医療ガバナンス学会 (2012年1月30日 16:00)
2.医業遂行の自由
憲法はその第22条第1項で、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」と定めた。「職業選択の自由」は、文字どおり職業を選択する自由はもちろんのこととして、その選択した職業を遂行する自由も含む。職業遂行の自由は事業活動の自由と言い換えてもよい。医師に即して 言えば、医業遂行の自由ということになろう。
医業遂行の自由は、経済的自由権の側面もあるが、この中核は精神的自由権である。精神的自由権の代表例は、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由とされているが、医業遂行の自由もそれらと同等の性質を有すると言えよう。
したがって、十分に医学的根拠があって、十分に政策的合理性があるのでなければ、みだりに制約してはならない。
3.医師への従事命令
新型インフルエンザ緊急事態における行政による医師への従事命令は、医学的根拠に乏しく、政策的合理性に欠ける。
行政の素養・能力に関する一例であるが、東日本大震災に関連して発生した福島第一原子力発電所の事故に際し、国が原発5キロ圏に置いたオフサイトセンター (現地対策本部)は住民避難・救助に関して無力であった。地方公共団体である福島県の災害対策本部救援班は、医学的素養に乏しく、そして、法令の杓子定規 な遵守に囚われ、結果として寝たきり患者に過酷な長時間・長距離のバス移動を強いてしまう。また、うまく仕切りもできないにもかかわらず、福島県警察と自 衛隊の連携を仕切ろうとし、結果として情報を寸断させてしまって、多くの寝たきり患者を抱えて5キロ圏内にいた双葉病院や医師・警察官を取り残してしまった。そのような結果を招いた原因は、政策的合理性に欠けた強大な権限を行政が自ら無理に行使しようとしたからである。にもかかわらず、それら自らの不始末の責任を双葉病院長や警察官のせいだとばかりに世論誘導してしまい、結局は双葉病院長がマスコミからのバッシングに遭ってしまった。そのような国や福島県 に比べると、DMATやボランティアを自ら組織して災害対策にあたった医師集団は、素養・能力に格段の違いを示したと言えよう。
震災対策という、そのものは医療と異なる分野においてさえ、こうだった。ましてや、新型インフルエンザ対策となれば、医師にとってはそのもの専門中の専門である。医師と行政では、素養も能力も一層に格段の差が出よう。過去の豚由来新型インフルエンザ騒動の際も、神戸市医師会をはじめとする郡市区医師会や現 場の医師達の活躍ばかりが光った。
やはり、行政による医師への従事命令は、医学的根拠に乏しく政策的合理性に欠けるので、不当・違法と言うにとどまらず、憲法にも違反するように思う。
4. 応招義務の刑罰化
もしも医師への従事命令と共に、命令に従わなかった医師への罰則を設けたとするならば、さらに大問題へと発展する。
医師法第19条第1項は「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と規定した。応招義務を定めた規定だが、そこには罰則がない。患者の緊急重大性、医師・医療機関の実情、地域医療環境の現状などの総合考慮に基づく専門技術的な評価が必要とされるので、一律の罰則になじまないからである。
医師への従事命令にも同様の性質があるので、やはり罰則になじまない。しかし、それにとどまらず、さらに一層重大なポイントもある。それは、医師法の応招 義務では診察治療の求めをするのが「患者」自身であるのに対し、医師への従事命令ではいわば診察治療の求めをするのが「患者」ならぬ「行政」であるという、重大な差異にほかならない。
「患者」は純粋に疾病・負傷に対する診察治療を求めて来るので、医師は応じるのがその本分と言えよう。しかし、「行政」は純粋に「患者」のことしか考慮していないとは言い切れない。「行政」である以上、諸々の政策的考慮を込めているのが当り前であるし、むしろそれこそが正当な行政であろう。したがって、患 者のことだけを純粋に考えるべき医師としては、逆に、行政に盲目的に従ってはならないのである。
やはり、医師への従事命令に罰則を設けることは、応招義務の刑罰化をさらに上回る問題をはらんでいると思う。当然、罰則を設けてはならない。
5.規制的権力行政ではない
新型インフルエンザ対策で大切なことは、新型インフルエンザ患者やその他の全国民に対する医療提供の体制を充実させることに尽きる。国・地方公共団体の役割は、医療現場に必要十分な医療資器材や医薬品を医師・医療機関の要望に応じて迅速・柔軟に供給することであり、新型インフルエンザの発生状況をはじめと する十分な情報を無制限・全面的に提供し続けることであり、緊急の正当業務行為たる医師の診療に対する規制を解いて自由に診療活動をできるようにすること であろう。決して、規制的な権力行政であってはならない。国・地方公共団体は医師に対しては、助成的・調整的な行政活動に徹すべきであると思う。