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Vol.445 復興の精神―相馬と薩摩、二つの意地

医療ガバナンス学会 (2012年3月28日 06:00)


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東京大学医学部医学科五年
前田 裕斗
2012年3月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


Q. 鎌倉時代から国替えをせず約700年以上同じ地を統治した一族といえば?

答えは相馬家、島津家、相良家である。その中でも最も遠く離れた相馬家、島津家が現代において邂逅するとしたら、なんとも歴史ロマンに溢れる出会いではないだろうか。
私は東京大学医学部医学科の五年生で、今回相馬市立総合病院で働いている坪倉正治医師が知り合いということもあり、福島県相馬市を訪れる機会に恵まれた。ここでは現地で直接見てきた、聞いてきたことをお届けしたいと思う。

今回福島を訪れた目的は、加治木島津家第十三代当主であり、野太刀自顕流の使い手でもある島津義秀さんを相馬高校の剣道部へ紹介し、交流するお手伝いをす ること、また相馬市役所の方々と現地の医療・教育について意見交換を行うことだった。島津家。そう、あの島津家である。関ヶ原では東軍の真只中を敵中突破 で切り抜け、激動の幕末において倒幕の中心となった島津家だ。また、野太刀自顕流とは聞きなれない名前かもしれないが、桜田門外の変で井伊直弼の首を取っ た有村次左衛門、生麦事件でリチャードソンに最初の一撃を加えたとされる奈良原喜左衛門も野太刀自顕流の門弟であり、明治維新を叩き上げた剣法とも言われ ている。

相馬へは仙台から入ることになっていたのだが、迎えに来ていただいたのはなんと相馬高校教諭の高村泰広先生だった。現地の先生がわざわざ仙台まで迎えに来 てくれるなんて、本来ならありえないことではないだろうか。震災後に個人同士が協力し、ネットワークが築かれたからこそこうした状況がありうるのだろう な、と感じた。道すがら高村先生に相馬高校今年度の進学状況について伺ったところ、国公立大学合格者数は前後期合わせて42人とのこと。例年は前後期合わ せて大体30人程度と聞くから、平年比1.4倍の大躍進と言えるだろう。東京からボランティアで教えに来てくれる予備校の先生もおられるそうだ。今、相馬 市の教育がアツい。

相馬までは高速道路と一般道を通って向かった。一般道に入ってしばらくすると、高村先生が「今ちょっと不思議な道を通ってます。」と言う。確かに舗装され ていないし道幅も中途半端だが、どこが不思議なのだろう?その答えが、目の前に現れた。「踏切だ!」そう、我々が通っていたのは新地町の元々常磐線が通っ ていた線路の上だったのだ。「あれが流された駅舎ですよ。」と言われた先には、新地駅の面影はほとんど残っていなかった。
また、途中津波によって津波が直撃した原釜地区で車を止めていただいた。車を止めていただいた場所は相馬港と原釜小浜海水浴場の中間あたりで、元々「はま や」「いがらし」という2つの民宿に挟まれていた通りを一本入ってすぐのところだそうだが、周りには何も建物はなく、残っていたのは基礎だけ。周りに何も 遮るものがないため、海からの風は荒々しく我々に吹き付けてくる。まさに荒涼とした風景だったが、「ずいぶんきれいになったよ。」と高村先生は言う。津波 に襲われてしばらくは、この場所には瓦礫が山積みになっていたのだそうだ。復興が進むにつれ、ここに吹く風もまた変わっていくのだろうか。

【写真1】http://expres.umin.jp/mric/soma1.pdf
↑津波跡にて。向かって左から高村泰広先生、島津義秀さん、前田

相馬高校に到着したのは午後4時半ほどだった。部員や荒義紀先生を初めとする顧問の方々に迎えていただき、稽古が始まった。生徒たちは高校生らしく談笑し ながら取り組んでいたが、島津さんが稽古の見本を見せると空気は一変した。「イァーーーーーーーーー!」と声にならない気迫をこめ、地軸の底まで叩き割ら んばかりに練習用の装置に何度も打ち込んでいく。薩摩藩第二十七代藩主島津斉興は、自顕流の稽古を見て「キチガイ剣術だ」と言って席を立ったと言われてい るが、なるほどと納得してしまった。その後島津さんの指導の下、一人一人が稽古を体験した。島津さんは無闇に叱ることはしないが、決して妥協はせず納得の いくまで繰り返し真剣に指導し続ける。そうして自顕流の精神の一つである、最後までやり通す精神を教えていくのだ。こうした教育は、実際に現場に赴いてし か出来ないだろうと感じた。

【写真2】http://expres.umin.jp/mric/soma2.pdf
↑相馬高校剣道部の皆さんと島津義秀さん

夜は市長を含む相馬市役所の方々と現地の医療・教育についての意見交換を行った。印象的だったのは市長のリーダーシップの下、多彩な人々が相馬市復興のた め働いていたことだ。例えば建設部長の小山健一さんは、国土交通省から派遣されてきた方で、一度は任期を終え中央へ戻るということで花まで貰ったが、震災 を受け相馬市に残ることを決断した。特技はボイスパーカッションという、なんともユニークな方だ。阿部勝弘さんは秘書課係長で、市長の補佐役として尽力し ている。震災後、休みを初めて取れたのはいつですかと聞くと、「四月末か五月か…覚えてないですね。とにかくしばらくは役所に行かない、という日はなかっ たです。」とのことで、当時は市役所に布団を敷いて寝泊りすることもあったそうだ。個人としても相当なストレスがかかり心労の溜まる中、現場の人々はこん なにも頑張っていたのかということに驚かされた。

さて、最後に今回私が経験した中で最も心に残った言葉を記そうと思う。それは、立谷市長の「私が震災当初から守り通している考えが一つある。それは誰のせ いにもしない、ということだ。」という言葉だ。人のせいにしない。天のせいにもしない。誰かの、なにかのせいにすれば誰が責任をとるのか、どこまで補償し てくれるのかといった議論になり結果復興に取り組むのが遅れていく。そうではなく、現場の中で今復興のために何が出来るのか、必要なことはなんなのかを考 え実行していくことが大切だ、と。相馬市の人々は、復興のため現在も頑張っている。

以上が私の相馬訪問記の概要になるが、今回の体験についてもう一度考えてみると、全てにおいて予想外だったという感想が浮かぶ。津波のあとの風景、自顕流 の気迫と精神、そして現場で働く市役所の方々の考え−どれ一つとっても思った通り、ということはなかった。きっとこれは、実際に体験してみないとわからな いことなのだと思う。何かを知りたいのならば、自らの足で現場に行き、自らの目で確かめ、自らの頭で考えよ−そのことをあらためて痛感した。

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