医療ガバナンス学会 (2012年3月6日 06:00)
日が経つにつれ被災状況の深刻度が増してゆき、私がその時見たテレビでは、気仙沼の火災がテレビからまるで映画のような光景で流れていた。「これはたたごとではない」と厚労省の荒川医系技官より情報を得て、福島県立医科大学精神科の丹羽教授と東北大学精神科松本先生にボランティアに行きたい旨を伝えた。テレビでの気仙沼の光景が離れず、東北大に行くことにしたが、その時は現地に行く交通手段が見つからなかった。結局3月19日に羽田から福島空港そして、そこからタクシーで東北大学に向かった。交通費は8万円を超え、こんなに高い国内旅行があるんだなと。自分でやっておきながらびっくりしたものだった。
着いた東北大では暖房がついておらず、お湯も出ず、寒いデイケアの部屋におにぎりや水が置かれていた。私はNGOでパキスタンとアフガニスタンで医者を やった経験があるが、その時でも十分に食料はあったし、お湯もでた。「これは本当にただごとではない」と、冷えたおにぎりを食べながら松本先生からぼんや りと翌日の計画を聴いてソファーで仮眠をとった。
3月19日、東北大のチームとしてさまざまな科の先生とバスで気仙沼市立病院に向かった。私は精神科と救急科を専門とする医師であるが、精神科が気仙沼に 入るのは初めてとのことだった。一関あたりを超えたあたりから風景が変わった。がれき、車、そしてなんと船までもが道路に散乱している。「ここが日本か」 といった驚きしかなかった。人生の中であれほど驚いた経験はそうなかったと思う。気仙沼市立病院に着くと、突然検視の依頼を頼まれた。私は検視からは免れたが、聞くと死体が多すぎて手が回らないとのことであった。当日は8日ぶりに自衛隊に救助された男性や、アルコール離脱症状を呈している患者さんなどの対 応をした。
東京に戻り、勤務している病院で震災対策の会議が開かれた。その内容は、「新しい患者は原則受けないように」というものであった。近隣の他の基幹病院は自 家発電などを駆使し、何とか通常の医療を提供しようと努めていた。一方、災害医療拠点病院であり、免震構造もしっかりしているわが病院は新しい患者は 原則受けないという。いったいこの病院は何なのか。私は不本意ながら病院の決定に従った。「本日は薬中心の外来です」などとポスターまで作成したのである。その時の自分への嫌悪感が、私が後々被災地で勤務する決意を確固たるものにしてくれたと思う。このような思いを馳せさせてもらった病院に、今では感謝の念でいっぱいである。
私はその後も時間を作っては被災地に行った。お金はもらえない、仕事も時として過酷であったが、それでも行った。行かなければいけないと勝手に思っていた。しかしながらいつまでもこのような状況が続けられるものではない。交通費など金銭的なものが私の負担となり、自己犠牲で被災地に行っているつもりではなかったが、そのような思いがどうしてももたげてきた。
そこで以前も勤務していた救命救急センターに勤務しようと考えた。最初に気仙沼に行った時、各地の救命救急センターからたくさんのDMATチームが集って いた。これがとにかくかっこよく、そして彼らのチームワークが、一人で来ているボランティアの身には羨ましく感じられた。「そうだ、救命救急センターで働けば被災地と継続的にかかわっていけるだろう」私は大学の精神科医局に所属している医師であるが、年度末で再度救命救急センターへ勤務することとし、かたわら被災地への医療支援を個人的に続けた。
しかしながらこのような生活をつづけているうちに、「これは被災地で医療支援をした方が良いのではないか」と感じるようになっていった。スポットで医療支 援に行くと仕事がある日はいいが、ない日はまったくない。またその土地に住んでないとわからないこともある。そもそも「被災地に医療支援に行く」という言 葉が偽善的だ。自分が優位に立ち、劣っている相手に対して手を差し伸べているような響きがある。自分がしたいことは被災地の医療再生で、これは同じ目線でやれる環境にいないとできないと考えるようになった。またこれは私の自覚の問題で恐縮であるが、このことで、勤めている病院で私が行った嫌悪感も払拭される気がした。
そこで医師でもある相馬市長のお誘いもあり、福島県立医科大学の災害医療支援講座という新講座に4月より勤務することとした。習うより慣れろで、まず被災地に行き、住み、その土地に慣れてからしか、被災地の医療再生はできないのではないか。
時に、「どうしてそんなに被災地の医療再生に力をいれるのか」と聞いてくる人がいる。正直、私もわからない、今の環境で嫌なことがあったからかもしれない し、別の土地に住んでみたいと思ったからかもしれないが、適切な理由が見当たらない。敢えて言うと、被災地を優劣の目で見る姿勢に違和感を感じ、福島の飯 が美味かったということくらいか。あ、酒も美味かった。これは重要である。