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Vol.462 桜井市長、しっかりしてください

医療ガバナンス学会 (2012年4月12日 06:00)


■ 関連タグ

亀田総合病院
小松 秀樹
2012年4月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


●南相馬市との接触
2011年3月21日、いわき市小名浜ときわ苑の利用者120名と職員60名を鴨川に受け入れた日、田中康夫氏の紹介で、桜井勝延南相馬市長から「20キ ロから30キロ圏に170名の要介護者が取り残されている。なんとかしてもらえないか」と電話で要請されました。この話を、安房医療ネットという医療・介 護の勉強会グループにつなぎました。このグループは、すでに、被災した要介護者の受入れ準備を始めていました。リーダーは亀田総合病院の小野沢滋医師と花 の谷クリニックの伊藤真美医師です。安房医療ネットは、迅速に受け入れ態勢を整え、迎えにいくためのバスまで用意しました。その後、水道が使えるように なったことから、避難希望人数が減少し、要介護者の18名とその家族の約50名だけになりました。結局、福島県が準備をすすめていた栃木県の日光市に全員 避難しました。これが私と南相馬市との最初の接触でした。
次の接触は2011年9月23日。被災地視察の途中、亀田総合病院の亀田信介院長と共に、南相馬市を訪問しました。南相馬市立総合病院で、桜井市長、南相 馬市立総合病院の金澤幸夫院長、及川友好副院長と3時間にわたり意見交換。南相馬市立総合病院への支援を要請されました。この場で、金澤院長は、二次救急 を充実させたいと述べられました。
南相馬市の小高区は、原発20㎞圏内の警戒区域に指定され、すべての病院・診療所は閉鎖されました。市の中心部の原町区は、30㎞圏内の屋内避難区域(後の緊急時避難準備区域)に指定され、入院診療がストップしました。
南相馬市では、震災前に8病院、38診療所が稼動していましたが、2病院、13診療所が閉鎖されました。緊急時避難準備区域の5病院では常勤医師の57%、常勤看護師の55%、その他の職員の42%が離職しました。
南相馬市立総合病院は震災前12名いた常勤医が一時期4名まで減少しました。8月段階で7名に回復しました。8月段階で、看護師は震災前の130名が、 87名に、リハビリ職員は、12名が4名に減少していました。すでに東大医科研の坪倉正治医師が、南相馬市立総合病院で内部被ばくの検査や、健康相談、除 染などで目立った活躍をしていました。坪倉医師は亀田総合病院で初期研修を受けており、亀田に多くの知人がいました。坪倉医師に、亀田総合病院で南相馬の 状況を講演で紹介してもらいました。

●医師・リハビリ職員の派遣と「攻めの医師募集プロジェクト」
南相馬市の要請を受けて、亀田総合病院から、医師とリハビリ職員を出向させることになりました。金澤院長からは、施設基準を一段階上げるために、作業療法士を派遣してほしいと要請されました。
2011年11月1日付けで、山本喜文理学療法士、大瀬律子作業療法士、原澤慶太郎医師が出向しました。原澤医師は坪倉医師の2年先輩で、研修医仲間でした。
これに先立つ10月、私は、南相馬市立総合病院が、医師30名を一度に募集する案(「攻めの医師募集プロジェクト」)を提案しました(文献1、2)。
30名としたのは、従来の12名という常勤医師数が病床数(230床中180床稼働)に比べて、あまりに少なく、従来の医師数を念頭に医師を募集しても、 若い医師が応募しないと思ったからです。30名募集は、病院経営の経験から生まれた現実的数字です。149床の安房地域医療センターの事業計画では、平成 24年度、常勤医40名を目指しています。安房地域医療センターはかつての安房医師会病院です。24時間365日の救急業務の労働負荷で、医師・看護師の 退職が相次ぎ、破綻しました。2008年4月、亀田総合病院関連の社会福祉法人が、負債込で引き受けました。経営移譲後、医師を増やし続けたことで、収支 は大幅に改善されました。

