが、それ相応の理 由ではあったと思う。現実的には妥当な選択であったとも評しうる。
しかし、もしも抗がん剤も対象に加えるとしたら、既に述べた問題点を含めて、抜本的に検討しなければならない問題点も生じてしまう。そうだとしたならば、 これを契機にして、民事責任と切り離して別個に社会的に救済を図っている現行制度を、むしろ抜本的に見直すのが望ましい。
したがって、抗がん剤治療については、医師の責任制限を明示した上で、全面的な被害救済を行う真の無過失補償制度を導入すべく議論を開始すべきであろうと 思う。医師の軽過失は免責した上で、給付の範囲・内容・水準とその財源を見直すのである。これこそが、全面的な真の患者救済を図りつつ、しかも、抗がん剤 治療を萎縮させないための現実的な方途であると思う。