医療ガバナンス学会 (2012年3月4日 06:00)
隣国にこのような不安定な国があるというのも因果なことです。ただ、振り返ると、紀元前の漢の武帝による朝鮮征服や660年の百済滅亡、つづけて668年 の高句麗滅亡など、日本は半島有事に強い影響を受けてきたものです。そうした歴史観のもと、これから起こる(かもしれない)北朝鮮の崩壊について、私たち は忌避しようとするばかりでなく、ある種の必然として想定する必要があるかと思います。
そこで、問題提起として、ひとつ「架空のシナリオ」を進めてみましょう。
その前兆は、小さな食糧暴動なのかもしれません。享保の大飢饉をはじめ、日本でも幾度となく発生してきた米暴動のように、配給への嘆願が食糧倉庫の襲撃へ と自然に進展するのです。しかし、組織的ではない暴動が横への拡がりをみせることはありませんでした。やがて、いくつかの村が消滅しているとのうわさが流 れるようになりました。暴動を起こした村が粛清されているというのです。北朝鮮の崩壊を恐れる国際社会は、より積極的に食糧支援を続けるようになりました が、労働党地方幹部の倉庫が潤うばかりで、なかなか民衆の腹が満たされることはありませんでした。
日本を含めた国際社会は、この時期にもっと真剣に考えるべきだったのです。崩壊を止めるにはどうすればよいのか。あるいは、崩壊を止められないのなら、ど のような準備をすすめておくべきか。しかし、金正恩政権にも引き継がれた強硬な外交姿勢への対応に翻弄されるばかりで、とくに日本は、その後の貴重な3年間を浪費してしまったのです。
最初の食糧暴動が確認されて3年後の春のことでした。前年の寒波の影響で、北朝鮮民衆にはこれまでにない飢餓が広がっていました。そこにインフルエンザの 流行が重なり、多くの子供たちが死亡しているようでした。ふたたび自然発生的に食糧と医薬品を求める暴動が発生しましたが、例年と異なるのは、鎮圧に出動 したはずの人民軍までもが食糧倉庫を襲いはじめたことでした。こうして、いくつかの北朝鮮の地方都市が一気に無政府状態へと陥ってゆきました。
同年6月、国際社会を驚愕させる事件が発生しました。中朝国境を警備する北朝鮮人民軍の部隊74人が、いきなり鴨緑江を越え、まとめて亡命を希望したので す。精鋭ともいえる部隊の突然の瓦解は、もはや北朝鮮の軍隊に継戦能力がないことを内外に知らしめるものでした。半島における大規模武力衝突の危機は遠の きましたが、韓国との軍事境界線における散発的戦闘と北朝鮮兵士の投降そして亡命が重なっていました。北には核のカードも残されています。ソウルをはじめ とした中核都市では爆弾テロが多発するようになり、韓国の社会不安はさらに高まってゆきました。
その頃、この半島有事に直面した日本政府は、まったくの思考停止状態となっていました。政府高官の発言は楽観論にもとづく他人事ばかりで、いざとなれば米 軍がきっと何とかしてくれると信じているかのようでした。しかし一方で、米国内では、日本が応分の軍事的負担をしようとしないことに対して怒りの声があが るようになっていました。中国やロシアも、日本の外交的無策をあからさまに非難するようになりました。重要な時期に日本は孤立していったのです。各国との チャンネルをもたない政治家が稚拙なスタンドプレーに走り、交渉経験の豊富な外務官僚による根回し外交を許さなかったことも一因でした。
8月、チャンマ(梅雨)が明けるとともに、北朝鮮から船で逃げ出した難民たちが福井から青森にかけての日本海沿岸に流れつくようになりました。最初の1週 間は数百人でしたが、次の週には数千人へと一気に膨れ上がりました。一部の難民は武装したまま日本に流れつき、金正恩への忠誠を忘れていなかったため、こ うした難民の検疫管理は困難を極めていました。
日本国内では、難民を船ごと韓国へ移送することを主張する声もあがっていました。しかし、言うまでもなく韓国の状況はもっと深刻でした。日本に流れついた 難民については、少なくとも半島情勢が鎮静するまでは国内での再定住を進めるしかなかったのです。北陸の沿岸地域には急ごしらえの難民キャンプが建設され ましたが、地域住民の反対運動などもあり、その数は十分とはいえず、多くのボートピープルを不衛生な一次保護施設に押し込めたまま、受け入れ先を待たせる 状況が発生してしまいました。
これが後に、世界中から非難される日本の失態へとつながります。過密な施設内で難民たちに赤痢やコレラなどの感染症が発生し、もともと栄養不良であること もあって、小児を含む多数の難民を死亡させてしまったのです。これら難民に対応する医療者不足も明らかでした。日本の冷酷な排他性として国際的に報道さ れ、悲願の民族統一に向けて血の汗を流す韓国の姿と対比されるようになりました。
