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臨時 vol 197「「ふつうの人」と経済・社会制度」

医療ガバナンス学会 (2008年12月19日 11:44)


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東京大学経済学研究科
READ (Research on Economy And Disability)
松井彰彦

今さら何をと思われるかもしれないが、世の中は「ふつうの人」を基準に組み
立てられている。ふつうの人が上れるからこその階段だし、ふつうの人が乗れる
からこその公共交通機関である。これらの目に見えるバリアのほかに、見えない
バリアというものもある。われわれが普段気にも留めない所得税制なども障害者
にとっては思わぬ「障害(バリア)」となる。

たとえば手取り足取り教えられないと仕事ができない人がいる。世の中では知
的障害者と呼ばれている。現場の上司がわかりやすくシールを貼ったり、やって
はいけないことを繰り返し説明したりしながらようやく仕事を覚えて何とか役に
立つようになる。自分で意見も言えるようになる。そうやって能力を伸ばしていっ
たある日、一般就労ができるくらいだからと障害等級を下げられてしまう。勤め
先からもらう給与は月10万円程度。一方、等級の変更に伴って失った障害者年
金は6万円超。10万円を余分に稼いで、収入が16万円になるところ、6万円
を政府から減額されて10万円となったわけだから、税率に換算すると、60%。
この等級の変更の決定が前もって知らされておらず、突然医師によって「宣告」
されるため、その不透明感は、いわゆる被扶養家族の「130万円の壁」問題と
比べても著しい。さらに、この人は職を失ったとき、ふたたび等級を上げてもら
える保証はどこにもない。低所得者の働く意欲を殺(そ)ぐしくみだが、これが
「ふつう」の所得体系に乗らない人たちに起こっていることだ。

オフィスで事務職として働けるくらいだから2級ではなく、3級だろうという
医師の判断そのものを責めるつもりは毛頭ない。しかし、能力を上げていったこ
とに対する対価として、将来にわたって6万円超の年金を受け取る権利を剥奪す
ることは、福祉関係者のみならず、その思考法の点で福祉関係者とは水と油の関
係にあると言われる経済学者にとっても許しがたい愚かな制度である。

人はパンのみによって生きるわけではないが、パンがなくては生きられないの
もまた道理である。政府は働く意欲を高めるため、高所得者の(限界)税率を下
げてきた。現在では少し下げ基調に変化があったものの、地方税を入れても50
%程度である。税率が高すぎると働く意欲を減じることになる、というのが税率
低減の理由である。ちなみに、少し数字を紹介しておくと、平成20年5月1日
現在の所得税の税率は、課税される所得金額に対する限界税率(=所得が1円上
がるごとに、増える税額を%で表示したもの)で示すと、以下のようになる。

*** 所得と税率 ***
195万円以下       5%
195万円超 330万円以下 10%
330万円超 695万円以下 20%
695万円超 900万円以下 23%
900万円超 1800万円以下 33%
1800万円超        40%
***

個人の負担感としては、これに10%程度の地方税を加える必要がある。いずれ
にせよ、この数字から分かるように、低所得層にかかる(限界)税率は極めて低
い。にもかかわらず、前述のケースでは、60%もの高い「税率」が低所得者にか
けられてしまったのである。これは、障害者基礎年金という制度と所得税という
制度の間に整合性がなく、障害者が障害者基礎年金制度から通常の所得税制に移
行した途端に不利益変更を受けた典型例である。このような施策は、働くために
苦労して能力を高めるよりは、楽をして年金生活を送ったほうがまし、という風
潮を助長しないとも限らない。それは「弱者」を守り助けるという福祉の観点か
らも、経済全体の生産性を高めるべきと主張する経済の観点からも極めて不満足
な制度と言わざるを得ないだろう。

ただし、問題の根源にあるのは、必ずしも60%という高い「税率」によって生
じる働く意欲の減退のみではなく、「ふつうの人」と「そうでない人」を分け隔
てる制度のあり方そのものである。所得税制は「ふつうの人」を想定して組み立
てられている。もちろん、その「ふつうの人」には働くことが難しいとされてき
た人々は含まれない。「ふつうの人」の範疇には入れられない人々を「障害者」
と呼び、かれらを特別扱いしてきた。これは必ずしも差別とは限らない。むしろ、
少なくとも障害者基礎年金などの措置は優遇措置と言ってもいいだろう。問題は、
「ふつうの人」のための制度と「ふつうでない人」のための制度の狭間で生じる
エアポケットである。

このエアポケットを解消するために何をすべきか。一つは障害者基礎年金の額
を決める障害等級の認定は認定として、年金額の変更をする際の激変緩和措置の
導入が考えられよう。いきなり6万円超の年金をゼロにするのではなく、等級の
見直しごとに何割かを削っていくのである。これによって、就労意欲の維持を図
りつつ、財政負担の減少を目指す。仕事による給与と年金を合わせた額が月20
万円などの上限に達しない場合、年金の減少額を給与所得への税率換算で(たと
えば)30%を超えないなどの方策が考えられよう。

生活保護制度と最低賃金制度、サラリーマン世帯の「130万円の壁」など、
上へ伸びようとする人々の意欲を殺ぐ制度間、ないし制度内のきしみはほかにも
数多くある。今、これらを点検し、改善していくことがわれわれの社会をよくし
ていくために求められている。

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