医療ガバナンス学会 (2012年2月23日 06:00)
≪意見≫
●現状認識
1. 首都圏の急速かつ大規模な高齢化
日本で高齢化が進行している。特に、首都圏の高齢化は急速かつ大規模で、深刻な影響をもたらす。日本社会保障人口問題研究所によると、日本の人口は 2010年から、2030年までの20年間で1195万人減少すると推計されている。 一方で、全国で65歳以上の高齢者人口が726万人増加する。その内の267万人(37%)が首都圏の増加である。 今後20年間で、埼玉県では、一般病床需要が20%増加する(文献1)。療養病床・介護需要は120%増加する。現状で供給が足りていないので、3倍近い 施設が必要になる。このまま対応策が講じられなければ、首都圏のベッドタウンで、孤独死が急増する可能性がある。
2. 国民の貧困化
日本人は急速に貧しくなっている。平成21年度国民健康保険加入者3954万人の、平均世帯所得は158万円にすぎない。14年間で3分の2になった(文献2)。
3. 財政赤字
政府、自治体の財政状況が苦しくなり、財政基盤の弱い自治体は自治体病院を放棄しはじめた。
4. 採算に合わない医療
病院はぎりぎりの費用で運営されている。小児医療、救急医療については診療報酬だけではやっていけない。
5. 自治体病院への他会計負担金
自治体が病院を経営するのは、構造的に難しい。どうしても赤字体質になる。例えば、千葉県医療審議会で配布された資料によると、千葉県立7病院は医業収入 100に対し、医業費用が125かかっている。千葉市立青葉病院は300床程度の病院だが、年間28億円の他会計負担金が投入されている。機能していない 自治体病院に、多額の公費が投入され、かつ、無税である。民間病院への補助金は、ないか、あったとしても額が少なく、使いにくい。しかも、課税される。自 治体病院と民間病院で、同じ診療をしていても入ってくるお金が大幅に異なる。自治体病院と民間病院では、診療報酬が異なると言ってよい。
6. 自治体病院改革ガイドライン
自治体病院改革ガイドラインの目指す方向は、経営効率化、再編・ネットワーク化、経営形態の見直しである。経営効率化は、江戸時代の三大改革同様の日本の 伝統的な考え方、すなわち、「質素・倹約・財政再建」である。無駄の削減は重要だが、過ぎると、投資不足で医療の質とサービスが低下する。患者に見放され て収入が減少し、赤字がさらに膨らむ。再編・ネットワーク化には利害を捨てた真摯な議論が必要である。しかし、自治体は、全体を統率する高い理想を持つ人 格が得にくく、対外交渉において、真摯で建設的な意思の形成ができない。信義を将来に向かって維持することができない。経営形態については、地方独立行政 法人になったとしても、自治体の手かせ足かせから解放されるわけではなく、自由で迅速な経営判断がしにくい。民間への移譲も手段として必要だが、実現の道 筋、具体例が示されていない。
7. 官民のいずれが担当しても公的医療は公的医療
自治体病院改革ガイドラインは公立病院の果たすべき役割として、「1)山間へき地・離島など民間医療機関の立地が困難な過疎地等における一般医療の提供、 2)救急・小児・周産期・災害・精神などの不採算・特殊部門に関わる医療の提供、3)県立がんセンター、県立循環器病センター等地域の民間医療機関では限 界のある高度・先進医療の提供、4)研修の実施等を含む広域的な医師派遣の拠点としての機能」を挙げている。
これを公立病院だけに任せ続けると赤字が増大し、サービスの質は低下する。ちなみに、医療法人の経営する亀田総合病院は、救命救急センター三次指定、小児 救急医療拠点病院、周産期母子医療センター、基幹災害医療センター、臨床研修指定病院の指定などを受けている。東京都の島嶼からヘリ搬送される救急患者を 多数受け入れている。当然ながら高度・先進医療を提供している。千葉県で、亀田総合病院以上に公的医療を担っている自治体病院はない。そもそも医療法人 は、医療を公衆に提供するという公的目的のために設立されている。営利目的の株式会社のように剰余金を分配できない。
8. 医療行政と 税務‐財務行政
自治体は、公的医療を担っている民間病院から、信義則を踏みにじっても、金を取ろうとする。
・安房地域医療センター
