医療ガバナンス学会 (2011年10月14日 06:00)
http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20110713_2.pdf
MRICの読者の多くにとっては釈迦に説法と思うが、事故調の問題点をおさらいしたい。2007~2008年に、厚労省の第2次試案から大綱案によって示 された事故調案(以下厚労省案)の根本的問題は、事故の原因調査と責任追及、すなわち刑事処分・行政処分・民事紛争とを連動させていたことである。そもそ もの議論の発端は、厚労省によっていつのまにか診療関連死が医師法21条で定める異状死とされ、警察への届け出の対象とされたことだった。これに対し厚労 省案は、診療関連死を警察へ届け出る代わりに網羅的に医療事故調に届け出させ、そこで過失の有無と程度を判定して、刑事・民事・行政処分に振り分けると いった構造となっていた。
日医提言は、いくつかの点で厚労省案より改善されているように見える。医師法21条による診療関連死の届出義務を廃止する一方、第三者機関への届け出につ いては、「医療関連死で死因究明の必要なもの」(当該医療機関の調査分析能力を超えるもの)を「調査依頼」するとしており、義務付けてはいないようであ る。院内事故調査にしても、どのような事例を対象として行うのか明示していない。もし事故調査を医療機関の裁量で、あるいは患者家族の希望に応じて行うと いうことなら、網羅的に事故調への届け出を義務付けた厚労省案とは性格が大きく異なっているといえる。
そもそも医療事故調査の目的は何かといえば、
1.医学的事実の解明、(もし事故であるならば)原因分析と再発防止
2.責任追及(当事者の処分)
3.患者・家族の救済:精神的納得
4.患者・家族の救済:金銭保障
主に以上の4点だが、これらは互いに相性が悪い。とりわけ1と2は、責任追及を前提とした調査では事故当事者が自分に不利になることを恐れて情報を提供で きなくなることから、両立困難である。よって上記目的は、単一の組織ではなくそれぞれ独立した別組織で目指すべきであるというのが多くの識者の主張だっ た。厚労省案の医療事故調は、上記の2.責任追及に特化した組織だったのは明らかである。一方今回の日医提言では、院内事故調査委員会は診療関連死を警察 に届けない、第三者的機関は刑事責任の有無を判断せず、故意ないし故意と同視すべき犯罪以外は警察・司法へ通知しないとされている。「故意と同視すべき犯 罪」が何を示すのか曖昧ではあるものの、一見事故調査と責任追及とが切り離されているように見える。
しかしながら実際はそうではない。院内事故調査委員会に外部委員を入れるという点に注意していただきたい。外部委員、とくに法律家が事故調査委員会に入れ ば、必然的にその調査には責任追及の要素が加わり、事実の解明が妨げられる。外部委員を入れるのは中立性・公平性を担保するためとされているが、医学的事 実に中立公平は関係なく、むしろ外部の法律家によって紛争が誘発される可能性が高い。同じことは、「第三者的機関」にもいえるのであって、責任追及が目的 でないのならば、第三者的機関の調査や運営に法律家を入れる必要はない。外部委員を入れないとすれば、とくに診療所においては、院内事故調査委員会を設置 しようがしまいが、われわれが行うことに変わりはない。院内事故調査委員会は事務量が増えるだけ無駄といえる。
医学的事実を患者家族に説明するのは医療行為であり、原則として医療者が自律的に行うべきであるが、不幸にして紛争化することが予想されるときは、院内事 故調査に病院側の法律家が参加することもありうる。そうであれば院内調査は、個々の事例に応じて、それぞれの施設が任意のメンバーで行う自由を残しておく べきであろう。ただし病院においては、大野病院事件や東京女子医大事件などに見るように、過去、院内事故調査によって現場の医師が不当に医療事故の責任を 負わされてきた例がある。このような問題を防ぐため、佐藤一樹医師は、院内事故調査の報告書作成に当たって、(1)報告書作成終了前に、関係する現場医療 関係者から意見を聞く機会を設けること、(2)報告書に対する当事者の不同意権と拒否権を担保し、不同意理由を報告書に記載することを提唱している。 http://medg.jp/mt/2011/03/vol53.html
