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Vol.628 現場からの医療改革推進協議会第七回シンポジウム 抄録から(4)

医療ガバナンス学会 (2012年10月26日 18:00)


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被災地の復興

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2012年10月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

セッション4: 11月10日(土)15:45~17:30
藤原 真哉
菅野 優太
高村 泰広
阿部 光裕
吉田 克彦
箱崎 亮三
秋山 淳一

会場:東京大学医科学研究所 大講堂
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帰村宣言から半年 川内村の未来は
藤原 真哉

福島県川内村は、昨年の福島第一原子力発電所の事故後の2011年3月16日の全村避難を余儀なくされた。そして今年3月川内村はどこの地区よりも早く帰 村宣言をした。現在の川内村の人口は2,850名そのうち村へ帰村したのは約750名。しかしこの750人も村役場は村に4日以上住んでいれば帰村したこ ととしている為確実に村で生活している村民は750名より遙かに少ない。現在でも、いわき市や郡山市にある仮設住宅や借り上げ住宅で生活をしている村民の 方が多い。
筆者は、今年の4月からこの川内村で教員生活の1年目をスタートさせたが、4月と比べても村民が確実に帰村している実感はまったくない。村の道路を通行しているのは、除染作業のためのトラックや警戒区域に行くための警察車両等。
この様な状況の中、川内村に戻ってきた園児・児童・生徒は合計37名。そのうち中学生は13名。震災前の生徒数は約60名近く在籍。多くの生徒は郡山市や いわき市へ転校した。そして4月幼稚園・小学校・中学校合同入学式で学校生活が始まった。小学校に至っては第2学年が0名という状況である。生徒たちが帰 村しない理由は放射線量の問題もあるが、多くは親の仕事や、中学校卒業後の進路が決められないことにある。震災前の川内村の生活圏は、現在でも警戒区域に 指定されている大熊・富岡・楢葉だった。生徒の保護者の多くも原発関係の仕事やこの地区で仕事をしていた。その為、川内村に戻っても仕事が無いという現実 もある。また中学校卒業後の進路も、双葉高校や富岡高校もしくは村唯一の富岡高校川内分校(2011年廃校)といった浜通りの学校へ進学していた。現在川 内村から一番近くの高校はバスで片道1時間以上掛かってしまう田村地区にある船引高校。この進路選択ができないということも生徒たちの帰村を妨げている要 因である。また、医療に至っては、診療所があるのみ。緊急の場合は、救急車で30分程の近くの町の病院への搬送もしくは、ドクターヘリでの県立医大までの 搬送。商業面に至っても村で生鮮食品を売っている店はない。復興元年と言われている年だが、まだまだ教育面や医療面、生活インフラで課題が多いのが現状で ある。

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継続×スポーツ
菅野 優太

アスリート
多額の寄付は出来ない、芸能人のような盛り上がる大イベントは難しい。そこで考えたのが自分達の持っているスキルを提供、還元する事。更にその活動を継続 する事でした。他の支援のほとんどが継続性のないものだった事もあり継続を一番に考え導き出したのが地域を限定した陸上教室です。地域の復興におけるアス リートの役割は発信だと思っています。私がプロスポーツ選手で何億円も稼げる選手であれば寄付でもよいかもしれません。しかし、アマチュアスポーツのほと んどの選手には金銭的な余裕は少ないのが現状です。ただ、その道においての影響力、発信力はスポーツ選手の強みだと思っています。相馬の現状をSNSなど を通じて発信する事も復興に一役買っていると信じています。始めてから1年以上経ち、仲間も増えました。現在も増え続けています。その中には現役の日本 チャンピオンも数人含まれます。その事もあって外への発信力は強くなっていると感じます。

マンパワーの復活
何と言ってもマンパワーの復活が復興には欠かせません。そのマンパワーの将来を担う子供達への支援は優先されるべき支援であると思います。彼らが希望を失い気力をなくしてしまってはどんなに外見がキレイになっても真の復興とは言えないのではないでしょうか?

