医療ガバナンス学会 (2012年5月24日 16:00)
折田雄一・滋賀県医師会参与は同特集の中でつぎのように述べています。「わが国でも深い医学の闇はあった。満州の731部隊(石井部隊)の生体実験や、九 州大学の生体解剖事件などがその代表例である。しかし、日本国民はこれらの事件の重要性に気付かずに、731部隊事件は米ソの冷戦の中で闇の中に消え、生 体解剖事件は個人の犯罪に矮小化されて、日本の医学界の反省にはつながらなかった」(2557頁)。
「医の倫理」を語るには「わが国でも深い医学の闇(満州の731部隊=石井部隊の生体実験など)」の存在したことを認めることがまず必要です。倫理には絶えざる反省が必要だからです。折田参与のこの認識は正しい認識です。
終戦直後には「日本国民はこれらの事件の重要性に気付かずに」いたかもしれません。しかし、今の社会では常識になっています。戦中も終戦後も「これらの事 件の重要性」を日本の医学界は当然知っていたはずです。だからこそ日本の医学界はそれを隠そうとしたのです。そしてそれに手を貸した日本医師会も当然知っ ているはずです。日本国民が気付かなかったら、反省しなくてよいのでしょうか。「わが国の深い医学の闇」を社会は知っています。しかし、いまだに日本の医 学会、日本医師会は反省していません。このような日本の医学界、日本医師会を患者・社会は信用するでしょうか。信用するはずがありません。医療不信の底流 となっているのです。信用を取り戻すためにはこれらの事件を反省するところから始めるしかありません。
「満州の731部隊(石井部隊)の生体実験」は、ドイツ・ナチス政権下で行われた「合法的だが、非人道的な人体実験」と同じです。「非人道的な人体実験」 を隠したい日本の医学会に手を貸した日本医師会は、医師に「時に必要な法への非服従」を求めない「医の倫理」を制定してきました。すなわち「遵法」のみを 求める「医の倫理」を制定してきたのです。日本医師会は医師に「患者の権利(人権)は尊重するが、時には法その他の意向を優先する」ことを求めたのです。 これが「患者の権利(人権)を尊重するだけ」の医療です。その始まりが昭和26年9月制定の『医師の倫理』です。総則には『医師は、正しい医事国策に協力 すべきである』、『医師は、常に人命の尊重を念願すべき』と謳われています(2531頁)。その考えが現在の「医の倫理」にも引き継がれているのです。
日本医師会は世界医師会(WMA)に加入することになりました。そしてWMAの「医の倫理」を日本に紹介する必要が出てきました。WMAの「医の倫理」 は、(二の一)で述べたように、医師に「患者の権利(人権)を最優先し、そのためには、法への非服従をも求める」ものです。そこで日本医師会が行ったのが WMAの「医の倫理」の「意識的な誤訳」と「情報操作」です。その役割を任せるのには法律家が都合よいのです。なぜなら、「かれ(法律家)の職務とすると ころは、たんに現行法を適用することで、現行法そのものが改善の必要がないかどうかを探求することではない」(カント著「永遠の平和のために」、宇都宮芳 明訳、岩波文庫、74頁)からです。
これが、日本医師会が「医の倫理」を法律家に任せている理由です。
つぎに、日本医師会の「医師の倫理・資質向上に向けて」の活動に対する、「意図的誤訳」と「情報操作」の悪影響を述べます。
「意図的誤訳」と「情報操作」によって隠されているWMAの「医の倫理」を要約すると次のようになります。WMAは医師に「患者の権利(人権)を最優先 し、そのためには、法への非服従」を求めています。そのような「個々の医師のあり方」をClinical autonomyあるいはClinical independenceと呼んでいます(なお、日本医師会の訳は「臨床上の独立性」です)。個々の医師にとってこのような「あり方」を維持することは難 しいものです。特に「法」などによる「under threat(脅迫の下)」ではなおさらです。そこでWMAはこのような個々の医師をバックアップするための「医師集団(各国の医師会)のあり方」を考え ました。それがProfessional autonomy(医師集団としての自律)です(日本医師会の片仮名の「プロフェッショナル・オートノミー」とはまったく異なることに注意が必要です)。 その内容は第一に「患者の権利(人権)を最優先」することを宣言することです(「法への非服従」も含まれてきます。「法」などによる「under threat(脅迫の下)」にある医師をバックアップすることになります)。第二に「患者の権利(人権)を最優先」しない医師に対処するための自己規制シ ステムの設立です。処分の判定基準は「患者の権利(人権)を侵害しているか否か」だけです。個々の医師に対して「患者の権利(人権)を最優先」することを 強化することになります。これを述べているのがマドリッド宣言です。「法への非服従」の宣言がIndependenceを意味します。自己規制システムの 設立がSelf-regulationになります。このような医師集団のあり方がカントのAutonomyの概念に一致するので、WMAは Professional autonomyと呼んでいるのです。カントは、反省=自己批判=self-regulationによる意志の自立=independenceを Autonomy(自律)と名付けた(造語した)のです。WMAは個々の医師をバックアップするための「医師集団としてのあり方」を求めて Professional autonomyに至りました。その内容を採択したのがマドリッド宣言ということです。