「攻めの医師募集プロジェクト」の目的は、医師を集めることだけではありません。変化の兆しを示して、沈滞した地元を元気にすること、空気を変えて、様々 なルートからの相双地区への医師の流入を増やすこと、福島県、福島県立医大に対し、相双地区の医療を支援せざるを得ないように圧力をかけることなどを目的 としていました。
亀田総合病院は、福島県の被災者に対し、透析患者移送作戦、老健疎開作戦、人工呼吸器装着患者移送作戦、知的障害者施設疎開作戦など、いくつかの大規模な 支援をしました(文献3、4、5)。私はこれらのすべてにかかわりました。支援者の立場からは、福島県は、しばしば、被災者より、自分たちの面子と利害を 優先させているように見えました。福島県立医大は、福島県の支配下にあり、自立した個人の意見や活動が見えませんでした(文献6、7、8)。私は、福島県 を批判する文章をいくつか発表していました。南相馬市立総合病院を支援することになった後も、福島県と福島県立医大に対する批判を続けました。
狙いの一つは、福島県立医大を刺激して元気にさせることです。学問は、自由な個人が基本です。個人の自由な活動を抑圧することは、大学としては自殺行為で す。金澤院長には、福島県立医大が私に反発すれば、同調するように勧めました。我々の支援に対抗させて、福島県立医大にも、南相馬にコミットさせようと 思ったからです。

●村田副市長と市役所
我々の支援に対して、市役所はしばしば非協力的でした。2011年11月14日、村田副市長から坪倉医師に「村田メール」が送られてきました。
これに先立って、東京大学の早野龍五教授は、南相馬市に対し、自らの費用負担で、給食のセシウム検査を実施することを提案していました。教育委員会の職員 は、早野教授の提案に対し「大人の方が大事だから、子供から検査する意味が分からない」と主張をして、取り合おうとしませんでした。結局、教育委員会は、 早野提案を市長に報告することなく握りつぶしていました。坪倉医師は、市長、副市長にこの提案がどうなったのか問い合わせました。村田副市長は、坪倉医師 が市長に問い合わせたことを問題視しました。
「特別職に対して原因を調べろという趣旨のメールになっていますから、私に対してはともかく、市長に対しては失礼極まりない行為であり、また、今回のよう な意見をお持ちでありながら、組織として総合病院がどのような庁内調整をされているのかが全く見えてきません。言葉は良くありませんが、これでは単なる一 職員による感情任せの『ちくり』としてしか扱うことが出来ません。ご自身の責任や立場を踏まえられた行動をお願いしたいと思います。」

村田メールは、内部被ばくのデータを公表したことについても、坪倉医師を非難しました。
「この際申し上げますが、WBCや尿検査の問題など、市民を巻き込むような話題において重大な守秘義務違反を繰り返されていることは、極めて遺憾です。こ れらの問題について何らの反省や状況報告がなされないままで今回のようなメールを頂戴し、上から職員を押さえつけるような事態が生じれば、ますます総合病 院の立場は苦しくなるものと思います。」

村田副市長は総務省キャリアで、37歳。住民の内部被ばくのデータの隠蔽など許されることではありません。私は「村田メールと旧内務省」(文献9、10) と題する文章を発表して、背景にある総務省の体質を批判しました。実際、市役所はさまざまな場面で医療の障害になりました。
南相馬市では、市役所が市立総合病院の職員採用の全権限を握っていました。事務対応は民間では考えられないほど遅く、出向していた医師の給与がきちんと支 払われたのは、4カ月も後になってからでした。支援のためにリハビリ職員が出向していたにも関わらず、市はリハビリ職員を募集していませんでした。亀田か らの出向は一時的なものにすぎません。私は、募集を要請しました。
市役所は被災者支援にも熱心ではありませんでした。仮設住宅の住環境は良好とはいえません。被災者に対するインフルエンザワクチン、肺炎球菌ワクチンの集 団接種が、原澤医師の最初の仕事になりました。ところが、市役所は、「仮設住宅集会所での医療行為は許可できない」「市としては協力できない」「開業医の 先生方に迷惑がかかる」などとして協力する姿勢を見せませんでした。何もしない医師会に報酬を渡そうとする案まで浮上しました。さすがに、これでは医師会 に非難が集中しかねません。原澤医師が、高橋亨平南相馬市医師会長に直談判したところ、邪魔されるどころか、逆に激励されました。

