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Vol.351 村田メールと旧内務省(その2/2)

医療ガバナンス学会 (2011年12月26日 16:00)


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亀田総合病院
小松秀樹
2011年12月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


(その1/2より)

●日本の危機的状況とトクビルの自由主義
今、日本は危機的状況にあります。急速に貧しく、高齢化しつつあります。平成21年度の国民健康保険被保険者3954万人の、1世帯当たり平均所得は 158万円でしかありません。被保険者の所得は、14年間で3分の1減少しました。平均保険料は14万8千円でした。収入からみると残酷といってよい額です。12%の世帯は保険料を払っていません。国民皆保険はすでに破綻しています。これまでの医療・介護サービスは維持できなくなりつつあります。厳しい状況の中で、それなりに満足して人生を全うしてもらうために、医療や介護をどうしていくのがよいか、解決策は見えていません。

国家公務員は、自由な立場で、新しい試みを考え出して、それを実行することは許されていません。村田メールに言及されている庁内調整とは、端的に言えば前 例のない活動を潰す作業ではないでしょうか。官僚には、未来に向かって、斬新な方法を考え出して、危機的状況を突破する能力は、原理的に期待できません。 日本中で、活力を持った個人が、知恵を振り絞って、様々なことを試みなければなりません。めったにないであろう成功体験を、日本中で共有しなければなりません。

活力のある個人の活動は、社会を大きく変えます。未来のスティーブ・ジョブズ(アップル)、ビル・ゲイツ(マイクロソフト)、ラリー・ペイジとサーゲイ・ ブリン(グーグル)が活動を開始した時に、彼らの活動を抑圧してはならないのです。村田メールは、突出した個人を抑圧することにおいて、横並びを強いるこ とにおいて、極めて日本的です。

南相馬市では、これから、被災者が暮らすためのまちづくりが始まります。まちづくりは、高齢化日本の閉塞状況を解決するための実証実験のようなものになり ます。解決の糸口を見つけ出すとすれば、南相馬市のようなフィールドで、これまでにない活動にチャレンジする若者ではないでしょうか。村田メールは、南相 馬市の未来の可能性を閉ざす方向に働きます。

フランスの政治哲学者アレクシス・ド・トクビルは、『アメリカの民主政治』で、中央集権を政治的中央集権と行政的中央集権に分類し、前者は評価しました が、後者については疑問を投げかけています。トクビルの180年前の文章を、村田副市長にも読んでいただきたいものです。日本の現在の危機について書かれ たように感じます。以下、トクビルの文章を引用します。内容をまとめた見出しは筆者によります。

行政的中央集権は、現状維持はできるが、社会を前進させることはできない。
「中央集権は、日常の事務に規則正しい様子を加味したり、社会的警務の詳細事を巧みに指導したり、軽度の無秩序と小軽罪とを抑制したり、本来退歩でも進歩 でもない「現状」に社会を維持したり、行政官たちが良秩序と公安とよびなれている一種の行政的半睡状態を社会のうちに育成したりすることには容易に成功する。つまるところ、中央集権は進んでおこなうのでなく、防止することではすぐれている。ところが、社会を深くゆり動かしたり、社会を速く前進させたりする ことが必要な場合に、中央集権は全く無力なのである。」(講談社学術文庫『アメリカの民主政治 上』182ページ)

国家が、細かいところまで全国民を指導すると、国家が絶対的な主人になり、国家が衰えると全てが衰える。
「ある権威があるとする。それは、わたくしの歓楽が平穏に満たされるのを見張っており、わたくしの行く先々を先廻りして、わたくしが心配しないでもすむよ うにすべての危険を免れるようにしてくれる。この権威はこのようにしてわたくしが通過する途上でどのような小さなとげも除いてくれると同時に、私の生活の 絶対的な主人でもある。そしてまた、この権威はそれが衰えるときにはその周囲ですべてのものが衰え、それが眠るときにはすべてのものが眠り、それが亡びる ならばすべてのものが死滅するにちがいないほどに、それが運動と生存とを独占している。」(講談社学術文庫『アメリカの民主政治 上』184ページ)

行政的中央集権は、活力ある個人を抑圧し、国民を羊のようにしてしまう。政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。
「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばして くる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や征服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネル ギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。 人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制 されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治に まではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだ けの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。」(ウィキペディア「自由主義」からの孫引き 講談社学術文庫『アメ リカの民主政治 下』560ページに相当)

●給食セシウム検査のその後と南相馬市の現在の危機
2011年11月30日、東大の早野教授が桜井市長と面談しました。桜井市長は給食の検査を実施したいという姿勢でしたが、同席した教育委員会事務局の職 員は、大人の方が大事だから、子供から検査する意味が分からないとして、終始反対したとのことです。早野教授はツイッターで発信しました。

僕が一ヶ月前に桜井市長宛に送ったFAXは、教育委員会が握りつぶしていた事が本日判明。子供の食を測定する前にまず大人の食の安全を確立すべきと主張する南相馬教育委員会の実態に愕然。市長は私の主張を正しく理解されたが、これじゃ前途多難。
市長が退席すると、教育委員会の職員は「ということで、この件は無かったことにしてください」と締めくくったとのことです。
教育委員会の職員は、南相馬市の現在の危機を理解していないようです。震災直後は市民の生命が危機にさらされていました。今は、地域社会が存亡の危機にあります。番場さち子氏の文章が、切迫した状況を雄弁に物語っています。