法整備も不十分でした。コレラを発症した難民の移送は、感染症法にもとづき都道府県の役割となるのですが、週あたり数十人規模で発生しているコレラ患者の 受け入れ医療機関を探すことなどできるはずがありません。移送目的で借り上げた観光バスに隔離されたコレラ患者たちが、毎日のように車内で死亡していった ため、県の担当者のなかには自殺者すら出ていました。責任を押し付けられた形の自治体と、すでに機能不全に陥っている政府との関係は急速に悪化してゆきま した。
ようやく難民支援特措法が成立したのは9月末のことでした。政府は、難民が流れついている日本海沿岸区域を定めて非常事態を宣言し、建設や輸送、医療など 関係する事業者に対して支援業務への従事を命令できるようになりました。正当な理由なく拒否すれば罰則も適用されます。とくに医療分野については、まず公 立医療機関から従事命令が下される方針が発表されました。ところが、政府の思惑は完全に空回りします。従事命令を怖れた公立病院の医師や看護師たちが、 続々と離職しはじめたのです。地域基幹病院の医師不足がさらに加速し、日本は大混乱に陥ってゆきました。
こうした日本の見苦しい状況を世界は冷ややかに見つめていました。そして、周辺諸国と比較されればされるほど、ナショナリズムは過激になってゆくもので す。在日韓国・朝鮮人を含む外国人への嫌がらせが悪質化してゆきました。それがまた世界に報道されるという悪循環。やがて、日本に対する国際社会による支 援の手は途絶えていったのです。10月までに担当大臣が二度辞任し、ついに、11月には首相が交代しました。日本政府に対応能力がないことは明らかでし た。与野党が足を引っぱりあい、参考人として予算委員会に喚ばれた専門家が「国会は何をやっているんですか!」と涙目で訴えていました。
朝鮮半島には、中米ロが分担する形で平和維持軍が展開し、ようやく安定への足取りが見えてきました。金正恩をはじめとした北朝鮮の政権幹部は、すでに中国 へ亡命していました。統一コストのうち、まず300億ドルの分担金を日本は約束しましたが、朝鮮半島に誕生した統一政府初代大統領のスピーチのなかに「日 本」への謝意が表されることはありませんでした。
日本へ漂着したボートピープルは10万人を越える規模となっていました。さらに、かつて帰国事業で北朝鮮に渡っていた在日朝鮮人や日本人妻およびその家族らが、日本への再定住を希望し、中国や韓国、ロシアの難民キャンプで受け入れを待っています。
翌年の夏、日本では、繰り返し激しい高熱に襲われながら衰弱してゆくという熱病が流行しはじめました。小児や高齢者の死亡例もみられています。血液標本を 作製した医師たちは、患者の赤血球のなかに原虫をみつけて嘆息しました。もはや診断は明らかでした。日本国内でマラリアの流行がはじまっているのです。そ ういえば、北朝鮮では年間数万人規模で三日熱マラリアが発生していたのでした。多数の難民が北朝鮮から流入し、そして夏が来て蚊が媒介すれば、日本でのア ウトブレイクが始まることは容易に想像できることだったはずです。まあ、悔やんでも仕方のないこと。ただ、目下の問題は、日本にはマラリア治療薬がほとん どないことです。
この歴史的危機のさなかにあって、後手後手にすすんでいることは明らかでした。そして、政治の矮小化、縮小する市場経済、官僚組織の衰退、安定雇用の終焉、メディアの情動化・・・下り坂にあった日本のすべてが、いまや転がり落ち始めているかのようでした。
以上、私の他愛のない、かつ専門性のない空想でした(感染症の部分は本気ですけど)。いくつかデジャヴュも織り交ぜましたが、お気づきになりました?
さておき、誤解がないように申し添えますが、私だって北朝鮮が崩壊しないよう祈っています。それに対応する政治力も経済力も、いまの日本にはありませんか ら・・・。できるだけ、金正恩体制が核を放棄し、開放経済を受け入れ、拉致被害者を返し、民主化へ軟着陸するよう支援するのが一番です。
ただ、「大津波は来ないと信じている」みたいに、「北朝鮮は崩壊しないと信じている」というわけには、やっぱりいかないんですよね。昨年、最悪を想定して おくことの大切さを私たちは思い知らされたわけですし、そろそろ北朝鮮情勢の変化を含め、いろいろな国難についての想定をきちんとしたいところです。その 大切さを、いまの日本人ほど痛烈に感じていることはないでしょうから・・・。
【略歴】高山 義浩(たかやま・よしひろ) 沖縄県立中部病院感染症内科医師
国立病院九州医療センター、佐久総合病院、厚生労働省を経て、現在は沖縄県において感染症診療と院内感染対策に従事。沖縄県において感染症診療と院内感染対策に従事。朝日新聞の医療サイト:アピタルにて、感染症と社会の関わりについて連載中(https