2011年11月16日、私は、桜井市長へのメールで、村田副市長に医療に関わらせないよう要求しましたが、返事はありませんでした。
2011年12月17日、東京で、桜井市長から、「攻めの医師募集プロジェクト」を実施してほしいと最終的に依頼されました。福島県に要請しても、十分な 医師の派遣が見込めないためだと説明されました。東大医科研の上昌広教授が同席しました。私は、市役所が医療の阻害要因になっていることを説明しました。 市長には、市立病院の採用枠の上限を決めて、後は金澤院長に一任するよう強く申し入れました。市長はこれを了承しました。
市立病院だけでなく、一般病床を開いている30キロ圏内の大町病院、小野田病院にもこのプロジェクトに参加するよう声をかけました。大町病院は参加を断り、小野田病院は参加することになりました。
「攻めの医師募集プロジェクト」の提案と前後して、立谷秀清相馬市長の尽力で、福島県立医大に寄付講座「災害医療支援講座」が4月に立ちあげられることに なりました。医師は、個々の病院に帰属しなくても、この講座に所属したまま、相双地区の病院で活動することができることになりました。獨協医科大学神経内 科准教授の小鷹昌明医師、関東労災病院精神科部長の久村正樹医師などが、この制度を利用することになりました。少なくとも、小鷹、久村医師については、 「攻めの医師募集プロジェクト」が赴任の後押しになったと聞いています。

●不可解な採用試験
2012年3月4日に東京で開催されたシンポジウム「震災後1年 健康と医療の再生に向けて」で、南相馬市立総合病院の及川副院長は「徐々に医師は増えて いる」「今、一番深刻なのは看護師不足」と訴えました。桜井市長は「市役所の職員が60人、看護師を含めると130人が退職した」と説明し、看護師不足が 最大の問題であるという認識を示しました。
2012年2月27日、南相馬の病院関係者から連絡がありました。

「先日南相馬市立総合病院の看護師採用試験がありました。26名の募集に対して、16名が応募。ところが、市が7名を不採用としました。
試験内容は面接と800字の作文で、50点以上が合格だそうです。」
「面接官には、医師・看護師は入っておらず、村田副市長、教育委員長、市の部長級職員で構成されています。看護師の増員は必須と考えます。看護師は現地での募集以外に道がない中で、これは現場の士気に関わる問題です。」

総務省からの出向官僚が、メール事件に懲りずに、病院運営を邪魔していました。私は、市長に問い合わせました。
◇市長
「市内の病院に在職したまま応募している人がいる。トラブルの元を作ることはできない。混乱は避けなければならない。」
◇私の反論
「人間関係に行き詰った看護師にとって、勤務先の変更はとりうる選択肢。」
トラブルの防止というより、実態は、市役所と地元のボスによる職業選択の自由の侵害に他なりません。実際、南相馬では、震災時に病院を離れたグループと 残ったグループの間に根深い反目が生じて、問題になっています。南相馬全体からみれば、勤務先の病院を変更しても、地元に残ってくれる方が良いはずです。

◇別の関係者
「市立総合病院が求められている役割と看護師不足は認識しているものの、基準得点に達しないため、試験結果としてやむなく不合格にしたとのことでした。」
「採点にどのようなことがどれだけ評価されたかの詳細は不明ですが、市内医療機関相互の引き抜きと揶揄されることのないこと、原稿用紙2枚の作文について 1枚の半分程度と内容はともかく出題されたテーマに応えてないこと、市職員としてのもつべき見識に問題があるとの説明でした。」
◇さらに別の関係者
「看護師さんは7名が落ちています。4名は市内の病院に勤務中の方です。3名は震災後のある時期に当院を退職された方です。1人は地域医療の作文が半分しかかけなかったため、あとの2名は面接で落ちたそうです。」

2012年3月22日、以下の情報が寄せられました。
「応募のあった看護師を半分、市が落とした話の続報です。リハビリ職員から以下の連絡がありました。『リハビリの責任者が作業療法士協会に頼み込んで、募 集のアナウンスを出してもらいました。それを見て応募してくれた作業療法士が、南相馬の試験に落ちました。大きな打撃です。みんな怒り心頭です。』落とし た基準が全く見えないのと、そこに院長をはじめとする医療従事者が関わっていないことの理不尽さは耐えかねます。」