スポーツを通じて子供達を元気にする
夢をもち、目標を見つける。希望を持ちづらい今だからこそ、スポーツを通じて見つけて欲しい。その夢や目標は人それぞれでしょう。長期的にオリンピックか もしれない。短期的にインターハイ出場だったり自己ベスト更新だったり、マネージャーであれば選手達の活躍。納得して卒業して欲しい。など…それぞれの夢 や目標に向かう手助け。これがアスリートである自分達にも可能な支援だと考えます。何かに熱中している時間はとても幸せな時間です。その一役を担いたい。 例えば、相馬の子供達の為に活躍したい。アスリートが来てくれている。結果を残す事で恩返ししたい。このような相乗効果が生まれてくれると幸せです。

1年以上継続して変わった事
まず、私達アスリートが変わった事として、待っている楽しみにしている人達がいる事に勇気をもらいアスリートとして輝いていたいと努力する原動力になって いる。現役選手が結果を残しているのも良い例だと思います。引退した私などは、相馬の子供達の事を考えると自分の悩みが小さな事に気付かされます。それが 行動として現れ何事にも積極的にチャレンジする原動力になっていると確信しています。次に子供達の変化として、発言が増えたり、笑顔が増えたり言葉にする とたわいのもないことですが、震災後初めて行った頃に比べ、子供達の顔、目つきが変わったと感じています。
毎回、行く度に始まりと終わりの雰囲気や顔つきは違うのですが、ここ最近、始まる時のぎこちなさが無くなってきたと感じています。名前を呼ばれる回数も行 く度に増えてきています。この名前を呼ばれる事の嬉しさを今はひしひしと感じています。継続する事で先輩のような存在になってきているような感じでしょう か。当初、どう対応していいのか分かりませんでした。これはNGワードかなと一瞬考える事で会話がぎこちなかった事を覚えています。今現在は何でもあり。 という事ではありませんが本当に自然にくだらない話をしたり、ふざけてみたり。笑顔が沢山の教室になっています。

3月11日
震災直後、こんな時にスポーツするのかとスポーツ不謹慎空気になった事を私は鮮明に覚えています。1年以上経って言いたい。スポーツは不謹慎なんかではな い。スポーツの力で人は元気になれる。相馬に来る事で、アスリートも子供達も夢に近づける。そんな活動であり続けたいです。

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復興には人材育成
高村 泰広

東日本大震災から、1年8ヶ月が経った。福島県浜通り地域の沿岸地区は、福島第一原発周辺地域を除いて、復旧の初期段階について一段落が付いたものの、復 興にはまだほど遠い状態である。ここで、現場の教員がやらなければならない活動の一つは、教育環境の整備・構築である。そんなことは、教育委員会のやるこ とだからと他人事としてとらえていると、いつになっても埒が明かない。児童や生徒の学習環境が、震災前と同じような状況になっていなければならない。特 に、被災して、公営住宅や応急仮設住宅に移住した場合の児童生徒の環境を配慮しなくてはいけないだろう。震災があったから、学力が低下して、進学や就職実 績が極端に下がってしまうのもしょうがない、とは考えたくなかった。震災1ヶ月後くらいから、相馬高校では、さまざまな教育支援を受けることが可能になっ た。教育支援は、「専門的」であり、「継続性」が必要である。代々木ゼミナールの藤井健志先生(現代文担当)は、ほぼひと月に一回の割合で、ボランティア で来ていただき、相馬高校で特別授業を開催している。また、同僚の安藤勝美先生(英語担当)にも藤井先生の頻度ほどではないが、定期的に来ていただいてい る。学習面の支援のみならず、運動関係の支援も受けた。競輪の長塚智広選手などが参加する団体「アスリートソサエティ」が被災地支援のプロジェクト「チー ムジャパン」の活動の一環で、相馬高校の陸上部をほぼひと月に一回の割合で指導してくださっている。今年度からは、東京大学経済学部の松井彰彦先生は、経 済学という学問の枠を超えて、ゼミ学生を毎月一回程度、相馬高校に引率し、学生と高校生を交流させることで、高校生の学習意欲の向上や勉強や進学に関する 問題解決の手立てをしてくださっている。今後は、私が勤務する新地高校でも、相馬高校と同様な人材育成教育プログラムを展開していきたいと計画中である。 20、30年後の地域の担い手をしっかり教育して、被災地が復興できるようにしていきたい。

