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臨時 vol 119 「手が滑ったのか、わいせつか 」

医療ガバナンス学会 (2009年5月26日 08:51)


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行き過ぎた医療訴訟が現場を疲弊させる

武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕

このコラムは世界を知り、日本を知るグローバルメディア日本ビジネスプレス
(JBpress)に掲載されたものを転載したものです他の多くの記事が詰まったサ
イトもぜひご覧ください

URLはこちら → http://jbpress.ismedia.jp/

 

 

5月7日、53歳の外科医が逮捕されたというニュースが各局のテレビで流れまし
た。某局では実名と顔写真のみならず自宅まで映し出していました。

大腸内視鏡検査を受けた20代の女性の陰部に、内視鏡を入れるなどのわいせつ
な行為をしたという容疑での逮捕でした。

「本人は、手が滑っただけで故意ではない、と否定しています」とキャスター
が原稿を読み上げています。ニュースだけを聞くと、ほとんどの人が「とんでも
ないわいせつ医師がいたものだ」と思うことでしょう。実際に番組のコメンテー
ターやゲストも、そのような趣旨の発言や表情をしていました。

しかし、本当にわいせつな行為だったのでしょうか。

大腸内視鏡検査の際にカメラを挿入する肛門と陰部は数センチしか離れていま
せん。そして、人の体は千差万別で、毛深い人もいれば、脂肪の多い人も いま
す。検査前の緊張で肛門が固くしまっていた場合には、痛み止めのゼリーを塗り
ます。そのゼリーのせいで周辺が滑りやすくなっていて、故意ではなくても 陰
部に内視鏡が入ってしまうことはあり得るのです。

そうはいっても「プロなんだから手が滑って間違えたりするはずがない」と思
われる人は多いでしょう。確かに99%間違えることはありません。でも、年間
1000件行なう医師であれば、1年間で1~2件の割合で起こし得る不可避な偶発症
です。

私の意見を言わせてもらえば、報道されている状況下において、故意で入れる
ことは「全くあり得ない、考えられないこと」です。

「謝罪する必要がない」とは言いません。でも、それは民事レベルの話だと思
うのです。医療行為を全て刑事免責にする特権を認めろと言いたいわけでもあり
ません。刑事事件として逮捕した以上は、警察側も報道されている以上の事実を
掴んでいるのかもしれません。

それでも、この逮捕劇は医療に対する司法介入が行き着く所まで行ってしまっ
た象徴のような気がしてならないのです。
医療行為に「100%」は存在しない

有名な、福島県立大野病院事件、杏林大学割り箸事件、東京女子医大人工心肺
事件という医師を巡る逮捕劇は、いずれも医師は無罪になりましたが、注意義務
違反としての「予見可能性」および「回避可能性」が厳しく問われました。

「予見可能性」とは、危険性があることを知っていたにもかかわらず対策をと
らなかったことを指します。「回避可能性」は、他の手段をとれば防ぐことがで
きたのに、それをしなかったことを指します。

治療が想定通りにいかなかった場合、「危険を避ける対策をとっていなかった
からではないか?」「他のやりようがあったのではないか?」と思うのは 当然
でしょう。「厳罰を課せば、医療機関や医師はそれを避けるために安全策をきっ
ちりとるようになる」という考え方は、確かに効率的な一面があります。

しかし、これが行き過ぎてしまうと、患者が、医療上起こったあらゆる不利益
な事態に対して、医師の責任として訴えるという事態になってしまいます。

今回、報道された情報から見る限り、内視鏡検査を行なった医師は、回避不可
能な偶発症で逮捕されています。まさに今回のような事案がそれに当たると思う
のです。

これで逮捕されてしまうなら、聴診時に誤って胸に手が触れてしまったら逮捕
とか、類似の逮捕劇が続々引き起こされるのではないか? また、手が滑ったの
は医師だけの責任なのか、患者が検査に協力的であったかどうかも関係してくる
のではないか? 思わず、こうしたツッコミをしたくもなってしまいます。

「治療が想定されたように行かなかった。思ってもみなかった状況になってし
まった。それならば、病院や医師がその責任を取るべきだ。逮捕されるのも当然
だ」。一般感情としてそう思うのは分からなくもありません。

でも、批判されるのを覚悟で書かせていただくと、何事にも100%はないので
す。医療も同じです。医師はベストをもちろん尽くします。それでも、限りなく
100%に近づくだけです。リスクはゼロにならないのです。
行き過ぎた医療訴訟は現場を疲弊させるだけ

現状では、医師は逮捕された段階で実名報道され、医師としての将来のキャリ
アを完全に失ってしまう状況です。裁判まで進み、長い年月の後に無罪だったと
しても、その期間、医師として十分に働くことができなければ、第一線でのキャ
リアは終わったに等しいでしょう。

それを考えると、逮捕という手段がこれほどまでに、特に「医療行為上どうし
ても起こりうる偶発症」の範囲にまで広げて、行なわれるのは、少し行き過ぎの
気がしてならなりません。

繰り返しになりますが、謝罪する必要はもちろんあるでしょう。でも、それは
民事であって、刑事ではないと思うのです。

宿直の問題やオンコールの問題に加えて、現場の医師は、故意でなくても十分
に起こりうる「偶発症」によって逮捕され、キャリアを失ってしまう恐怖に日々
立ち向かわなければならないのです。この「恐怖」も医療現場疲弊の原因の1つ
ではないかと思うのでした。

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