医療ガバナンス学会 (2012年6月18日 06:00)
~産科医療補償制度は全診療科の事故調・混合診療の先駆けモデル
この記事はMMJ(The Mainichi medical Journal 毎日医学ジャーナル)6/15発売号より転載です。
井上法律事務所 弁護士
井上 清成
2012年6月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
1. 推進医師と反対医師の公開討論会
7月22日、約4時間にわたって、産科医療補償制度の是非に関する公開討論会が開催される(主催はNPO法人医療制度研究会)。演者は、産科医療補償制度 の原因分析委員会委員長であり運営委員会委員長代理でもあり、制度を積極的に推進してきた産婦人科の岡井崇医師(昭和大学教授)、そして、産科中小施設研 究会世話人として、産科開業医と開業助産所の声を反映し、産科医療補償制度に反対している池下久弥医師(池下レディースチャイルドクリニック院長)の2 名。いわば推進医師と反対医師の2名による公開討論の形での直接対決である。
主に原因分析・再発防止のあり方について、診療ガイドライン遵守度評価の是非、原因分析における当事者主義と職権主義・糾問主義、責任追及の結果評価、公 表による私的制裁の是非、院内事故調査委員会の要否、紛争の増加・減少の評価、手続保障のあり方、結果回避可能性の開示の是非、診療ガイドラインのあり 方、現場の医師や助産師の声、学会や医会の関わり方、日本医療機能評価機構との関わり方などの諸論点にわたって、討論が行われるであろう。
2. 全診療科の医療事故調のモデル
昨年、厚生労働省は、すべての診療科の医療事故死に導入する、無過失補償制度と死因究明制度に関する検討会を立ち上げた。その検討会の想定していた先駆け モデルが、産科医療補償制度である。この制度を運営しているのは日本医療機能評価機構だが、同機構には厚労省から約300億円の出産一時金(保険局担当) と約8000万円の助成金(医政局担当)が投入されている。
多くの同省OBも送り込まれており、公的な制度と言ってよい。厚労省は、産科の先駆けモデルをアレンジして、制度を全診療科に広げようと目論んだ。
本年に入ってからは、無過失補償制度の前にまずは死因究明制度の整備をすべく、検討会の下に部会を発足させた(医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会)。本年中の完結を目指し、毎月1回のハイペースで医療事故調の議論が進んでいる。
医療事故調については各種の見解があるが、いずれも必ずしも実証的なものでない。余り実例が多くないので、いずれの見解もかなり机上のものにとどまってい る。ところが、産科医療補償制度は唯一、無過失補償と医療事故調とがセットになっている生きた先例と言ってよい。当然、善かれ悪しかれ、検証を要する先例 であろう。また、往々にして、そのまま踏襲されがちな先例でもある。
原因分析委員会(岡井崇委員長)による原因分析は、医療事故調の1つの批判的な参考モデルとなろう。ちなみに、産科医療補償制度は、医療事故調に関するかつての厚労省案(第三次試案、医療安全調査委員会設置法案大綱案)と同一の発想に基づく仕組みである。
3. 全診療科の混合診療解禁のモデル
産科医療は、自由診療に保険診療を組み合わせた混合診療と言ってよいと思う。通常、混合診療と言うと、保険診療に自由診療を組み合わせた保険診療中心型の 混合診療を思い浮かべるが、産科医療はその逆で自由診療中心型の混合診療である。しかし、いずれにしても混合診療という点で違いはない。
産科医療で無過失補償制度(正確には「無過失だけ補償制度」ではあるが。)を初めて導入できたのは、この混合診療の構造になじむからであった。産科医療補 償の重度脳性麻痺児への3000万円補償の発想の原点は、自動車交通事故における強制保険(自賠責)と任意保険の2階建て補償にある。交通事故の任意保険 と同様なものが、医賠責(医師賠償責任保険)と言ってよい。産科医療補償は任意保険たる医賠責(1億円~1億5000万円)に、いわば強制保険たる医療補 償(3000万円)を付加したようなものである。
産科で医療補償を実現できたテクニックの鍵は、受益者たる妊産婦への保険料(掛金)3万円の価格転嫁と、ハイリスク妊娠・分娩管理加算の算定要件操作とい う2つのキーであった。前者は、産科医療補償の保険金3000万円の源資として保険料(掛金)3万円の価格設定をしたが、その3万円を実質は産科医療機関 に負担させないように、妊産婦の分娩料の価格に上乗せ、価格転嫁したことである。これによって産科医療機関に経済的負担を与えずに保険加入を可能にした。 妊産婦に価格転嫁できた法的理由は、自由診療制であり、自由な分娩料金設定ができたことにある。もちろん、その政策的な裏付けとして、出産育児一時金の3 万円引上げと、直接支払制度等による円滑な保険料(掛金)への充当という政策手法も動員した。また、後者のハイリスク妊娠・分娩管理加算の算定要件におい ては、産科医療補償制度への加入を施設基準の要件の1つに加え、産科医療機関に制度加入への経済的なインセンティブを与えている。
特に、いわば強制保険的な医療補償制度を設けるためには、広く薄く保険料(掛金)を受益者(患者)に負担させることが財政的に必要となろう。それは保険診 療においてよりも自由診療においての方が法的には圧倒的にやりやすい。つまり、医療事故といういわば裏の側面から、自由診療的なものを導入するという、全 診療科における混合診療解禁のための1つの糸口の手法モデルとみなしうるところでもある。
4. 産科医療補償制度の議論を契機に
産科医療補償制度には、善い悪いは抜きにして、法的に見れば相当に高度なテクニックが詰まっており、今後の医療制度改善のテクニックのあり方を考える上でも欠くことのできない先例であろう。
それも医療事故調査委員会問題、無過失補償制度問題、混合診療解禁問題だけではない。診療ガイドラインの法的規範性、公表・情報開示による医療者への人権 侵害問題、医師への行政処分の拡大、医療事故調と弁護士介入(Legal Intervention of Medical Accident Investigation Committee)、医療訴訟に精通した弁護士らによる医師への私的裁判(リンチ)問題、公金不当支出(5年で1000億円以上の余剰金が発生)問題な ど論点は多岐にわたる。
産科医療補償制度に関する医師同士の真剣な議論が、医療界の各種の重大問題を考え直す契機となることに期待したい。