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Vol.305 現場からの医療改革推進協議会第六回シンポジウム 抄録から(7)

医療ガバナンス学会 (2011年10月28日 16:00)


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東日本大震災・福島原発事故III

*このシンポジウムへの参加は事前申込制で、すでに参加受付は終了しております。

2011年10月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


セッション7: 11月6日(日)15:00~16:30
場所:東京大学医科学研究所 大講堂
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孤独社会とコミュニティ
立谷秀清(福島県相馬市長)

大震災直後から、我々災害対策本部の最大のミッションは「次の死者を出さない」ことだった。孤立した生存者の救出はもちろん、避難所での食事提供、支援物 資の配給、医療体制など、次々と変化する状況の中で最大4,500人に達した避難所での対応は、まさに被災者の命を守る最前線だった。
当初から、避難所での被災者受け入れを地域ごとに区分するよう指示した。何より地域コミュニティの輪をもって被災者同士が支え合う必要があったからだ。被災した人々は先の見えない不安と戦いながら、しかし避難所でのいさかいをお互いに戒め合って生活した。
6月中旬には避難所避難者は全員仮設住宅に移り、公共施設でのプライバシーのない集団生活から各家庭の竈を持つ個々の生活空間になった。次は、阪神淡路大震災で大きな社会問題となった「孤独死」をいかに防ぐかが新たな課題であった。
仮設住宅も避難所同様、原則地域コミュニティを維持した形で入居者を決定した。しかし、仮設住宅での被災者生活支援は、集団生活ではないぶん避難所よりも 管理しづらい面がある。そこで仮設住宅のマネジメント体制である組長・戸長制度をつくり、各種情報提供や希望聴取などを行うほか、支援物資を迅速かつ効率 的に配給出来る体制をつくった。さらに、避難所からの継続で学校給食方式による夕食の提供や、食料品などのリヤカー戸別対面販売を行い(被災者を雇用)、 会話を通したふれあいが生まれる環境をつくっている。また、健康管理の一環として被災者全員に対して問診を中心とした健康診断を行ったが、組長・戸長体制 により実行した。
今回の大震災で、日本が抱える孤独社会が浮き彫りとなっている。今、あらためて地域コミュニティと人々の絆が、いかにかけがえのない地域資源であったか見 直すべきである。精神的にも大きな傷を負っている被災者が、新たなコミュニティを形成しながら共に助け合い復興へ立ち上がる姿に、我々は学ばなければなら ない。

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政治の復興
小松秀樹 (医療法人鉄蕉会亀田総合病院副院長)

四川大地震では3年間に約11兆円を投じて、41,130件の国家復興事業の94%を完了させた。復興というより、産業と雇用の創出を含めた壮大な総合地 域開発プロジェクトである。中国国務院の「汶川地震震災復旧復興計画」では、被災地を「適宜復興(復興に適している)」「適度復興(適度な復興を図る)」 「生態復興(生態系のために復興する)」の3種に区分して、地域別に強弱をつけた。人口3万5千人の旧北川県城は壊滅したが、山東省の一対一支援によっ て、新しい場所に、人口7万人を想定した新北川県城が再建された。3万人を超える山東省の建設労働者が、3600棟の中低所得者向け住宅、63本の道路、 4本の橋を1年間で建設した。
右肩上がりの経済、強大な国家権力と小さな個人は、復興に有利に働いたに違いないが、それだけではない。政治家は、世界を視野に入れつつ、ぎりぎりの緊張 の中で決断している。例えば、大地震の17日後には都江堰市の復興計画が国際公募された。これによって、四川の復興に世界の知恵だけでなく、視線も集め た。
中国の周辺部は四川の西半分を含めて、ぐるりと内蒙古までチベット文化圏である。その西は回教徒が住んでいる。内側は、厳然たる階級社会で農民と都市住民 とでまったく身分が違う。農民は、出稼ぎで都市に来ることはあっても、都市の住民にはなれない。都市で学校などの行政サービスを受けられない。2004年 に共産中国最大の農民暴動が四川省漢源でおきた。農民暴動がチベット文化圏の暴動と重なれば国家存亡の危機になる。四川で復興に失敗すれば、政治家は生命 までも失いかねない。
中国の政治家に比べて、日本の政治家はぬるい。知的能力は比べるべくもないが、緊張感を決定的に欠く。何をしても殺されない。命がけの覚悟が生じようがない。
東日本大震災で明らかになったことは、政治の貧困である。中央政治だけではない。私は、福島県の被災者の救援活動に関わってきたが、県庁の能力と意欲はひどく低かった。県民を大切にする姿勢が欠如していた。政治が機能していないためだ。
せめて、政治家への入り口を変える必要がある。オバマはシカゴのスラム街で実績を積んだ。明治初頭の四国で、現代につながる影響を残した地方政治家大久保 諶之丞は、幼少時より陽明学を学んだ。青年時代からの献身人生の一部が政治だった。震災を機に、各地で若者が活躍している。こうした若者の中から、次代の 政治家を求めたい。