安房医師会病院は、22億4000万円の公費による補助を得て、2000年に、24時間365日の救急医療を目的に移転新築された。土地は館山市の無償貸 与だった。労働条件の悪化のため、医師、看護師の退職が相次ぎ、大幅赤字になった。安房医師会病院は、1964年の創設以来、固定資産税を減免されてき た。
2008年4月1日、千葉県と、館山市を含む3市1町から、押しつけられる形で、社会福祉法人太陽会に、負債込で経営が移譲された。移譲後、安房地域医療 センターと名称を変えた。亀田総合病院を経営する医療法人鉄蕉会だと、贈与税がかかるため、引き受けられなかった。より公益性の強い、社会福祉法人で引き 受けた。
移譲後、24時間365日の救急医療は継続された。2009年、2010年、2011年の医業損益は、それぞれ、1億3000万円、1億1400万円、 8800万円の赤字だった。補助金収入などを含めて、2010年にやっと3200万円の黒字になった。2011年5月、救急医療の充実のために、総事業費 14億円の救急棟の建設が始まった。年間750万円、20年間の補助金が交付されることになった。これ以外は借入である。年間の補助金は、毎月の返済額程 度である。
2011年10月、館山市から突然、固定資産税、都市計画税の減免を停止するとの連絡を受けた。これまでの税額は3000万円だった。救急棟が完成すると、税額は5000万円になる。これに返済が加わる。救急医療を主たる業務とする病院では、この額は致命的になりうる。
減免措置の取り止めは、「梯子を外す」行為であるとともに、3市1町で拠出した補助金に、館山市が勝手に税金をかけるのと同じ、あるいは、補助率や負担割 合を勝手に変更するのと同じ行為である。今回のような形で、移譲時の協定の前提、経営の前提を勝手に動かされてしまうと、病院の経営は成り立たず、地域医 療・救急医療を確保するのは不可能になる。協定の前提、経営の前提を動かすのであれば、協定当事者間で事前協議があってしかるべきであろう。
館山市長は、減免措置の根拠となる条項を削除する条例改正案を、館山市議会へ提出した。改正案が成立すると、市長の権限が制限されて、減免が不可能にな る。改正案は、減免措置停止の責任を議会に負わせるものである。この改正案を、十分な説明や議論のないまま、すなわち、意図を隠したまま可決しようとし た。議員は、この改正案が救急医療に関係があるとは想像もしていなかった。この改正案はその後取り下げられたが、市長の権限で減免停止は可能である。問題 は2012年2月8日段階では解決していない。
・日大光が丘病院(2011-12-16 日大光が丘病院問題・水面下交渉の50億円 新小児科医のつぶやき http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20111216 )
2011年11月25日付けの日大医学部同窓新聞によれば、日大は、練馬区に用立てた50億円の返還を求めてきた。練馬区は了解可能な説明をしていない。 2月1日の読売新聞によると、1月31日、志村豊志郎練馬区長が「患者を捨てていく発想がわからない」と日大を非難した。日大側からは、一方的で無責任な 発言と見えるだろう。この発言で、日大が光が丘病院に残る可能性は完全になくなった。
税務・財務行政が、医療行政と議論することなく、勝手に動いているように見える。医療法人は、ぎりぎりの経営をしている。働きの悪い自治体病院に多額の税金を投入し、一方で、公的医療を支えている民間病院から搾取するようなことが続けば、日本の医療は立ち行かない。
9. 行政が信義則違反を犯してしまう理由
自治体は行政権を有する。民間病院と対等の立場にはない。対等の立場での契約が成り立たない。規則を盾に、将来の自らの行動の自由を確保する。担当者が変わったので過去の経緯は分からないなどとして、簡単に信義則を破る。
村上淳一氏によると、「ヨーロッパ中世においては、地域的諸権力が自力行使に訴えてでも主張するさまざまの個別的権利の、相互的義務づけとしての契約複合 が、法であった」、「初期近代においてようやく、法とは権利者たちの契約複合ではなく支配者ないし国家の命令であるという見方が、徐々に優勢になる」。 (文献3)
近代国家では、法が契約複合ではなく、国家の命令になっている。これが官と民間の関係を一方的にしている。自治体‐政治家と病院の交渉は、信義則が成立しないので極めて難しい。
