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Vol.627 七転八倒~原発事故後の相馬の医療~

医療ガバナンス学会 (2012年10月26日 06:00)


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相馬中央病院/ナビタスクリニック川崎
岩本 修一
2012年10月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「福島、医師の流出止まらず」 2012年2月16日、共同通信が配信した記事のタイトルだ。
「福島県で医師流出に歯止めがかからない。138病院の常勤医は昨年(2011年)12月1日時点で1942人と、原発事故直前から71人減少。放射線へ の不安から首都圏などの大学も医師派遣に二の足を踏んでおり、医療機能の停滞が復興の遅れにつながる恐れも。県によると、原発に近い沿岸部の相双地域では 震災前の120人から61人に半減。県全体では4月以降さらに7人が減る見通しだ。」

私は都内のクリニックで働く傍ら、福島県相馬市の相馬中央病院の非常勤医師として週に二日間、被災地での診療を続けている。
この記事はウソではないか?少なくとも、福島県相馬市で「医師の流出が止まらない」という実感は私にはない。たしかに医師の異動はあるが、退職だけではなく、入職もある。
福島で働いていると、メディア情報と現地での実感に不一致が生じることは珍しくない。本当に現場を見ての報道なのか。
今回、私はメディアに対する小さな抵抗として、調査をしてみることにした。原発事故後、医療者は本当に減っているのか。私は相馬市の医療者数の変化を調べた。

図1( http://expres.umin.jp/mric/MRIC.vol.627.pptx )は、2011年3月11日から2012年5月 31日までの、相馬中央病院の医師とコメディカルの推移である。コメディカルとは、薬剤師、臨床検査技師、診療放射線技師、臨床工学技士などの総称だ。
震災直後の1週間は外部からの人的支援はなかったが、その後、徐々に医療者が入ってきた。
「震災・原発事故直後は、スタッフが何人集まるかわからなくて、その日集まった人数でやりくりした。職種も関係なかった(病院関係者)」
そんな中、震災後2週目には、避難所の往診まで行うことになった。当時の大変さは想像もできない。
これを引き継いだのがJMAT(日本医師会災害医療チーム)だ。彼らは2〜3日間ごとに交代で活動した。震災後3週目以降は東京医大、いわき市のときわ会、全日本病院協会、東京都など遠方から派遣があった。
前述の通り、震災直後の3週間は常勤スタッフの全員が毎日そろっていたわけではない。それを支える大きな力となったのは、南相馬市から来た医療者たちだっ た。彼らは不本意ながら勤めていた病院を離れることになったが、同じ相双地区である相馬市で貢献することになった。医師5人と技師2人が相馬中央病院に加 わった。
その中の一人、標葉隆三郎(しねはりゅうざぶろう)医師は南相馬市の渡辺病院の院長だった方である。
相馬市の南に双葉郡(ふたばぐん)という地域がある。双葉郡の一部は、戦国時代まで、標葉郡といい、地域の有力者である標葉氏が治めていた。標葉医師は、標葉氏のご子孫でもある。地元を愛する実力者だ。
標葉医師は、日本静脈経腸栄養学会誌の寄稿で以下のように記している。
「物流が途絶え、職員も大量に避難している状況下で、入院患者さんは院内に残るという状態になりました。”ここを死守するぞ”とミーティングで言ってはみ たものの、病棟は70名以上の患者を2名の職員で看ており、給食を作る人手もなく、事務スタッフ、看護師が対応し、食事や排泄を介助するメンバーもいない 状態になりました。そこでやむなく患者さんの生命と医の倫理を守るために入院患者さんの転院を図ることを3月16日朝に決断しました。3日間で人工呼吸器 をつけた8名の患者さんを含め、入院患者さんを他の病院へ転院させることができました。(中略)3月18日夕刻に2人の患者さんを看取り、病院を閉めるこ とができました。患者さんのことを思いつつ、病院を短時間で閉めるのは本当に大変でした。」(静脈経腸栄養 Vol.27 No.4 2012より一部抜粋)
標葉医師は、その後、副院長として相馬中央病院に勤務した。標葉医師が口癖のように言っていたのは、「患者さんのためにどうすればいいか」だった。渡辺病院閉院も、患者のために考え抜いた苦渋の決断だったことが窺える。
余談だが、標葉先生には指導してもらったり、飲みに連れてもらったりと私自身がお世話になっている。現在は、横浜新緑総合病院で院長をされていて、近々、 横浜でも食事をする予定だ。標葉先生は「横浜で新たな人脈を拡げ、若い医者をスカウトして、必ず地元に戻る」と言っていた。離れても地元への気持ちは強 い。

