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Vol.662 南相馬市での違和感と希望

医療ガバナンス学会 (2012年11月26日 06:00)


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~震災から1年半が経過した被災地病院での研修を通して

亀田総合病院
2年次研修医 藤澤 学
2012年11月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


亀田総合病院の先輩であり、2011年11月より南相馬市立総合病院に特命出向しておられる「家庭医」の原澤慶太郎医師のご厚意にて、9月3日から29日 の4週間、南相馬市立総合病院で研修をさせていただいた。震災からちょうど1年半が経過する南相馬市での4週間は、短い期間ではあったが、きわめて密度の 濃い日々であった。

私が滞在した2012年9月の時点においても、ベッド利用率は60%弱程度で、慢性的な看護師を中心とする人手不足ではあったが、この病院では来年度から 初期研修医の受け入れを予定している。私の体験を明かすことは、同病院での今後の研修プログラムの洗練となる可能性がある。
専門領域に進んでいない研修医という立場で、実際に”南相馬市”という被災地の方々と交流できたことや、これからの街の再生に向けた多くのミッションに参 加できたことは、今後の自分の医師・医療人としての生き方に、少なくない影響を与えたと思う。簡単ではあるが、その1ヵ月で得た感慨と知見を述べたい。

主な研修内容としては、社会福祉協議会の主催しているサロンでの生活指導と健康相談、それから”在宅診療部”医師と同行しての往診とミーティングへの参 加、その他にもNPO法人『ほっと悠』、『サポートセンターぴあ』、相馬広域こころのケアセンター『なごみ』といった団体との社会参加、南相馬消防署にお ける救急現場体験など、さまざまな施設に足を運び、復興に向けての活動や現状を見聞することができた。
これら病院の外での研修は、1ヵ月間私のメンターをしてくださった神経内科医の小鷹昌明先生の多方面への働きかけで実現した”オプショナル研修”である。ご尽力いただいたことに対して、この場を借りて厚くお礼申し上げる。

私は、健康サロンで、市民を相手に毎回30分程度、いわゆる”メタボリック・シンドローム”について啓蒙するという機会をいただいていた。震災から1年半 たった今日においても、農業や漁業など一次産業に従事していた人々が職を失い、仮設住宅の中で一日中テレビを見ながら寝転がって過ごしている人がいるとい うのは、(それがたとえ一握りの人たちだったとしても)この街の抱える重い課題のひとつとなっている。

忘れられない光景がひとつある。
南相馬市での滞在後1週間が経とうとしていた日曜日の夕方、私は明日からのサロン活動の下見を目的に、仮設住宅のある南相馬市鹿島地区に自らの運転で足を 運んでみた。なぜかというと、南相馬市には、いまだ5,000世帯の仮設住宅が残っており、サロン活動を展開する際にはその中の集会所を30分間隔で移動 していく必要がある。慣れるまでの間、無味乾燥な仮設住宅の中から集会場を探り当てることが、きわめて困難なことになるであろうことが容易に想像できたか らである。

仮設周囲に車を停車させた。そこで私は、何かとらえ所のないような気持ちに襲われ立ち尽くしてしまった。
仮設住宅に接する隣の区画には、新築のきれいに洗練された住宅地が、同時に、しかも何戸も建っていたのである。無頓着なくらいに、その新居は仮設住宅と隣 接していた。テレビなどのメディア報道では、仮設住宅のみをとらえた一方向しか撮影しておらず、イメージがわかなかったが、まさに「百聞は一見に如かず」 であった。
しばらく見ていても、そこには静寂があるだけであった。そこでは、お互いに干渉することなく、人々は静かに暮らしていた。うがった見方かもしれないが、新 居の人たちのすぐ傍らには、家や家族を震災や津波で失い、不安と落胆を抱えた大勢の人たちがいるであろう。「”不安のある人とない人”とのコントラストの 大きさ」という違和感を、わたしはしばらく拭うことができなかった。