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自らの手で安心を
阿部 光裕

福島原発事件によってばら撒かれた放射性物質は、まるで見えない雪のようにこの地に降り注ぎ、長い冬をもたらした。そして、私たちから当たり前の生活を奪 い、放射線と向き合って生きていかなければいけない過酷な現実を私たちに突きつけている。確かな根拠のないままに情報が流され、防護・容認、いずれの立場 を取るのか、住民間に「逃げる・逃げない」「食べる・食べない」「作る・作らない」などの対立が生まれ、選択を迫られる。せめてどちらかを選択する自由は 認められてしかるべきだが、両極の立場を主張するものにとってそれは許し難く、声高に是非を叫ぶ内外部の争いは絶えない。
行政はしかるべき調査・検査を愚直に実行し真実のデータ・情報をありのままに示せばいいのだが、事件後、公表されるそれらはほとんどが曖昧であり住民からの信用はもはやないに等しい。
一例を挙げれば、放射性ヨウ素による被ばくの実態。事件後、真っ先に調査し、ヨウ素剤の配布をするなどの措置を取るべきであったが行政はしてこなかった。 私たちの調査では、福島市東部地区に於いて、5月20日に採取した土から、500Bq/kg以上の放射性ヨウ素が検出されている。そこから推測すると地震 によってライフラインが滞っていた頃、水汲みや食料・石油・ガソリンの調達などにより外で過ごしていた空から、最大で128,000Bq/kgもの放射性 ヨウ素が降り注いだ計算になる。土壌に含まれているセシウムの含有量については多少公表されているが、ヨウ素についての記録が見当たらない。それでいった い文科省や放医研は、外部内部被ばくともに実効線量を把握できると言うのだろうか。
したがって、自らの行動により、自分たちの安心を掴んでいく以外にはないという信念のもと、市民団体「花に願いを」を立ち上げ、綿密な計測、様々な方法で の除染、勉強会・イベントなどを精力的に行い、福島の復興の一助となるべく活動をしている。また、昨年6月から、寺の所有地に仮置き場を設け、なんとかこ の地で生きていきたいと思う人が自主的に除染した汚染土を預かっている。生活圏から非生活圏へ運び出すことが安心に直結すると考えたからである。

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解決志向の被災地支援 ~PTSD支援からPTG支援へ~
吉田 克彦

私はブリーフセラピーという構成主義的なカウンセリングをベースにして活動してきた。震災後、生まれ故郷である福島で何らかの貢献をしたいと思い、星槎グ ループ(世界子ども財団・星槎大学)のカウンセラーとして相馬フォロアーチームや南相馬市内での被災家族の支援に携わっている。
なぜ、前職を辞して福島の支援に来たかといえば、郷土愛ゆえにではない。数日単位の交替で関わる被災地での心理支援の実際を知り、黙っていられなかったか らである。カウンセリングでは、病名・薬名・数値(体温、血圧など)といった明確な記号がある医療現場と違い、共通言語の乏しく曖昧であることとアプロー チの多様さから、(職場内ならまだしも)特に多方面から支援に駆けつける被災地ではカルテなどで情報共有するのは難しい。つまり、充分な引き継ぎがないま まに支援者が変わることになる。その結果、支援者が変わるたびに住民からは「また同じ話を聞かれる」と思われ、”カウンセラーお断り” といわれるようになる。また、PTSD探しに陥る人が多い。見学や取材に来る方に「PTSD様症状はほとんど見られない」と説明するとあからさまにがっか りする人が少なくない。まさか「PTSDに苦しむ人がたくさんいて欲しいと期待しているのでは」と勘ぐりたくなるほどである(内部被ばく問題でも似た現象 が見られるように思う)。これでは、支援によって問題を生み出しているだけだ。問題探しではなく解決に焦点化した支援が求められる。
私が被災地心理支援で心がけることは、心的外傷後ストレス(Posttraumaticstress:PTS)を障害(PTSD)にするのではなく、成長 (PosttraumaticGrowth:PTG)へと結びつけることである。そして、目標は、子どもたちが何十年か後に「震災や原発のせいで人生がめ ちゃくちゃになった」ではなく、「いろいろあったけれど、自分なりに精いっぱい過ごしてきた」と胸を張って振り返ってもらうことである。では、どうすれば 大震災の経験を成長の糧へと繋げられるのか。
当然のことながら、震災後も月日は流れ、髪の毛や爪が伸びるのをやめないことからもわかるとおり、人間の成長は止まることがない。しかし、マスコミ報道や 私たちの日常会話では「あの日から時間が止まったまま」「何も変わらない」「3.11前に戻りたい」という語りを目にすることも多い。そこで「静」の語り ではなく「動」の語りを引き出そうと努力する支援者の姿勢が欠かせない。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、常に変化しているのである。 その些細な変化に目を向けることが大事である。その上で、引き出した「動」の語りから子どもたちの「自律性を磨く」「有能感を引出す」「他者との関係を生 かす」ようなナラティブを作ることが必要だ。もちろん、この作業は子供だけではなく大人にも当てはまる。どんなに歳を重ねても成長(PTG)は続く。
当日は、今後の被災地心理支援のあり方について考えていきたい。