端的に言って、第三者機関が作成する報告書は最終的に鑑定書として機能する。そう考えれば、第三者機関に弁護士が参加するのが筋違いであるのは自明であろ う。しかし弁護士が参加していなかったとしても、今回の提言で想定しているような「医療界・医学界が一体的に運営する」第三者機関は潜在的な危険を孕んで いる。その調査報告書が強力で権威ある鑑定書になってしまうからである。過去の医療事故を振り返っても、権威があるとされた鑑定書によって医療者が逮捕さ れ、後にそれが誤りであったと判明した事例がある。
またこのような権威ある組織は最高レベルの医療水準を求めがちだが、現場の医療機関はさまざまな制限の下にあり、常に理想的な医療が行なえるわけではな い。産科補償制度に見られるごとく、現場の医療機関に無理な医療水準を要求すれば、それが現場の医療機関の疲弊・崩壊を招きかねない。したがって井上清成 弁護士らが指摘するように、権威のある唯一最高の調査機関がお墨付きとなる報告書を作成するよりも、多彩な調査機関(郡市医師会や各種学会など)が多様な 報告書を出せるような仕組みの方が、安全で健全であろう。
日医提言では第三者的機関の担い手として一般社団法人「日本医療安全調査機構」を想定している。この機構の前身は、厚労省が補助事業として2005年9月 から2010年4月にかけて行った「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」である。このモデル事業では、105 の事例を調査したが、ひとつの事例を調査するのに95万円、10ヶ月もかかったと報告されている。この事実を見ると、日医提言が想定している「医療界・医 学界が一体的に運営する」大掛かりな第三者機関は、現実には、費用、時間、マンパワーなど多くの面で実現困難だろうと筆者は予想している。
先に述べたように、旧厚労省案にしろ、民主党案にしろ、今回の日医提言にしろ、第三者機関が作成する調査報告書は、結局「鑑定書」として機能する。そのよ うな組織が必要であることを否定はしないが、第三者機関が鑑定書発行機関だとすれば、われわれにとって重要なのは、ここから発行される鑑定書を基にして民 事紛争が頻発するのをどうやって防ぐか、ということである。ここに歯止めをかけた制度設計でなければ、医療が破壊されてしまう。
そのための条件として、1)診療関連死の第三者機関への届け出を義務化しないこと、2)第三者機関は医療者のみで構成・運営すること、3)患者・医療者の 対話を促進するメディエーションとADRの充実、4)無過失補償制度の整備などが挙げられる。要は、紛争化することなしに患者・家族を救済する仕組みが必 要だということである。これらのポイントのいくつかは今回の「日医提言」でも触れられている。
最後に、上記4)に関連して産科医療補償制度について述べる。この制度は、もともとは脳性まひの児とその家族を救済するために、過失の有無を争うことなく 金銭補償が受けられる制度、いわゆる無過失補償制度として議論がスタートしたものである。ところがいつのまにか、再発防止のための「原因分析」を行うとの 美名の下に、事実上の過失の認定をする制度に変質してしまっている。無過失補償とは似ても似つかぬ、産科版の医療事故調である。
今年8月、その再発防止に関する第1回報告書が発表された。個々の事例の原因分析報告書がネットで閲覧できるので(http://www.sanka- hp.jcqhc.or.jp/outline/report.html)、MRICの読者諸兄にぜひご覧いただきたい。それぞれの医療行為に対して、 「妥当でない」、「一般的でない」、「対処が不十分」、「配慮が欠けている」など、非難の嵐である。筆者が事実上の過失の認定という所以である。こんな報 告書を読めば、たとえ因果関係が明らかでなくても、児の家族は医療機関に対して一生恨みを持ち続けてしまうかも知れない。親ならば当然の人情であろう。医 療機関にしてみれば、その児と家族に良かれと思って正直に報告したら、こんな調査結果が家族に送付されるのである。まさに正直者がバカをみる制度であろ う。もうひとつ重大なのは、本制度では諸外国の常識と異なり、補償金を受け取りながら訴訟を起こすことが可能となっている点だ。すなわち児の家族は、訴訟 を起こす動機(恨み)、証拠(報告書)、資金(補償金)のすべてをこの制度から供給され、さらなる苦しみを抱えることになってしまうかも知れない。
この報告書を基にして民事訴訟が起こるのも時間の問題といわれている。せっかくの補償制度が、患者家族に新たな苦しみを植え付け、紛争を誘発するような仕 組みにされてしまったのである。筆者にはこの制度が産科医療を破壊する怪物のように思える。今回の日医提言でいう「患者救済制度」が、産科医療補償制度と 同じものになれば、医療全体を破壊する怪物になるであろう。それは何としても阻止せねばならない。