●田舎政治が医療を滅ぼす
日本中で看護師が不足しています。資格を持つ看護師の半数を試験で落とす病院はありません。看護師の採用を、市役所の幹部だけで判断するなど、あり得ない話です。被災地の市役所職員が忙しすぎて疲弊していると聞いています。権限を譲れば少しは楽になるはずです。
そもそも試験が適切だったとは思いません。看護師には、看護師としての見識を問えばよいのです。市職員としての見識を問うこと自体、出題者の視野の狭さを証明します。
少なくとも、医師と行政官の倫理は異なります。行政官は法に従わなければなりませんが、医師は、法より、科学と自らの良心を優先しなければなりません。
長い作文をよいとするのも、役人の悪弊です。各県の地域医療計画は、数百ページの長大なものですが、実質的に意味のある部分は数ページだけです。先述の安 房地域医療センターの事業計画は、予算部分を除けば、2ページにすぎません。一読して理解でき、職員、特に幹部職員が方向性を共有することが重要なので す。
他の病院からの引き抜きがいけないとのことですが、南相馬市立総合病院を退職した看護師の採用は、どう考えても引き抜きではありません。

自治体病院はいくつかの原理的問題を抱えています。最大の問題は、医療を知らない市役所が病院を支配すること、議員が自らの都合で病院運営に介入すること です。南相馬市では、市立総合病院が一人勝ちするのが気に食わないとして、病院の採用活動を邪魔する市議会議員がいると聞きました。医療に政争を持ち込め ば、医療従事者の信頼を失います。医療従事者の信頼を失えば、南相馬市立総合病院は職員を集められず、病院を運営できません。

私は、南相馬市とは無関係の一私人です。自由な立場から、南相馬の状況を発信することは、事情を知る者の責務だと思っています。看護師採用問題の全責任 は、背景がどうであろうと、桜井市長にあります。行政は市長が執行するのであって、市役所職員は、その補助者にすぎません。医療を知らない市役所幹部が、 病院人事を担当するのを許したのは、桜井市長です。桜井市長の判断は、南相馬市立総合病院の機能を低下させる方向に機能しました。政治的取引を市民への医 療提供に優先させた可能性があります。
私は、支援活動の方向を、この地域の医療の自立に向けてきました。従来、南相馬の医療は、福島県立医大に依存しすぎていました。地域医療に責任を持つ自立した主体がない限り、福島県立医大の都合優先になり、地域にとって最適な医療提供体制を整えにくくなります。
震災後、南相馬市では、多くの子供と子育て世代が市を去りました。高齢者が相対的に増えました。今後、人口が減少し続けると予想されています。このままで は、近い将来、市制を維持することが、住民を幸せにするのに適切かどうかが問題になります。しかも、自立可能な研修病院を支えるためには、従来の南相馬市 でも小さすぎるのです。南相馬市の危機的状況は今後も継続し、対応のためには、市を越えた協働が必要です。果たして、この地域の政治家に、現実を認識する 能力と現実を前提とする勇気があるのでしょうか。

≪文献≫
1)小松秀樹:南相馬市『攻めの医師募集』プロジェクトの提案(1). m3.com 医療維新 2012年1月16日. http://www.m3.com/iryoIshin/article/146660/
2)小松秀樹:南相馬市『攻めの医師募集』プロジェクトの提案(2). m3.com 医療維新 2012年1月18日. http://www.m3.com/iryoIshin/article/146661/
3)小松秀樹大規模災害時の医療・介護(その1/3) MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン;Vol.232, 2011年8月10日. http://medg.jp/mt/2011/08/vol232-13.html#more
4)小松秀樹大規模災害時の医療・介護(その2/3 ). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン;Vol.233, 2011年8月11日.

http://medg.jp/mt/2011/08/vol233-23.html#more

5)小松秀樹大規模災害時の医療・介護(その3/3 ). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン;Vol.234, 2011年8月12日. http://medg.jp/mt/2011/08/vol234-33.html#more
6)福島県の横暴、福島県立医大の悲劇. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン;Vol.277, 2011年9月27日. http://medg.jp/mt/2011/09/vol277.html
7)小松秀樹:無理です山下さん、やめてください福島県(その1/2). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.318, 2011年11月18日.

http://medg.jp/mt/2011/11/vol318-12.html

8)小松秀樹:無理です山下さん、やめてください福島県(その2/2). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.319, 2011年11月19日.

http://medg.jp/mt/2011/11/vol319-22.html#more

9)小松秀樹:村田メールと旧内務省(その1/2). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.350, 2011年12月26日. http://medg.jp/mt/2011/12/vol35012.html
10)小松秀樹:村田メールと旧内務省(その2 /2). MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.351, 2011年12月26日. http://medg.jp/mt/2011/12/vol35122.html

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