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宮澤保夫(星槎グループ会長)

私が今回の東日本大震災で福島と関わることになったのは、郡山・仙台にある星槎国際高校学習センターの生徒たちが、自ら被災者であるにもかかわらず、より 深刻な被害を受けた地域の支援にすぐ立ち上がったからです。3月17日から支援に動き始め、全国の星槎グループの生徒、教職員、保護者を動かす原動力にな りました。
当時、私は海外出張中だったため、実際に南相馬市、相馬市に入ったのは4月12日でした。現地はまだ何も手がつけられておらず、すべてが極めて混乱してお りました。中でも際立って問題であったのが、医療の分野です。現場の医師、看護師の方々の疲労は限度を超え、治療を求める被災した人々の不安、不満は極限 に達しておりました。
また、避難所を回った時に目についたのは、子どもたちの行動の異変でした。私たちの学校は、不登校、学習障害、広汎性発達障害などの生徒を中心にした学校運営をしていますので、子どもたちの動作や変化については一般の教師よりも敏感に察知できると思っています。
決まった時間に外に出て、靴に穴が開いても足の指から血が出ても毎日小石を蹴り続けている子。話しかけても全く反応しない子。逆に周りに人がいると夢中に なってしゃべりまくる子。友だちが流されていく姿を何度も何度も話す子。その場所の責任者と話をしている時、突然駆け寄ってきて、「おじさん、そんな怖い 顔してないで。ここは笑顔で話さなきゃいけないの!」と大きな声で話す子等々、挙げればキリがないのですが…。とにかく子どもたちのケアの重要性を強く認 識しました。
一般的な子どものほとんどが、環境によっても違いはありますが、数ヶ月で通常に戻っていきます。人はみな、子どもでも大人でも異常な事態、状況に遭遇した 時、絶望、悲観、無気力、怒りを感じるのが普通です。要は、いかに我々が子どもたちと向き合い、対応するかが問われているのです。一方で、一般児に出てき ているこのような症状が、発達障害系の子どもたちにどのように影響を及ぼすか、また、その見分けと対応も大きな課題となってきます。
心の基本的ニーズというものをある本で読みました。「自律的でありたい」「有能でありたい」「他者と関わりを持ちたい」これらは極めて日常生活の中で普通に行なわれている行為です。
避難所や仮設住宅等では、これらが無視された環境になりやすいのが現状でしょう。これは大人だけでなく、子どもの社会でも全く同じことなのです。そして、 一刻も早く広汎性発達障害等の子どもたちが持つであろう、または既に持っているPTSDに対応できる環境を作り出すことが、今後の大きな課題であることは 間違いないのです。
「世界は苦痛に満ちあふれていますが、それに打ち勝つ力も満ちあふれているものなのです」(ヘレン・ケラー)そう信じています。

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被災地医療支援と政治判断
梅村聡(参議院議員)

