医療ガバナンス学会 (2012年11月9日 06:00)
~「診療に関連した予期しない死亡の調査機関設立の骨子(日医案)」に対する意見~
諫早医師会副会長
満岡 渉
2012年11月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
1. 院内事故調査について
医療に関連する事故が発生した場合、原因を調査分析し、患者・家族に丁寧に説明することは医療者の当然の責務です。しかし昨年6月の「基本的提言」では、 外部委員、特に弁護士を入れることを前提とした院内事故調査委員会を創るとされていたため、昨年10月のアンケートでこれに反対しました。弁護士の機能は 過失の認定と責任追及ですから、その参入によって当事者からの情報収集が困難になったり、医療事故が紛争化することが危惧されるからです。今回の日医案で は外部委員についての言及がありませんでしたが、この点はどうなったのでしょうか。
院内調査委員会の目的は患者側に医学的事実を調査・説明し、納得を得ることですから、原則的に内部委員主導で自律的に対処すべきです。法律家などの外部委 員の参加は、院内事故調査の前提とすべきではなく、患者側に納得を得るために必要であるか否かに応じて判断すればよいでしょう。要は、それぞれの施設が事 故調査委員会のメンバーを任意に選ぶ自由を残すことです。
大野病院事件や東京女子医大事件では、誤った院内事故調査報告によって当事者である医師が不当に刑事責任を追及されたました。これに鑑みて、院内事故調査 には当事者である医師を参加させ、調査結果が当事者の見解と異なる場合には、報告書に対する当事者の不同意・拒否権を担保し、不同意理由を報告書へ記載す る権利を確保すべきです。診療所など小規模の医療機関で、事故に関係した医師が管理者の場合は、日医案にあるように地域医師会などが支援するようなシステ ムでいいと思います。
2. 第三者機関(診療関連死調査機関)への届出について
今回の日医案の最大の問題点はここです。「2定義(4)(5)」によれば、診療に関連した予期しない死亡と判断した場合、または遺族から調査機関への報告 を求められた場合は、速やかに診療関連死調査機関(第三者機関)に報告し、その指示を受けるとされています。すなわち第三者機関への届出の義務化、ならび に第三者機関の院内調査に対する優越です。
昨年の「基本的提言」では、当該医療機関の分析能力を超えるものを第三者機関に調査依頼するとされていました。つまり第三者機関への届出は「依頼」ですか ら任意だったはずです。いったいどうして義務になったのでしょうか。また現場の医療機関がなぜ第三者機関の「指示」を受けないといけないのでしょうか。こ れでは現場の医療機関の自律などあり得ません。院内事故調査で示された原因分析と報告に患者側が納得すれば、屋上屋を架して他の調査機関に報告する必要な どないでしょう。医療安全と再発防止のための情報収集が必要だというなら、日本医療機能評価機構の医療事故情報収集等事業のように事故調査とは別の組織で 行えばいいのです。
3. 第三者機関(診療関連死調査機関)の組織と機能について
第三者機関が作成する報告書は、最終的には鑑定書として機能します。この点は何度強調しても強調しすぎることはありません。したがって弁護士が運営に参加 するような第三者機関は、鑑定書の作成に弁護士が関与することになりますから不適格です。日医案にある旧「診療行為に関連した調査分析モデル事業」にも弁 護士が参加していますので、反対です。
昨年の「基本的提言」で想定しているような医療界・医学界が一体的に運営する唯一の第三者機関では、その調査報告書が権威ある強力な鑑定書になるので、か えって危険です。このような組織では最高レベルの医療水準を求めがちですが、現場の医療機関は、常に理想的な医療が行なえるわけではありません。それぞれ 異なる環境で行われた医療行為を、全国唯一の調査機関で調査・評価するのは乱暴です。権威づけられた唯一の調査機関がお墨付きとなる報告書を作成するより も、多様な調査機関(郡市医師会や各種学会など)が多様な報告書を出せるような仕組みの方が、安全で健全です。患者家族はカルテ開示を請求できるのですか ら、その資料を持って任意の調査機関で調査してもらえばいいのです。当該医療機関はその調査機関の要請に応じて必要な情報を提供すればいいでしょう。日医 にはそのような環境づくりのための支援をしていただきたい。
日医案では明確にされていませんが、想定されている第三者機関(診療関連死調査機関)は、当該医療機関に、立ち入り検査・事情聴取・証拠保全を行う権限を 持っているのでしょうか。あるいはそれを拒否した場合にペナルティが科せられるのかどうか。そのような機能は警察に限定すべきだと思いますので私は反対で す。
端的に言って私は日医案に示された制度が、第2の産科医療補償制度になることを強く懸念しています。同制度は、脳性麻痺発症の原因分析を行うことを目的に しているといいながら、実際には「医学的評価」として、分娩機関のガイドライン「違反」を指摘し糾弾するシステムです。そもそもガイドラインは医療を行う 際の目安に過ぎないにもかかわらず、あたかも順守すべきルールであるかのように扱い、またその医療行為が脳性麻痺発症と関係している・いないにかかわら ず、ガイドライン通りでないことを「誤っている」「劣っている」「基準から逸脱している」などの文言で非難しています。そのような報告書を児の家族に送付 し、ネット上で公開するのですから、当該分娩機関の印象を悪化させ、紛争を誘発する可能性が高く、私の周囲の産婦人科医はみな猛反発しています。同制度 は、脳性麻痺児への補償をいわば人質にして、分娩機関から情報を集め、事実上の鑑定書となる理不尽な報告書を発行する制度だと私は理解しています。日医案 で、第三者機関への届出の義務化され、第三者機関が現場の医療機関に指示するなどとしているのをみると、この制度が産科医療補償制度にきわめて近いものに なる疑念がぬぐえません。