10. 政治家の言葉
政治家は選挙のために、あるいは、その場しのぎで簡単に主張を変える。自分の立場を守るために無理な発言をする。新小児科医のつぶやきに日大の対応と区長選挙の日程が示されている。
2010年2月 日大からの光ヶ丘病院撤退の申し入れ
2011年3月 日大は一旦撤退を撤回
2011年4月 練馬区長選挙
2011年7月 日大から撤退の決定通告
練馬区長が日大との交渉でどのような姿勢を示したか。練馬区長が納得できる説明をしない限り、選挙前と選挙後に態度を一変させたと想像されるのは仕方がな い。日大の失敗は交渉を長期間にわたり水面下で行ってきたことである。報道によると、埼玉県の上田県知事は、小児科入院休止で志木市の対応を批判した。 「医師派遣などの支援をしていきたい」と言いつつ、その後、「常勤医師の派遣は困難である」と発言した。県知事の発言自体に、言葉の重みがない。県知事と しての見識が疑われる。
●日本全体に関わる提案
1. 小児科、救急医療の診療報酬をそれだけで成り立つように増額する。診療報酬に地域差を設けることも考慮する。患者には別に手当てする。
2. 自治体病院の赤字体質をこのまま放置すると、国家と自治体の財政が破綻する。国立病院、自治体病院、民間病院に限らず、パフォーマンスの悪い病院を退場させる必要がある。一方で、新たな参入を容易にしなければならない。
3. 官と民、公と私
官が行っている医療が公的医療というわけではない。診療報酬で賄えない公的医療があるとすれば、これを定義して、国公立病院と民間病院の扱いを平等にす る。自治体病院への他会計負担金、民間病院への補助金を統一的に扱う。現状のように、官ばかり優遇していると、医療にかかる費用が増大するだけでなく、医 療が供給できなくなる。
4. 東西の不平等の解消
平成21年度の市町村国保と後期高齢者の医療費は、全国平均を1として、最大が高知県で1.286、最低は千葉県で0.816、下から二番目が埼玉県で 0.831だった。高知県は千葉県の1.58倍、埼玉県の1.55倍の医療費を使っている。平成21年度の市町村国保の財源のうち、加入者からの保険料は 23%。純粋な国庫負担が24%でほぼ同額である。都道府県負担と市町村負担がそれぞれ6.4、6.3%だった。この中には、国から地方への交付金が含ま れる。現状だと、高知県民と埼玉県民では一人当たりの国費の投入のされ方が異なる。平等ではない。
5. 集約化
鴨川市では、一般病床の医療のほとんどを亀田総合病院が担っている。平成20年度の後期高齢者一人当たりの医療費は、千葉県は全国41位と低かった。平成 21年度の鴨川市の後期高齢者の一人当たりの医療費は、千葉県の平均より6万円低い。旭中央病院のある旭市の後期高齢者医療費はさらに低い。集約化は医療 費を引き下げる可能性がある。
6. 日本の医療には、強い意思を持つ経営主体が不足している。経営専門家と経営者の間でコンセンサスの得られた知識の総量が不足している。さらに、経営実務者の知識を共有するための実務者によるメディアが必要である。
7. 自治体に信義則を守らせるための、仕組み、契約を考案する。最初におこなうべきは、自治体に書式を作らせないことである。
8. 自治体病院民営化の成功モデルを作る。現状では、破綻した自治体病院の民営化が可能だとは思われていない。
●地域と市に対する提案
1. 医師と看護師の養成
埼玉県は医師・看護師が極端に不足している。医師、看護師を養成すべきである。
2. 現状の志木市立市民病院の継続は財政的に無理
100床の小児科主体の病院は赤字必至である。2011年10月29日の東京新聞は市の財務担当者の意見を以下のように伝えた。「小児・小児外科入院診療 の看板を下ろし、高齢者向けの訪問介護や在宅診療の充実などに比重を移そうと考えている」赤字が常態化している志木市立市民病院。市の財務担当者は、こう 明かした。「このままでは立ち行かないからです」。
財務担当者の発言通り、従来の形態を継続することは困難である。高齢化により、埼玉県では、介護需要が急増する。財政規模の小さい市として、小児救急を維持できないとすれば、高齢者へのサービスに切り替えるのは、極めて合理的である。
3. 病院をどうするのか