2011年3月11日、私は東京都内で一市民として東日本大震災を体験し、当初は自分自身の安全を確保することで精一杯であった。その後、ある政府の方か らの依頼があり被災地医療支援に携わることとなった。最初に関わったのは福島県いわき市からの人工透析患者移送であった。ボランティア(民間)の力で準備 が整ったにも関わらず、それを県も国も実行にうつす決断ができないことに愕然とした。国の某関係者が「東北地方全体の患者移送体制を構築したら、そのシス テムにのせる」と言いはじめたときには「この国は現実から目をそらすのか」と憤慨した。結果的には国にお願いをして「黙認してもらう」形でこの移送作戦を 終えることができた。しかし後々になって冷静に考えてみると、官を単純に責める気にはならない。なぜなら国の言い分は「行政判断」なのだ。「行政判断」を いくら積み重ねても「政治判断」にはならない。行政と政治の役割の違いを思い知らされた。本当の政治主導とは何なのかを考える機会にもなった。その後も私 は「被災者健康支援連絡協議会の創設」「南相馬市の入院病床規制問題」「医療法人に対する原子力損害賠償支払い拒否問題」等に関わり、解決への取り組みを 続けてきた。その取り組みの内容と経緯を皆さんにお話したい。また阪神大震災の時と比較して、日本社会全体の高齢化が進んでいる。東北地方は特に高齢化が 顕著であり、このことは「健康弱者」の方が多いことにもつながる。これから東北地方の街が復旧・復興できるかは、医療・介護体制の整備ができるか否かが最 大のポイントとなるであろう。なぜなら医療・介護提供体制は「社会的共通資本」であり、街づくりの肝だからである。「○○に責任があるから…」ではなく、 国が一義的に責任を持って取り組む課題なのだ。それにむけてそれぞれの立場で、どう関わっていくべきなのかを会場の参加者の皆さんと一緒に考えたい。

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大人たちの積極的思考と行動、そしてなによりパッションを
藤井健志(代々木ゼミナール講師)

通常は都市部を中心に校舎展開し、ビジネスとして教育サービスを提供する側面の強い大学受験予備校の講師。その私たちがビジネス抜きにして、福島県立相馬 高校、原町高校の皆さんとともに学び、また福島県民の方々と交流を持つという貴重な経験をしえたのは、皮肉なことに震災・原発事故という苛酷な災害を契機 としてである。東大経済学部における相馬高校特別研修、相馬高校における大学受験向け特別講義等を通じ、単に復興支援というだけでなく、これからの福島、 これからの日本を背負う若者たちが育ちゆく現場に立てたことは、教育者としてかけがえのない経験となっている。
「福島の若者たちの教育に力を入れている」ということについて、春先以降「地方の若者の教育に成功すると、それが彼らを中央へ、世界へとはばたかせ、結局 地方の人材がいなくなる」という意見もいくつかいただいたが、私はそうは考えない。はばたくべき人材がはばたいていくと同時に、そのような人材を育てられ る魅力的な場所としてその地域が輝きを放てば、人は集まってくる。今いるものを外に出さないという消極策では成長はない。引き寄せ、育て、はばたき、それ がまた新たな人材を引き寄せる…という流れを生み出す積極的姿勢こそが、被災した地域を真に復興させ、それ以上に発展させるのだ。
福島県をはじめ被災した地域の大学への志願者数も昨年比減少しているとするデータもあるが、大手予備校のデータを見ると、福島県立医大の出願動向等ではま た違った傾向も見られる。もちろんそれも必ずしも楽観できるものではないが、全体の動向を見極めつつ、全国に先駆けた積極的教育改革をするチャンスと捉え たい。十八歳人口だけにとどまらず、社会人にまで対象を広げた大学教育や、逆に医科大学の付属中、高等学校の創設などによる早期教育の可能性など、被災 地、そしてこれからの日本にふさわしい施策について議論し、そして実践しなければならない。

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