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Vol.589 オリンピック銀メダリストと東大剣道部員のトレーニングへの挑戦

医療ガバナンス学会 (2012年9月6日 06:00)


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東京大学医学部4年
東京大学運動会剣道部
齋藤 宏章
2012年9月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


東京大学御殿下グラウンドの傍、山上会館に通じる坂を10名弱の学生が駆け上る。
「パンッ」と手を叩いてスタートの合図の音を出しているのは、タイトなトレーニングウェアに身を包んだすらっとした出で立ちのスポーツマンである。ぱっと 見ると誰もがその太ももに目が留まる。筋肉の量が半端ではない。「次はよーい、っていう掛け声は掛けないよ。瞬発力と反応を高めなきゃだからね」「じゃあ つぎ、片足のみでいってみよっか!」「これを5回!」と学生に指示を出していく。キャンパスを歩いている人は「誰だこいつら?」「何してるの?」と訝しむ ような目で通りすぎていく。学生は汗を流しながらも、時には談笑を交え、メニューをこなしていく。こんな風景が6月頃から東大本郷キャンパスで見られるよ うになった。しかし学生は陸上部員ではない、サッカー部でもない、剣道部員なのである。そしてこのスポーツマンはなんと現役の競輪選手なのであった。

剣道部員と競輪選手。一見全く接点のない組み合わせは5月のとある飲み会から親交を深めることとなる。
5月15日、東大剣道部御用達の居酒屋「白糸」では剣道部員十数名と、アテネオリンピック銀メダリストの長塚智広選手、パラリンピック選手の佐藤真海選手 が共に杯を交わしていた。この飲み会は、一流の選手に触れることは部活動を進める上でもよい刺激になるだろうと剣道部OBの先輩がセッティングしてくれた ものだった。
初めて見るオリンピック選手に部員一同興奮し、「日頃どういうトレーニングをされているのですか」「試合前のコンディションはどう整えているのですか」 「どんなことを考えて競技に臨んでいますか」「勝負に強くなる秘訣は!?」とあらかじめ考えていた質問を次々とぶつけていく。
私が初めて長塚選手にお会いしたのは上先輩の研究室であったが、第一印象は今でも覚えている。「でかい」。研究室を訪れた長塚さんはスーツに身を包んでい たが、胸周りがパンパンに張っていた。脚はともかく競輪選手はこんなにも鍛えているのか…と半ば気押されたものである。それでいて、「よろしく、まあ気楽 にいこ、気楽に」とフレンドリーな話し方で、オリンピック選手と一学生という壁を全く感じさせない人だった。
そんな人柄の方なのではじめは緊張していた学生も、お酒の力もあり少しずつ本来のパワーを発揮する。剣道の悩み、大学生活、恋愛相談等々、会は大いに盛り上がった。

東大剣道部は部員約60名、本郷にある七徳堂という歴史ある道場で週6回稽古に励んでいる。指導者、施設ともに剣道をするには充実した環境が整っている。 だが、東大には施設の良いジムがあるにもかかわらず、東大剣道部には筋トレなどのトレーニングをする習慣がなかった。そのことを長塚さんに話すと、「ス ポーツにおいてそんなこと考えられない」とビックリ。確かに、最近はオリンピックが話題だが、どのスポーツも科学的に分析された練習をこなすことによって 選手は競合していると聞く。しかしながらそれは他競技の話、私たちにとって対岸の火事でしかなかった。
改良の余地あり、それならトレーニングを取り入れて剣道を変えよう!協力するよ!、という話に思いもかけずなったのであった。
飲み会ではそう言っていたけれど…と半信半疑ながら翌日長塚さんにメールをすると、じゃあ来週に見学に行くから宜しく!とあっさり快諾。かくして5月22日の長塚さんの練習見学から、有志による東大剣道部トレーニング計画はスタートしたのであった。

現在取り組んでいる内容は主に2つ。一つは筋肉トレーニング、もう一つはトレーニング以外の体調管理である。
筋トレはジムでのマシンを使ったトレーニングと、外で走り込みをする陸トレである。これを週2日行う。
初日の練習、集まったのは私を含め10人強。指導をしてくれるのは長塚さん、古川功二さん、同じく競輪選手の内田玄希さんである。ちなみに三方とも現役の競輪選手であり、レースの合間をぬって毎週指導に来て頂いている。本当に有り難いことだ。
ジムに来て、まず取りかかるのはバランストレーニングである。バランスボールの上で仰向けになり、右手、左脚を地面につけた状態でおなかを曲げ、左手右足 をくっつけた状態で5秒静止。おなかを伸ばして左手右足をぴんと伸ばして5秒静止、これを繰り返して左右5セット。腹筋を使うのだが、思った以上に安定さ せるのが難しい。部員はすぐに転げ落ちる。いわく脚の太ももの裏の筋肉と、脚を体幹に引き付ける筋肉の緊張を維持して、骨盤を下げないようにするのだと か。見かねて長塚さんが実践して見せる。
競輪のトレーニングウエアから見える太ももの太いこと太いこと。我々の2倍あると言っても過言ではないが、そんな巨体が不安定なボールの上でピシッと静止 する。「こんなの慣れればすぐにできるようになるから。ここの筋肉を鍛えれば上半身と下半身の連動がうまくいくよ、はい、次!」こんな感じでトレーニング は進んでいくのである。
長塚さんたちとトレーニングをして感じることは、やはり自分の身体で飯を食っている人は違うなということである。筋トレはバランストレーニング、ベンチプ レス、スクワット、デッドリフト、レンジ、と進んでいくのだが、そのどれに対しても、こういう風にしたらこの筋肉が鍛えられる、そうするとこういう動作が 速くなる、強くなる、と何を聞いても答えてくれる。