それでは、日本医師会の「医師の倫理・資質向上に向けて」の活動、すなわち「自己規制システム」はどのように機能しているでしょうか。
もう一度言いますが、WMAの「医の倫理」は「患者の権利(人権)を最優先し、そのためには、法への非服従をも求める」ものです。「自己規制システム」の 判断基準は「患者の権利(人権)を侵害しているか否か」が唯一のものです。一方、日本医師会の「医の倫理」は「患者の権利(人権)を尊重するが、時には法 その他の意向を優先する」ものです。「自己規制システム」の判断基準は何でしょうか。「医の倫理」の内容からは「患者の権利(人権)を尊重しているか否 か、ただし、時には他の意向を優先していてもよい」ことになります。すなわち明確な判断基準が設けられないということです。恣意的であるということです。 これでは、医師をバックアップするのではなく、医師を取り締まるものとなり得ます。
明確な判断基準が設けられないための悩みが随所に見られます。
森岡恭彦・参与は次のように述べています(2536ページ)。「ともあれ、倫理の問題は必ずしも皆が納得できるとは限らず、また時代とともに変化したり、 その実践となるといろいろな課題もあり、さらにその成果となるときわめて評価しがたい。問題はあくまで個人の心掛けに関することであるが、専門職団体、医 師会内の会員の自主的規制も大切で、この方面での地道な努力が必要であり、そのための日本医師会の今後の取り組みに期待したい」。「患者の権利(人権)を 最優先」することに反対する医師がいるでしょうか。そのように「時代とともに変化」してきたのです。人権意識の高まりとともに「患者の権利(人権)を最優 先」することが求められるようになったのです。取り残されているのが日本医師会です。「医師会内の会員の自主規制も大切」です。ただ規制の判断基準が明確 でないから、地域医師会の「地道な努力」も実を結ばないのです。
石川育成・日本医師会自浄作用活性化委員会委員長は次のように述べています(2537頁)。「国民の目はわれわれに決して好意的ではない。医学医療学術団体としてきわめて情けないばかりか、日本医師会の掲げる高邁な理想も空虚に響き、患者と医師の信頼関係が一向に改善されない」。なぜ「国民の目は好意的で ない」のでしょうか。それは日本医師会として「わが国の深い医学の闇」を反省していないからです。「日本医師会の掲げる高邁な理想」が実は高邁な理想では ないからです。国民は「患者の権利(人権)を尊重するが、時には他の意向を優先する」という日本医師会の身勝手さを知っているからです。
法律家が先導する「意図的誤訳」と「情報操作」、その結果が日本医師会の時代遅れのままの「医の倫理」、その結果が判断基準を明確にできない「自己規制システム」、その結果が改善されない医療不信、このような流れが日本の医療界に出来上がっているのです。戦後65年以上が過ぎた現在、当時の関係者のほとん どが時代の舞台から去りました。「意図的誤訳」も「情報操作」ももう必要ありません。不必要になっただけでなく、今では邪魔なのです。
最後に、「意図的誤訳」と「情報操作」によりゆがめられた、マドリッド宣言についての記載について述べます。
WMAのProfessional autonomyは「医師集団としてのあり方」を示すことばです。一方、日本医師会が造語した「プロフェッショナル・オートノミー」は「個々の医師のあり方」を示すことばです。両者の違いを理解したうえで、以下を見てください。
森岡恭彦・参与の文章(2531頁)は典型的な「プロフェッショナル・オートノミー」の例です。マドリッド宣言の骨子の一つとして次のように記載していま す。「医師は患者の最大の利益を考慮し、医療上、外部からの不当な干渉を受けずに患者の診療に当たることが大切で、このプロフェッショナル・オートノミー と臨床上の独立性という権利は社会的に容認されているが、その当然の結果として、医師は自己規律に継続的に責任をもたねばならない」。この文章中、「臨床上の独立性」に相当するのが「医療上、外部からの不当な干渉を受けずに患者の診療に当たること」だと考えられます。そうすると「プロフェッショナル・オー トノミー」に相当する部分は「医師は患者の最大の利益を考慮する」ことになります。すなわち「プロフェッショナル・オートノミー」は「個々の医師としての あり方」を示すことばになっているのです。マドリッド宣言はProfessional autonomyをこのようには用いていません。だからこの記載は過ちです。さらに言うと、引用している文献も過ちです。タイトルの中のMadridは間 違いで、正しくはSeoulです。引用文献も、またその骨子の理解も誤っているのは、法律家が先導してきた「意図的誤訳」、「情報操作」に引きずられてい るからでしょう。