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復興へ向けて新しい豊かさを南相馬市から
箱﨑 亮三

南相馬市は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災による未曾有の地震と大津波により、地域の社会的機能が壊滅的な被害を被った。また、未だ収束に 至らない原子力災害、それに伴う住民の避難、小中学校の活動制限、農作物の作付け制限、商工業事業所の閉鎖・撤退、雇用者の解雇・流出など地域住民の生活 不安や地域産業の衰退など深刻な状況に陥っている。
そんななか、市内にある産婦人科医院の院長の高橋亨平先生が一般社団法人南相馬市除染研究所を立ち上げた。福島第一原子力発電所の事故後、妊婦さんや小さ なお子さんのために、逸早くフィルムバッチや線量計を入手して、線量を測定したり生活上のアドバイスを熱心に行っていた。研究所メンバーは、除染に関連す る知識やノウハウを専門家から学ぶことから始め、南相馬市で内部被曝検査を行っている東京大学医科学研究所の坪倉先生から放射能や放射線に関するレク チャーをいただいた。除染作業は、妊娠中の母親がいる家や、小さな子供が通う保育園・幼稚園の除染を優先して進めた。
高橋代表は、「除染とは人間を診断するのと同じで、すなわち治療だ」と言う。カルテを作って、現場の処置を繰り返し、すべての記録を報告書にまとめ共有す ることが重要だ。そして、その内容は、市民の一人ひとりの放射線被曝管理や今後の除染計画に活かせる貴重な知見であり、積み上げていくと大きな財産になる はず。しかも、原子力災害で被災した地域の共通な財産として活かしていける可能性もある。
震災前、南相馬市の明るい未来のビジョンをみんなで考えたものだ。しかし、原子力災害を受けたこの町は、その時の水準にさえ戻れなくなるかもしれない。人 口減少やリーマンショックを引きずっていたわけだから、右肩上がりの経済はすでに望めなかったはずだ。豊かさのはかり方を変えない限り、復興には、近づけ ないと考える。
今、南相馬市は、明日にでも解決しなければならない除染という大きな壁と向かい合い、新しい豊かさ、生きがいを感じてずっと南相馬市に住み続けたいとみんなが思えるまちづくりと向かい合っている。

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いわき市におけるホールボディカウンタの普及活動について
秋山 淳一

ときわ会常磐病院のあるいわき市の人口は、元来約33万人であった。3.11の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の影響で、事故後5ヵ月間だけ で約6,000名の人口が減少したと言われている。しかし、同発電所のある大熊町等の双葉郡の20km圏内の警戒区域から、避難住民がいわき市に約2万 2,500人転入し、現在の人口は震災前同様約33万人となっている。いわき市は福島第一原子力発電所の近隣の市町村と比べ空間線量は低いが、同発電所か ら30km~50km圏内にあるため身体への影響を心配する住民が非常に多かった。当時、既にいわき市内には公立病院と個人団体の計2 台のホールボディカウンタ(WBC)が設置され、内部被曝調査が実施されていたものの、多くの検査希望者に対し実施可能件数が相対的に不足していた。
このため、1日も早く検査希望住民の内部被曝調査を実施し、より安心な生活を住民に提供する一助として、当院では2012年4月からWBC(キャンベラ社 製)検査を開始することになった。幸い、早期にWBC検査を実施していた南相馬市立総合病院の金澤院長、坪倉医師からの運用面のご指導が得られ、稼働準備 を円滑に進めることができた。子供をお持ちの地域住民の多くの方々、さらにときわ会グループ内の幼稚園職員や保護者の方々が、特に子供達の内部被曝の状態 を不安視していたことから、4歳~19歳(実年齢)の子供を主な対象に無償で実施とし、市内の幼稚園/保育園園児の検査を優先的に進めた。職員が市内の幼 稚園/保育園を直接訪問し、詳細で丁寧な説明を心掛け、検査日の決定を行った。小児を対象としたことで当初は混乱があることを予想していたものの、訪問し た幼稚園/保育園の保育士や保護者の方々から多大な協力が得られ、心配は杞憂に終わった。園のスケジュールをわざわざ変更して頂き、中には仕事を休んでま でも園児の送迎などを行って頂いた保護者の方もおられた。
その結果、通常の診療業務と並行する中、短期間で市内の園児計2,923名(8月末現在)、成人を含め全体で計4,389名(8月末現在)の検査を実施することができた。今回はWBCの導入から普及活動で経験した実情について発表する。

 

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