従来の志木市立市民病院の形態では、膨大な赤字が継続的に生じる。現在勤務している小児科医の年齢から判断して、現状のままなら、近い将来、小児科のパフォーマンスは低下する。とりうる方針としては、3つ考えられる。
1)市立病院として継続する。2)他の経営主体に病院を運営してもらう。3)廃院とする。
現状のサイズと診療科では、赤字必至。24時間365日の二次救急を行うとすれば、医師数を40名以上にする必要がある。1)を選択すれば、財政問題が生 じる。多額の投資を伴う抜本的な改革が必要である。市民、近隣自治体の住民に増税を受け入れさせる必要がある。2)を選択するとしても、老朽化した100 床の病院を引き受ける民間医療機関があるとは思えない。市が、よほどの条件を将来保障される形で提示しない限り、どこの大学も相手にしない。規則を盾に、 市が勝手に条件を変えられるような形式の契約を押し付けるとすれば、民間医療機関は経営を引き受けない。廃院として、民間病院の参入をしやすいような条件 を整えることを考えてよい。志木市の医師数は人口10万人当たり、77人と極端に少ない。発展途上国並みである。民間病院に参入を促すのも現実的な態度で はないか。
いずれにしても、小児救急体制整備は市の能力を超える。二次医療圏で考えるべきである。基本的には、埼玉県の医療計画制度の中で対応すべきことである。体 制整備の責任は、県知事にある。ただし、医療計画制度は、法令上の目的と異なり、病床の抑制手段であって、不足している地域で医療を整備できるような制度 ではない。現行の各県の医療計画は横並びだが、このままでは首都圏の医療は荒廃する。県知事には、大きな権限があり、医療計画を独自性を盛り込める。首都 圏の知事には大きな責務が課されている。
4. 医師集め
市立病院として独自に医師を集めることは絶望的である。医師養成機関に手がかりがないこともあるが、自治体が医師に信用されていないことが大きい。加えて、埼玉県での医師の養成数が余りに少なすぎる。大学にも医師が余っていないことを、肝に銘ずるべきである。
5. 医療機関を意識した発言を
経緯を見る限り、小児科医の退職は不可避である。1月26日の毎日新聞に、長沼市長の「3小児科医を慰留する」との発言が掲載されていた。医師の移籍先に も話していないという。その場しのぎの話としか受け取られない。参入を要請すべき機関の信頼を低下させる方向に働く。市長には、言葉を大切にした真摯な態 度が望まれる。
6. 公開での議論を
病院の問題を政治家に水面下で対応させると、うまく運ばない。政治家-行政と医師の言語体系が異なることによる。公開で辛口の議論を行い、厳しい医療の実情を市民に理解してもらうことなしに、この問題は改善しない。
7. 埼玉県庁の対応(この部分は志木市民である埼玉医大堤晴彦教授の意見)
・埼玉県庁、県知事は何をしているのか。埼玉県全体の医療行政の責任は、県・県知事にあるはずであるが、その姿が全く見えない。県はどんなビジョンを考えているのか?
・県立の4病院に対して、今後5年間で1000億以上のお金を 使うのに、私的医療機関には雀の涙の補助金があるか否か、という程度。官尊 民卑の典型。
・県の医療行政の最高の有識者会議は、埼玉県医療対策協議会であるはずだが、そこでの議論・提案が、県知事へ全く伝わっていない。あるいは、伝わっているが、無視している。
8. 埼玉県の医療問題は短期的には解決不可能
埼玉県で、医療提供体制の問題が短期的に解決することはありえない。人口動態からみて、今後、悪化し続ける。無理な要求を医師や医療機関にぶつけると、逆効果にしかならない。
埼玉県の医師不足は、歴史に根ざしている。加えて、メディア、埼玉県民の不作為も原因の一端である。市長のその場しのぎの信頼性に乏しい発言も、埼玉県民、志木市民に原因の一端がある。
(文献)
1. 小松俊平, 渡邉政則, 亀田信介:医療計画における基準病床数の算定式と都道府県別将来推計人口を用いた入院需要の推移予測. 厚生の指標, 59, 7-13, 2012.
2. 平成21年度国民健康保険実態調査
3. 村上淳一:歴史的意味論の文脈におけるグローバル化と法. : ハンス・ペーター・マルチュケ・村上淳一編,『グローバル化と法』, 信山社, 東京, pp25-32, 2006.