折田雄一・滋賀県医師会参与の論文(2555-2559頁)では英語のAutonomyを使用して「医師集団(医師会)としてのあり方」を述べています。 WMAのマドリッド宣言の第7項を引用しているように、マドリッド宣言が「医師集団としてのあり方」を述べている宣言であることを氏は正しく理解していま す。しかし残念ながら、いわゆる「悪法問題」についての理解が無いため、マドリッド宣言の示すProfessional autonomyを十分には理解していません。「悪法問題」についての理解の無さを示しているのは以下の記載です。「悪法問題」がまったく欠落しているの です。「第二次世界大戦中にナチ政権が行ったユダヤ人絶滅政策は数百万人の無辜の生命を奪った。この事実を知らされた西欧諸国人の精神的苦悩は私たち日本人には想像もできないほど大きかったであろう。その状況の中でドイツの医学の闇が暴かれた。生理学や優生学の名の下に医学上のさまざまな生体実験が行われ た。その結果は戦後のニュールンベルグ裁判の判決で明らかにされ、ニュールンベルグコードが示された。この裁判で明らかにされた医療犯罪的実験に対して世 界中の医師は驚愕して、それが世界医師会(WMA)の結成の動機になったのであろう。その後WMAはさまざまな提言を行っている」(2556頁)。
戦後処理で問題になったのが「悪法問題」です。これら人体実験の多くが前もって法や命令によって「合法」とされていたのです。「合法であるが、非人道的な 人体実験」だったのです。法律には罪刑法定主義があります。犯罪が行われた時点で合法であったものを罰することが出来ないということです。「非人道的な人 体実験を合法」とした「悪法問題」に対して、その合法性を覆すためにとられた方法が自然法を国内法に優先させることでした。「自然法として守られるべき人 権」を「非人道的な人体実験を合法とした国内法」より優先させたのです。罪刑は「Crime against humanity;人道に反する罪」です。「非人道的な人体実験」と「合理的な医学研究に必要な人体実験」を区別したのがニュールンベルグ綱領です。戦時 における「特殊な人体実験」を戦後処理として「特殊な対処」を行ったのがニュールンベルグ裁判でありニュールンベルグ綱領です。
戦後、この「悪法問題」に対応したのが国際連合とWMAです。国際連合は法(国際法)で人権を守ろうとしました。罪刑法定主義に則った方法に戻したのです。WMAは「医の倫理」で(患者の)人権を守ろうとしました。「患者の権利(人権)を最優先し、そのためには、医師に法への非服従をも求める」もので す。このような「個々の医師のあり方」をWMAはClinical independence(あるいはClinical autonomy)と呼んでいます。日本医師会が「臨床上の独立性」と呼んでいるものです。「法への非服従をも求める」ことは個々の医師に任せるだけでは 弱すぎます。そこでWMAが考えたのがこのような医師をバックアップするための「医師集団としてのあり方」です。その内容については上述しました。WMA はそのような「医師集団としてのあり方」をProfessional autonomyと呼んでいるのです。その内容を提言しているのがマドリッド宣言です。
法律家が先導する「意図的誤訳」と「情報操作」の結果、折田雄一・滋賀県医師会参与のマドリッド宣言の理解は不十分なものになっています。それは「悪法問 題」を理解していないからです。「意図的誤訳」と「情報操作」が隠してきたのがこの「悪法問題」です。日本の医学会、日本医師会が触れたくないのがこの 「悪法問題」です。その結果、WMAが行ってきた「様々な提案」(その一つのマドリッド宣言)の意味が理解できていないのです。なお、Autonomyはカントの造語です。カントのAutonomyの代わりに氏が旧約聖書の律法の世界を持ち出すのは、やはり「悪法問題」の無理解の結果です。
法律家に「医の倫理」を任せているため、「患者の権利(人権)を守るためには、時には法への非服従を求める」という「医の倫理」が日本の医療界に入ってきません。その結果、「患者の権利(人権)を尊重するが、時には他の意向を優先させる」という「医の倫理」が日本医師会の「医の倫理」になっています。そし て、これが医療不信の源です。
法律家が主導する「意図的誤訳」と「情報操作」により、日本の医療界はガラパゴス化しています。その結果、「医師の倫理・資質向上」のための地域医師会の地道な取り組みも成果を挙げることができません。「患者と医師の信頼関係が一向に改善されない」のです。
法律家が主導する「意図的誤訳」と「情報操作」の目的は、「わが国にもあった深い医学の闇(満州の731部隊=石井部隊の生体実験など)」の存在を隠すためです。その関係者を倫理的非難から庇うためです。しかし、当時の関係者はすでに時代の舞台から去りました。すでに隠す必要、庇う必要は無いのです。「意 図的誤訳」も「情報操作」も今の医学界、医療界にとっては邪魔になっているのです。
医療不信を無くすためには、医学会は「わが国にもあった深い医学の闇(満州の731部隊=石井部隊の生体実験など)」について反省(何度も公表)することです。日本医師会は法律家に「医の倫理」を任せずに、WMAの「医の倫理」を受け入れることです。
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