日医案で第三者機関として想定している旧「診療行為に関連した調査分析モデル事業」では、4年半で105例の調査を実施しましたが、ひとつの事例を調査す るのに95万円、10ヶ月もかかったと報告されています。また私は寡聞にしてこのモデル事業がわが国の医療安全に多大な貢献をしたという話を聴いたことが ありません。モデル事業を引き継いだ「日本医療安全調査機構」を知っている医療者はほとんどいないのではないでしょうか。「日本医療安全調査機構」は財政 状況がひっ迫し、存在意義が問われていると聞いていますが(1,2)、今回の日医案の目的が、この機構を第三者機関として認知させ、延命を図ろうとするも のではないのかと私は邪推しています。前述のように、このような大掛かりな組織がコストだけかかる実りの少ないものであるならば、いっそ潔く解散すべきで はないでしょうか。
4. 医師法21条の改正について
日医案の医師法21条改正については賛成です。しかし21条の改正と引き換えに、第三者機関への報告を義務付ける、さらに第三者機関の調査に強制力を持たせるというなら、2008年の厚労省大綱案とまったく同じ構造であり断固反対です。
そもそも事故調議論の出発点は、医師法21条が、法医学会のガイドライン(1994年)、厚労省の国立病院部マニュアル(2000年)、外科学会ガイドラ イン(2002年)などによって拡大解釈され、「診療関連死」が21条で定める異状死体にあたるとして、警察の医療現場への介入が増加したことでした。 21条で警察へ届出をする代わりに第三者機関を届け出先にしようという考え方でした。
しかし今や21条の解釈は大きく変貌しています。まず、都立広尾病院事件の最高裁判決(2004年)では、「医師法21条にいう死体の検案とは、医師が死 因等を判定するために死体の外表を検査すること」とされました。すなわち、外表面を検査(検案)して異状を認識しなければ届出義務は発生しないことになり ます(3)。つい先日(10月26日)、厚生労働省の「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」で、医政局医事課長の田原克志氏も、「医 師が死体の外表を見て検案し、異状を認めた場合に警察署に届け出る。これは診療関連死であるか否かにかかわらない」として、この解釈を追認しています (4)。
また、2008年の福島県立大野病院事件の福島地裁判決では、「本件患者の死亡という結果は癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってし ても避けられなかった結果といわざるを得ないから、本件が、医師法21条にいう異状がある場合に該当するということはできない」と判示されました。すなわ ち医療行為に過失が無かったと判断したならば、医師法21条の届出をしなくてもよいということです(5)。
広尾病院事件、大野病院事件のどちらの判決に基づくにしても、いまや診療関連死であるという理由で警察に届け出る必要はないのは明らかです。これで21条 の届出にもとづく警察捜査は激減しますので、第三者機関への届出義務という代償を払ってまで、21条の改正を求める必要はありません。
5. 最後に
日医の高杉常任理事をはじめとする関係者の方々のご努力には感謝いたしますが、残念ながら今回の日医案には大きく失望しました。この事故調査が患者・医療 者の信頼関係を強化するためというなら、院内事故調査を重視し、それで終結するよう支援すべきです。第三者機関への依頼は任意とし、第三者機関の機能はい わばセカンドオピニオンを提示することに限定すべきです。権威のある最終判断をすべきではないし、できるはずがありません。また再発防止は、以前から指摘 するように、別組織で事例を集めて集団分析をすればいいのです。議論の出発点となった医師法21条の解釈が大きく変わっているのですから、日医におかれま しても事故調査制度案を全面的に見直していただくよう、高杉常任理事に伏してお願い申し上げる次第です。
【参考文献】
(1)CB news: 死因究明モデル事業中止論に異論噴出. 2011年04月22日. http://www.cabrain.net/news/article/newsId/33815.html
(2)CB news: 従来の死因究明モデル中止論は撤回- 秋にも新モデル始動へ. http://www.cabrain.net/news/article/newsId/35029.html
(3)橋本佳子:医師法21条判決、マスコミも医療界も誤解. 医療ジャーナリスト協会シンポ、女子医大事件の佐藤氏指摘, m3.com 医療維新, 2012年9月16日.
http://www.m3.com/open/iryoIshin/article/158845/?category=report
(4)橋本佳子:「診療関連死イコール警察への届出」は誤り.厚労省が医師法21条の解釈を改めて提示.m3.com 医療維新, 2012年10月29日.
http://www.m3.com/iryoIshin/article/160917/?portalId=mailmag&mmp=MD121030&mc.l=3499998
(5)井上清成:MRIC Vol.586 医師法21条改正に際しての注意点 http://medg.jp/mt/2012/09/vol58621.html