彼らは何が自分の糧になるか知り、逆に納得しているものだけを日頃からやっているように思えた。我々がただ重いものを持ち上げればよかろうとするトレーニングとは全く質が違った。
長塚さんのトレーニングには遊び心もある。剣道はなにが鍛えられればいい?と聞かれ、やはり振りが早い方が有利ですね。と答えたら、じゃあ重いものを振ろ う、と言ってダンベルを持ってきた。どうしたかというとあのダンベルの二つの重し部分の片方を取って(回せば取れるようになっている)取った部分を掴んで 片手で振ろうと言ってきたのである。棒の先に重しの付いた短いが重い竹刀?の完成である。こんなことジムでやっている人は見たことがない。5キロの重りを 片手で振るのはきつい。いつもの10倍くらいの重さだから当然だ。見回りに来たジムの人に、そんなことしたらダメだよーと注意を受けて、すみません、と謝 ることになるのだが、試行錯誤を繰り返すトレーニングは楽しい。

トレーニング以外にも練習メニューの見直しと、水分、栄養補給の摂取の増加について取り組んでいる。
剣道は運動量の多い競技である。今までは大体1時間15分稽古をし、5分の休憩をはさんで40分稽古を行っていた。他の競技の人から見るとこれは長い、ら しい。「1回、1回の練習がハードなんだから休憩を入れなければだめだよ」「マラソンをしてもだめだよ」確かに剣道は4分間という短い時間の中で技を競 う。持久力も確かに必要だが、4分間で力を出し切ることが重要である。長塚さんいわく、剣道はスプリント競技である。アドバイスを受け私たちは考えた。初 めに瞬発力、激しい運動量の要るきつい稽古を持ってきて、休憩を2回挟むことにした。これなら暑さや長い時間でばてる前に、高い運動量の要る練習を行え る。また、休憩の時間を長くし、水分や栄養を取るよう努めた。今までは2時間とはいえど、最後の方に空腹で力が出ないことがよくあった。

栄養等の体調の管理については海外で栄養等の研究をしている大西睦子先生が日本に来ていらっしゃったのでアドバイスを受けに部員でお邪魔した。大西先生は 日頃の食べ物はどういったものが良いのか、練習前、中、後はどういう風にしたらよいのかプレゼンを受け、部員は数々に質問を投げる。疲労が貯まりやすいの だがどうしたらよいのか、試合前の食生活はどうしたら良いのか。勿論勉強会が終わったら飲み会である。

長塚さんたちとのネットワークを構築していく上で、今回facebookを活用することにした。トレーニング計画が持ち上がった初期から、特定の人のみが 加入出来るグループを作成し、情報をメンバー内で共有している。今日のトレーニングに参加する人は誰なのか、今日はどんな内容だったのか、浮かび上がった 課題等々。たまには飲み会でのワンシーンを撮影して上げたり、自ら調べて発見したトレーニングに関する事実を共有したり、各人が発信しやすいコミュニティ を目指している。少しずつではあるがメンバーもこの形態の情報共有に慣れてきている。今後はもっと活発な利用を進めていきたいと画策中だ。

第一回目のトレーニング終了の翌日の稽古では参加者全員が悲鳴をあげていた。肩が上がらない、竹刀が振れない、体が動かない…等々。逆にそれは稽古で使っ ている筋肉を鍛えていた、ということの裏返しでもあった。7月末時点ではトレーニングを始めた6月と比べて、ベンチプレスは13人中11人が10回持ち上 げられる重量が5kg以上増加し、スクワットに至っては11人が10kg以上増加した。最も伸びた学生は、ベンチ、スクワット、デッドリフトの合計が 50kg増加した。筋トレ、という意味での成果は確実に上がっている。一方ほとんど横ばいの学生もおり、単にまだ伸びの成果が現れていないのか、それとも 方法が間違っているのか等個別の課題発見がこれからの鍵となる。

筋トレを組織的に行うようになってから、とりわけ皆でどこの筋肉を鍛えたら良いのか話す機会が増えた。私は曲がりなりにも医学部生なので、足を踏み出すに はハムストリングスが…とか話すわけだが、皆どこからか調べてきて議論するわけである。変に部内の知識が高まるので医学生は威厳を保つのに必死である。先 のミーティングでも、レスリング金メダリストの吉田選手は実は貧血を克服してオリンピックに臨んだのだから、女子は貧血に気をつければパフォーマンスが上 がるよ、と朝日新聞に書いてあったことを受け売りして話したのであった。ともあれ、部員の身体への関心は高まっている。
また、実際の剣道における効果を聞いてみたところ、切り返しが楽に行えるようになった、竹刀の手首の操作がうまくいくようになった、体捌きが前よりも自分 のイメージどおりにいくようになった気がするというような実戦でのメリットを感じられる学生がいる一方、剣道において何か良くなったとは実感できていない と答える学生もかなりいることが分かった。筋トレをするのかしないのかから始まった我が剣道部だが、今はどうやってやるのか、どう活かすのかと言った課題 に直面している。

この計画を始めるにあたって目標は関東大会においての全日本学生選手権出場権獲得、加えて関東ベスト16と大きく掲げた。関東大会は9月に、4年生は11 月に引退試合がある。9月の大会の抽選はすでに発表された。今回団体戦に出場する選手9人の内、6人はトレーニングに取り組んでいる。様々な縁と、それに 始まる新しい取り組み。果たして結果は出るのか、乞うご期待である。

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