「お年を召した患者はいる。だが、若い者はいない。働く場所はある。だが、働く人はいない。緊急時避難準備区域が解除されても、働き手が帰って来ないのである(引用文献9)。」

南相馬市の最大の問題は、人口問題です。2011年11月27日の南相馬市復興シンポジウムの基調講演で、藻谷浩介氏が延々と人口問題について話していました。震災後子供の数が激減しました。出産がほとんどなくなったので、現状を維持するだけでは、いずれ市は消滅します。まず、学校の除染をして、全ての学 校を再開しなければなりません。その上で、わくわくするような希望のある大きな動きを演出して空気を一変させない限り、地域社会崩壊の流れは止められませ ん。

ポイントは若者と広報です。まちづくり、医療・福祉の再建の主導権を若者に持たせること、外部から若者が入ってくるのを促進すること、それを物語として実 況中継することです。広報も若者に任せなければ、若者を引き付けることはできません。先端産業の誘致は誰もが口にしますが、雇用されるべき若者がいなけれ ば、全く意味がありません。まちづくりや医療・福祉という基礎自治体の根幹部分の再建に若者を参加させることが、先端産業の誘致よりはるかに重要だと思います。
もう一つのポイントは、高齢化社会へ対応です。高齢化は、日本だけではなく、中国、韓国など東アジアの国々の最大の問題です。南相馬市では、仮設住宅 4900人の住むまちを新しく作らなければなりません。通常のまちづくりでは、使えなくなった既存部分を、スクラップしていく過程が最大の問題になります。今回は、この部分がないだけに、大胆なまちづくりが可能です。高齢化社会のまちづくりを、現在進行形のいくつかの物語として演出して、経過を逐一発信 できないものでしょうか。

いずれにしも、若者を引き留め、ひきつけるには、子供の被ばく対策を徹底すること、情報を開示すること、教育を充実させることが必須条件です。
教育委員会の職員は、目先の仕事量を増やさないことだけを考えているように見えます。南相馬市では、教育委員会の職員が、委員による検討を経ずに、市長の 意向を無視してよいのでしょうか。私は、教育委員会の仕事が、未来永劫存続すると信じて疑っていない様子にびっくりしてしまいます。子供がいなくなれば、 教育委員会は存在理由がなくなります。

●役人保護バリアのほころび
村田メール事件が、12月18日付の朝日新聞「プロメテウスの罠」に取り上げられました。記事によると、記者はメール問題で村田副市長に取材を申し込みましたが、南相馬市役所の秘書課から取材を断られました。記事の最後に、南相馬市の秘書課長の発言が引用されていました。

「市立病院をいかに守り、市民のために機能させていくか検討している最中なので、いまは回答できません。それより、市役所内の話がどうして外部にもれたのか」

この発言には二つの問題があります。第一は、村田副市長と同じく、「市役所でひどいことをするより、それを外部に流すことがもっといけないことだ」と主張 していると理解されます。ひどいことがおこなわれていれば、表に出るのは当然です。そもそも、医師は、これを内部の議論とは思っていませんし、村田市長とのやり取りに守秘義務が及ぶとも思っていません。

象徴的な事件を紹介します。1999年、都立広尾病院で、消毒薬が誤って静脈内に投与されたたため患者が死亡しました。院長は、警察への届け出を決意しま したが、東京都病院事業部副参事の反対を受けてこれに従いました。東京都副参事、院長の行動には問題がありました。とくに、院長が都庁の事務官に従ったことは大きな問題です。副参事は罪に問われませんでしたが、院長は医師法21条違反で有罪が確定しました。この最高裁判決は、医師の間では評判が悪いのです が、私は良い影響もあったと思っています。判決は、医師の判断は、医学と自身の良心に基づくべきであって、事務方の事情に基づく判断に従うべきではないという強いメッセージになりました。事務官には、医師の責任の肩代わりはできないのです。

もう一つは、市役所の姿勢です。市役所は、支援を期待して、福島県と福島県立医大の機嫌をとることが、病院を守ることだと判断しているようです。しかし、 福島県立医大の医局は、南相馬市で、急性心筋梗塞に対処できる専門家を引き上げたにもかかわらず、病院が他から専門家を招聘するのを阻止したことがあります。この結果、南相馬市では、急性心筋梗塞の治療ができなくなりました。さらに、福島県のさまざまな医療現場から、原発事故を契機に、福島県立医大の医局を多く医師が離れていると伝わってきました。福島県立医大は、南相馬市を支援できる状況にはないようです。医局は、法律に基づかない自然発生の排他的運命共同体です。外部の医師に対して、参入障壁として存在してきました。福島県と県立医大ばかり見ていると、外からの支援を排除することになりかねません。

私は、村田氏が、坪倉医師と南相馬市立総合病院に対して、なぜ、早い段階で謝罪しないのか不思議に思っていました。日本の医師は、1999年以後の医療 バッシングで鍛えられました。自らの行動に問題があると思えば、素早く、適切に謝罪をします。これが、事態の悪化を防ぎ、自分を守ります。私の見るとこ ろ、官の権力は、役人から危機に対する認知能力と対応能力を奪っています。彼らは野生では生きていけません。通常の社会人は、自らの安全のために、周囲に 気を配り、真摯に危機に対応します。役人は、国-県-市町村の権力による役人保護バリアが、インターネットの発達によって、ほころびつつあることを肝に銘 じておくべきです。

引用文献
9.番場さち子:地域医療亡くなる不安~南相馬市の現状. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.341, 2011年12月16日. http://medg.jp/mt/2011/12/vol341.html

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