図2は、公立相馬総合病院のグラフである( http://expres.umin.jp/mric/MRIC.vol.627.pptx )。図1と同様に、医師とコメディカルの数の推移を表している。ちなみに、相馬市・新地町の中核病院は、この二つだ。
公立相馬総合病院は3月の一般外来を停止した。その影響で非常勤医師数は3月に減っているものの、4月の一般外来再開とともに回復している。それ以降大きな変化はない。常勤医師、コメディカルの数は、震災直後から2012年5月までほとんど変化がない。
原発事故直後の被曝の不安がある中で、なぜ公立相馬総合病院のスタッフの数は減らなかったのか。
原発事故後、公立相馬総合病院の熊 佳伸院長は「空間線量が40 μSv/hになったら撤退命令を出しますので、安心して職務に専念してください」と職員に伝えた。公立相馬総合病院では、事故当初から外部空間線量を1時 間刻みで連続測定し、そのデータは誰でも見える場所に表示されていた。”40μSv/h”は、「1日中、屋外にいて1mSvになる線量(1mSv÷24時 間=41.7μSv)」を基準に決められた値である。
加えて、熊院長は「撤退命令を出すときには家族も含めて私の責任で安全なところに避難させます」と伝えた。後日、公立相馬の看護師の一人から話を聞いた。 「当時は、自分のことより子供のことが心配でした。院長のあの言葉がとてもありがたかった」と話した。事故直後の熊院長の対応が職員に安心感を与え、結果 として離職者が少なかったのだ。

公立相馬と対照的なのは、北茨城市立総合病院(以下、北茨城市立)である。次の記事は2011年9月17日の東京新聞に掲載された。

「北茨城市立総合病院は199床、14の診療科がある。病院によると、常勤医が(2011年)3月31日付で2人、4月30日付けで2人退職した。5月に 着任予定だった医師も内定を辞退した。病院総務課は取材に「5人とも原発事故による放射線の恐怖を口にした」と説明。(中略)震災前に16人いた常勤医は 現在11人。」

福島第1原発からの距離は、北茨城市立が68.2km、公立相馬が44.5km、相馬中央が43.8kmである。原発との距離が必ずしも空間線量と関係あ るわけでないのは周知の通りであるが、より原発に近い相馬市の医師のほうが残ったという事実は意外ではないだろうか。緊急時に判断を下し、集団をまとめた リーダーの力の差であろうと私は考える。

再び、図1をみてほしい( http://expres.umin.jp/mric/MRIC.vol.627.pptx )。JMATをはじめとした短 期支援が、震災後5週目(4月8日〜14日)をピークに収束した後は、常勤や定期の応援医師が必要とされた。神奈川県にある昭和大学横浜市北部病院から、 2011年4〜5月、8〜9月のそれぞれ2ヶ月ずつ、常勤医師が派遣された。2011年11月からは、当時、東京都立墨東病院にいた私が非常勤医師として 診療をすることになった。
2012年4月には、京都大学より小柴貴明医師、九州大学より石井武彰医師が常勤医師として赴任した。また、2012年3〜5月は関東、関西から4人の定 期非常勤医師が増えた。このように、関東、関西、九州から医師が集まったのは、相馬中央の齋藤行世院長と立谷秀清理事長の力だろう。
福島県は元々、医療過疎地域である。人口10万人あたりの医師数が183.5人と、全国平均217.5人より20人以上も少ない(厚労省2006年デー タ)。それに加えて、広範囲に及ぶ震災被害と、原発事故の影響で、周辺地域だけでは十分な応援は得られない。齋藤院長と立谷理事長は、独自の人的ネット ワークで医師を集めた。

今回の調査は、「マスコミの言ってることは本当なのか」という疑問からスタートしたが、私は、調査の中でアクシデントの対応について3つのことを学んだ。
1つ目は、リーダーの判断と行動が現場を大きく左右するということだ。渡辺病院の標葉院長、公立相馬の熊院長、相馬中央の齋藤院長、立谷理事長は、三者三様であったが、そのときに必要な判断をして、行動にうつした素晴らしいリーダーたちである。
2つ目は、現場の人々の底力だ。震災直後の混乱の中、現場の人々が頑張ってきた結果、今がある。相馬市に元々住んでいる人たちだけでなく、南相馬市から来 た人たちも含めて、相双地区に愛着があり、地域のために頑張れる人々だ。これは、震災前から培われてきた人間関係から成る、地域の力だと思う。
3つ目は、外部からの支援・応援はできるだけ早く、長くすべき、ということだ。震災後3週間は人手が足りない状態が続いた。短期支援は、この時期に行くの が重要である。一方で、震災から1ヶ月を過ぎると、単なる人手としてではなく、地域医療を担う一人としての役割がより強くなってくる。病院に慣れ、職員を 知り、地域に馴染んだ人のほうが仕事を任せやすいので、できるだけ長期間関わることも必要だ。

以上、相馬市2病院の医療者動態調査の中間報告をおこなった。引き続き、看護師や事務職員などを含めたデータをまとめて後日報告したい。

経歴:福岡県出身。2008年広島大学医学部医学科卒。2010~2011年東京都立墨東病院・麻酔科、2011年11月より相馬中央病院・非常勤、2012年4月よりナビタスクリニック内科に勤務。
日本麻酔科学会麻酔科認定医。日本プライマリ・ケア連合学会所属。

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