医療ガバナンス学会 (2012年12月11日 06:00)
「三つの投票・三つの結果―アメリカ社会の行方をみつめて」
星槎大学共生科学部教授
東京大学医科学研究所非常勤講師
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2012年12月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●争点としてのヘルスケア改革
マサチューセッツ州のヘルスケア改革法は、いまから6年前の2006年4月12日にロムニー氏が署名し、翌年2007年7月1日から施行されました。この 法律は州民全員に保険を持つことを義務付けています。しかも、税の申告の時に保険に入っているかどうかを調べ、入っていない人は罰金を払わなくてはならな いという厳しい制度になっています。
保険料を払うことが困難な低所得者へは、州が財政的に支援します。その結果、改革法以前の2005年に55万人いたマサチューセッツの無保険者は、施行後 の2008年には約11万人へと急速に減りました。このマサチューセッツの改革法は、カイザーファミリー財団とハーバード公衆衛生大学院が2008年に実 施した調査によると、7割近くの州民による支持を得ています。
自らが州知事だった時に成立させ、その後も高い支持を得たマサチューセッツ州のヘルスケア改革法でしたが、ロムニー氏は連邦の大統領として立候補するに当 たり、オバマ氏のヘルスケア改革法を真っ向から否定しました。この点については、もちろん一般市民やジャーナリストたちが厳しく追及しましたが、ロムニー 氏は州と連邦は違うと繰り返すだけで、納得のいく答えは出しませんでした。この様なロムニー氏の態度に対し、多くのマサチューセッツの人々は疑問を感じて いました。
これでオバマ政権は2期目に入りますが、この4年間に解決されることが期待される課題は沢山あります。いまだに反対する声の大きい医療保険制度、コストが 膨らんでいる社会福祉プログラムの改革などは、真っ先に取り組む問題になるでしょう。その背景には、年間1兆ドルに上る巨額の財政赤字、16兆ドルに達す る債務という問題があります。他にも米議会における民主党と共和党の対立解消、中国の台頭やイランの核問題などを背景に難しさを増す外交問題など、たくさ ん課題はありそうですが、アメリカがどのような方向性を目指すのか注目されます。
●連邦議会選
ふたつ目は連邦議会選です。11月6日の大統領選と同時に連邦議会選も行われました。マサチューセッツ州では、民主党から出馬した、ハーバード大学の法律 学教授であるエリザベス・ウォレン氏が上院の議席を獲得しました。この議席は、民主党の大物議員テッド・ケネディ氏の死亡による補欠選で共和党の新人ス コット・ブラウン氏に奪われた因縁の議席でしたが、ウォレン氏の当選は、マサチューセッツ州ではじめての女性上院議員としても大きな意味がありました。
ウォレン氏は銀行破産法が専門ですが、それは、クレジット破産や不動産破産など、アメリカの中間層が搾取される形で破産せざるを得ない状況を何とかしよう という志で行われています。2008年のリーマン・ショックの時、ウォレン氏は資産問題救援プログラムの成立を監督し、アメリカ消費者金融保護局の設立に もアドボケーターとして尽力しました。ウォレン氏は、アメリカの中間層家族のために闘ってきた活動家でもあるのです。
それは彼女の経歴からも読み取れます。ウォレン氏の父親は、彼女が9歳の時に心筋梗塞になりました。勤め先からは仕事の内容を変えられ、減給されました。 医療費もかさみ、一家は車を手放し、母も働きに出るようになりました。彼女は9歳からベビーシッターとして働き始め、13歳からはレストランでウェイトレ スをしました。
ウォレン氏には3人の男兄弟がいますが、すべて軍隊に入っています。低所得者が教育を受けたり、経済的に独立をしたりしてゆくために、奨学金が出たり給与が保証されたりしている軍隊は手ごろな場所なのです。
ウォレン氏は大学を出た後、学校の教師として働きました。結婚して子どもをもうけた後に法律を学び、一時期は法律家として働いた後、大学の法律教師になっ たというわけです。ハーバードの教授といっても、アカデミアの世界だけにいた人ではなく、子どもの頃から現実社会の荒波にもまれ、潜り抜けていたという人 物です。
こうしてマサチューセッツ州はまた民主党の上院議員を擁するようになりました。連邦全体を見回すと、議会選の結果、上院は民主党が過半数を維持、下院は共和党が過半数を維持しました。これで議会はいわゆる「ねじれ」状態が引き継がれました。
●医師による自殺幇助法(Physician Assisted Suicide Act)の住民投票
そして3つ目として、マサチューセッツ州では前二者と同じくらい注目を集める投票が行われました。それは医師による自殺幇助(PAS)法、またの名を尊厳 死法の可否についてでした。これは、末期がんの当事者や亡くなった方のご家族などを中心に、125,000人の署名が集められ、住民投票にかけられること になったのです。内容は、余命6か月以内と診断された時に、主治医とカウンセリング医師の承認がある場合に限って、本人が希望すれば医師が致死量の薬物を 処方できるというものでした。
