医療ガバナンス学会 (2012年6月19日 06:00)
曹洞宗総合研究センター・現代教学研究部門 委託研究員
福島県 曹洞宗昌建寺 住職 秋 央文(あき えいぶん)
2012年6月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
當寺は福島第一原子力発電所(以下、福島原発)から南西約80kmに位置しております。放射線被ばくに関する知識が殆どなかった私は、原発事故以降、自衛 のための知識や情報を半ば暴力的に詰め込んできました。まず、ミリシーベルトとマイクロシーベルトの単位の違いも分からなかった私です。日々刻々と流され る事故の報道に戸惑い、今でも「実害」と「風評被害」の狭間に苦しみながら福島で生活しています。
震災から約一年が過ぎ、日々の生活もだいぶ落ち着いてきました。いや、正確に言えば事故自体は収束していないのでしょうが、今ある現実を受け容れ、前向きに生きていく決意を固めただけかもしれません。
日々の報道では「福島」(Fukushima)と一言で括られますが、福島県全体が抱える問題は多岐にわたります。未だに高い放射線量と土壌汚染に苦し み、除染が喫緊の課題である地域もあれば、比較的放射線量は低くとも、風評被害を含む精神的負担を強いられている地域など、その苦しみは千差万別と言えま しょう。
今の私の生活は、どちらかと言うと後者に当たります。當寺周辺(福島県中通り・県南地方)は比較的安全と評されていて、国からの生活補償の対象からも外さ れました。もちろん安全以外の理由で外された議論も承知していますが、そのことで言い様のない”置いてきぼり感”を地域全体で味わいました。
当地に不安が全くないと言えば嘘になります。表面上平静さを装っていても、やはり日々の会話で放射線被ばくのことが話題に上らない日はありません。要する に、専門家の間でも評価が二分する安全基準に強い不安を感じているのです。やはりそれは、我々が放射線被ばくに関して殆ど無知に近い状態であることにも起 因します。そこで私たち家族も、上先生から色々とアドバイスを頂き、WBCによる内部被ばく検査を受けることにしました。
深刻な事故の影響を受けた地域と異なり、その当時、この辺でWBCによる内部被ばく検査を受ける家庭は珍しかったと思います。今でこそ行政による無料の検査が実施されていますが、当時は検査も有料で、どの機関で受けられるのかさえ分からない状態でした。
それでも上先生から病院を紹介して頂き、幸いにも家族全員で検査を受け、無事ND(不検出)の結果を得ることができました。もちろんこの結果だけでは不安が払拭できず、直接病院関係者の方がたを交え、納得いくまで今後の対策を相談させて頂きました。
もちろん問題は山積しておりますが、今後の課題は内部被ばくに対する対策かと思われます。上先生からは坪倉医師(南相馬市立総合病院)の発行する「内部被ばく通信」を紹介して頂き、基本的なところから知識と理解を深める努力をしております。
私たち家族も被ばくに関して殆ど無知だったゆえ、事故直後は多少の経済的負担を顧みず、通信販売に頼って食べ物や水を購入しておりました。また、無用な外 部被ばくを避けるため、こまめに周囲の放射線量を測定し、ホットスポットにはなるべく近付かない努力をしてきました。その結果が、WBC検査にも反映され たのだと考えています。
これからも「陰膳検査」などを通して注意喚起をしていけば、取り敢えず深刻な事態は回避できるものと考えております。周辺の地域住民の方にも、私たち家族の結果はひとつの安心の目安となるのではないでしょうか。
よって今後の課題は、地域住民の方がたの精神的負担の軽減だと考えています。既述もしたように、比較的被災の度合いが少ない当地周辺では、言い様のない “置いてきぼり感”に苛まれた時期がありました。津波被害もなく、福島原発からも距離が離れているということで、事故直後は人(ボランティア)・モノ(救 援物資)・お金(予算)がすべて頭ごなしに通過をしていきました。その現実に、ある種の寂寥感を覚えた事実は否めません。
元来東北人は我慢強く、自分より苦しんでいる人たちがいれば、決して自らの苦しみを周囲に漏らさない美徳があるとされてきました。今回は程度の差こそあ れ、その東北人気質の一端を垣間見た気がします。しかし私個人は、逆にそちらの方が心配で、悩みや不安を吐露する場所がなく、次第に苦しみを内に秘める人 達が増えることを危惧しております。
私はそれを、半ば今の現状に対する皮肉を込めて「悩みの吐露の自主規制」と呼んでいます。その「悩みの吐露の自主規制」を軽減せんがために、例えば私のような宗教者の立場の人間は、人々の悩みの受け皿になれるような支援ができればと感じています。
放射線被ばくによる健康被害等の相談は、専門の医師や科学者の方々が適任であることは言うまでもありません。出来得るならば、私のような僧侶はそこに至るまでの心のケア、また必要に応じて専門家の方々にご縁を繋ぐ役割が果たせればと考えています。
多くのストレスや葛藤に苛まれる人々の支援に徹することで、そういった専門家の方がたとの連携を果たし、適材適所の役割分担ができればと考えています。当 地にはまるで真綿で首を絞められるような苦痛に苛まれている方々がたくさんいます。そのような方々の精神的支援をこれからも地道に続けていくつもりです。