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Vol.446 福島県南相馬市・大町病院から(5)

医療ガバナンス学会 (2012年3月29日 06:00)


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~放射のうのリスクと不便さを甘受して

南相馬市大町病院
佐藤 敏光
2012年3月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


入院患者数は63名(満床は59名)となりました。許可病床の105%(切り捨てで61名)を超えています。月末の退院調整が今から心配種となっています。

今までは月1回のペースで配信していましたが、3.11後1年の院内外の追悼行事や学会出席で、頭の中が良くまとまらなっていました。多くのことを伝えた い、でも多くの事を書くと何を訴えたいのか分からなくなる、これから書くこと以外にも多くの支援、励ましの訪問を受けていますが、お伝えできないことをお 詫びします。

2月21日と22日に金沢で集団災害医学会が開かれて出席しました。自分の演題発表ではなく、本院から群馬県に運ばれた患者さんの受け入れ側(前橋日赤病院)の発表を聞くためです。

以前の地震医療ネットにも書きましたが、本院の入院患者は3月19日に62名 (川俣まで警視庁の護送バス・前橋まで観光バス)、3月20日に13名(鹿島区まで市と病院の救急車・県立医大まで自衛隊などのヘリ・21日に12名群馬 までドクターヘリ)、21日に50名(鹿島区まで自衛隊移送トラック・群馬まで全国の救急車)が搬送され、院内(19日)と院外(21日)の SCU(staying care unit)でトリアージを受けたあと県内の病院に搬送されました。19日は川俣でのサーベイランス、バス乗り換えなどで10時間かかりましたが、全員無事 に搬送することができました。看護師2名、ライフセービングのキャリアーを持つボランティアの方が、20日と21日は鹿島区に来てくれていたDMATの方 がヘリや救急車に同乗してくれたこともありますが、適切なトリアージをして下さった前橋日赤の先生方に感謝する次第です。(重症者は前橋日赤や市内の救急 病院に、重症でない患者は遠隔病院に搬送されました。軽症ではなかったのですが、一番遠い上牧温泉病院、内田病院、沼田病院、沢渡病院、原町日赤病院に運 ばれた13名は今も健在です。)

追記:20日に県立医大に搬送された1名が状態が悪くそのまま入院となりました(3月29日死亡)。群馬県に搬送された患者は19日62名、21日62名で124名で総数は変わりありません。

学会では厚生労働省NBC災害対策専門官の奥村先生のお話も聞くことができました。奥村先生は「知られざる広域医療搬送調整」の中で我々20~30km圏 内の入院患者の搬送計画が決まったのは3月18日で、それまで福島県災害対策本部は患者一人一人のマッチングをしていたことを明らかにされました。

3月14日頃から県の災害対策本部から寝たきりの患者、人工呼吸器の付いている患者、透析患者などの大雑把な分類で患者の内訳の問い合わせが来ていまし た。問い合わせがあるだけで、転院先は決まりませんでした。3月17日に入院中の透析患者さん4名を県立医大の先生の計らいで福島西部病院に転院させたと きも、対策本部から「聞いていない」と救急車を立ち往生させたくらいでした。

去る3月18日に福島県立医大講堂で開かれた『東日本大震災における救急医療』の中で救急医療学講座の島田先生が災害対策本部に当初医療班が含まれていな かったこと、医師が搬送調整に入れたのは搬送計画が決まった後からであることを話されていましたが、県役人の災害医療の不慣れさや国とのコミュニケーショ ンの悪さが避難区域の病院入院患者や介護施設入所者の移動を遅らせたことは否定できない事実だと思います。島田先生が(今回の双葉病院などの死亡事故の原 因は)誰のせいでもない、これからは災害医療コーディネーターの形で行政に医療が係わっていかなければと訴えられていたのが印象的でした。

本院は県立医大から医師の応援の他、重症患者の受け入れの面で大変お世話になっています。皮膚科は震災間もない4月から教授直々来て頂いていましたが、来 月からは震災以来途絶えていた腎高血圧内科の先生の派遣が始まることになりました。避難民の中には運動量の低下、食生活の変化から持病を悪化させたり新た にメタボリックになる人もいて、透析に移行しない医療のニーズは増えています。また放射線の影響ではないと思いますが、急性冠症候群の患者(心肺停止で運 ばれ、ラピチェックやTropTが陽性)も増えており、市立病院で始めている潜在病的患者の早期発見の仕事が重要になっていくと思われます。

『東日本大震災における救急医療』では市立病院の金澤院長のお話もありました。市立病院も我々と同じように看護師さん不足を訴えていました。震災前が 138名で本年1月10日が129名(休職16名含む)だと本院(3月24日現在56名)よりずっと良いようですが、足らない理由は病棟夜勤をこなせる看 護師が少ないのだと思います。

児玉先生や坪倉先生が懸命に除染作業やお子さんの被曝調査をしてくれていますが、それでも南相馬は子供達が安心して住める土地だとは言えません。
渡辺病院は南相馬を諦め、新地町に新病院を建てる構想があるそうです。職員とともにより安全な移動をするのも一つの方法です。でも高齢な多くの市民は付いては行けません。

本院は現在の地で頑張ることを選びました。いかに職員と職員の家族を守るかが大きな問題となっています。職員が遠隔地からの通勤を希望すれば、住宅手当や 通勤手当を補助することにしました。また南相馬に残って様々なリスクを背負いながら働いてくれている職員には危険手当ならぬ勤勉手当を昨年4月に遡って支 給することにしました。病院の純利益を減らすためでもあります。そうしないと東電の賠償金はもらえない仕組みなのです。

残念ながら4月に戻る看護師さんは2名だけです。新たに4名の新人看護師さんが就職予定です。戻れない看護師さんも退職されないでいることは、いつか戻ってくれるのだと淡い希望を抱いています。

(表題の放射のう…は本院看護師がNHK福島放送局に寄せた手記の一節です。仕事の過酷さから能の字も思い出せなくなっていました。)

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