雲雀ヶ丘病院の精神科医師である堀有伸先生と共に、保健師に連れられて、仮設住宅に往診に行く機会をいただいた。しかし、ここでも私は驚くべき事態に遭遇した。
患者宅を訪問して声をかけても、ノックをしても、裏手に回って窓の方から呼びかけても、家の中からは返事どころか、まったく音沙汰もなかった。隣人に尋ね てみると、「隣の家の人は、何をやっているかわからない。夜中に音がするから、家の中にはいるんだろうねえ」という返答であった。壁一枚の間柄であったと しても、赤の他人だから深入りはしたくない。都会では珍しいことではないかもしれないが、この絶対的な危機的状況にある被災地においても、「隣人がどう なっていようが、関係ない」という、コミュニティの完全なる崩壊を感じた。

二軒目では、四畳半一間の空間に、下着姿の老婆が万年床の上で意識もうろうの状態で座っていた。髪の毛にはフケがわき、衣類も汚れ、もう何日もお風呂に 入っていない様子であった。ふすま一枚を隔てた隣の部屋には30歳代くらいであろうか、息子が寝転んでテレビを見ていた。我々がおじゃましても、彼は無干 渉で、何ごともなかったかのようにまたテレビを見続けていた。コミュニティの崩壊は隣人だけではなかった。家庭の中においても、それは同様であった。
特殊な家庭だったのかかもしれない。何か余程の事情があったのかもしれない。私には知る由もない、壮絶な現場がこの街には蔓延していた。糖尿病のコントロールができず、それに伴う”せん妄”という触れ込みで入院したことを、後で知った。

南相馬市が現在抱えている問題は、「20年後の日本の問題」と指摘されている。私は、来年度から、亀田総合病院の血液腫瘍内科で後期研修医として新たな一 歩を踏み出そうと考えているのだが、「自分の目指している医療」と「社会のニーズ」との間に横たわる”明らかな不一致”というものを感じざるを得なかっ た。
この惨状を実際に直視すると、「この先、自分自身の目指すべき臨床に解決策が何一つない、むしろこれから立ち向かう医療は単なる自身の自己満足で終わるのではないか」という、罪悪感と焦燥感に駆られた。

私だけでなく日本の研修医のほとんどは、医局制度の中で、早い段階において専門領域を絞って、すなわちやりたいことを絞って、その分野でスキルを磨くとい う方法が取られていく。病院に来た目の前の患者は救えるかもしれない、むしろ、頑張って救おうとするが、この先、様々な理由で病院にも来られないような患 者、病院での医療を受ける以前のいずれかの段階でつまずいた患者を救う方法はあるのだろうか。
この国の医療体制として、長く続いてきた医局制度と、病気や怪我をしたときには、誰でも平等に医療給付の受けられる国民皆保険制度と、患者を救いたいという医師たちの個々の志とによって、”質”が担保されてきたのではないか。
しかし、併存してきたこれら3つの均衡の崩壊が、すぐそこまできている、いや、もう直面しているのではないかと思う。
その中で、単なる「1患者 対 1医師」という、ありきたりの医療だけでなく、被災地である南相馬市という全体を捉えて、その未来に対して地域住民を巻き 込んで様々なアプローチをしている、この病院の医師たちに、私はものすごく新鮮な感覚を抱くことができた。そして、惨状に対する希望を見出すことができ た。

現時点で、自身の進もうとする道に”迷い”はないが、このような観点で、日本の医療を見詰めていくというのは、南相馬市を訪れて私が新たに認識した、まさ に”境地”であった。それだけでも、研修の価値はとても高かったのではないかと確信している。今回の経験を踏まえて、今後、私自身が、どのような医師・医 療人としての道を歩んでいくのか、日々考えていきたいと思う。

最後になるが、このような研修の機会を提供してくださった、南相馬市立総合病院の金沢幸夫院長を始めとする各先生方には、この場をお借りして深く深くお礼を申し上げる。

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