この医師による自殺幇助法を巡っては、賛否の議論が交わされました。最後まで自分の人生をコントロールする権利を主張する陣営、自殺そのものを許さない陣 営など、政治的、宗教的、思想的、職業的にさまざまな団体、患者団体、障害者団体、医療専門職団体が、それぞれの主張を繰り広げてきました。
このような状況の中で、マサチューセッツ州医師会は、自殺幇助(PAS)法に反対のスタンスを取ることが表明されました。反対の理由は、以下のようなもの でした。1)PASは癒すものとしての医師の役割に根本的にそぐわない、2)余命6カ月という確実な診断はできないし、そうした予測は不正確である、3) 数か月で死ぬと診断された患者がそれ以上、時には何年も生きるケースも少なくない、4)不十分な説明で患者が意思決定してしまうことへの予防策も、患者が 死ぬよう教唆を受けて意思決定することへの予防策も、盛り込まれていない。
投票後すぐに開票が行われて日付が変わってすぐの11月7日の午前2時、93%開票段階で、反対51%に対して賛成49%となりました。最終的には開票数275万で、合法化成立に38,484票の不足で、マサチューセッツ州での医師による自殺幇助法は否決されました。
ちなみに、アメリカの中で医師による自殺幇助法が認められているのは、オレゴン州とワシントン州のふたつの州だけです。オレゴン州では2011年に114 人、ワシントン州では70人が、合法的に死を迎えています。この法律を利用した人の特徴としては、ほとんどが白人で、高学歴で、末期のがんを患っていまし た。
●自分たちで決めた責任
オバマ大統領は、勝利が決まった直後、支持者にメイルでこう呼びかけました。
「あなた方に知って頂きたいことは、この勝利は運命などではない事、偶然の出来事でもない事です。あなた方がこの勝利を導いたのです。I want you to know that this wasn’t fate, and it wasn’t an accident. You made this happen.」
これは、人々に対して、選んだからには共同責任があるので協力すべきだと言っている事と等しいと思います。ウォレン氏を上院議員に選び、医師による自殺幇 助法を否決したマサチューセッツ州民にも、同じ言葉がかけられるでしょう。ある道を自分で選んだら、その選択に責任を持つのです。
これは、市民が政治と遠いところにいるのではなく、政治に参画しているという意識を持てる仕掛けであり、アレクシ・ド・トクヴィルが19世紀のアメリカ社会を見聞して著した『アメリカの民主主義』で描かれた伝統的国民性でもあります。
日本では12月16日に都知事選や衆院選を迎えます。候補者を知る準備期間があまりにも短いので、どのくらい把握できるか疑問ではありますが、責任のある投票をしたいものです。
*この度、日本に活動の拠点を移すに当たり、『ボストン便り』は最終回とします。ご愛読ありがとうございました。次回からは、『医療社会学のフィールドか らの手紙』と題して、医療という異文化世界を外側から覗いていて、気づいたことや驚いたことなどを綴っていきたいと思います。引き続きよろしくお願いしま す。
*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。
【参考資料】
・マサチューセッツ医師会の見解、ゴーローカル/ウォーセスター・ヘルス・チーム、Monday, September 17, 2012 http://www.golocalworcester.com/health/new-mass-medical-society- takes-stance-on-physician-assisted-suicide-and-med/
・Assisted suicide measure appears headed for defeat
Boston Globe, November 7, 2012
http://www.boston.com/metrodesk/2012/11/07/assisted-suicide-measure-too-close-call/8Nzb3GxeZZ9KgKY9kJzvFJ/story.html
紹介:ボストンはアメリカ北東部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程の後、2005年からコロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て、 2008年からハーバード公衆衛生大学院フェローとなる。2011年10月から星槎大学教授、2012年7月から東京大学医科学研究所非常勤講師を兼任。 『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)、『チーム医療とは何か』(日本環境協 会出版会)。現在の関心は医療ガバナンス、日米の患者会のアドボカシー活動。