薬礼という言葉があります。むかしむかし日本では、医者の診察自体は無料で、
その携える薬のみにお金を支払ったと考えたことを指す言葉のようです。戦国時
代から江戸時代初期の名医として知られる甲斐の永田徳本が「甲斐の徳本、一服
十八文」と称えながら、牛の背に乗り諸国を漫遊したという伝説に、その一端を
知ることができます。戦国時代の名医は、診察に対してではなく、自ら処方調剤
した薬の代金として報酬を受け取っていたわけです。
さすがに診察が無料ということはまもなく無くなったようですが、明治維新ま
では医者が調剤し、薬代に医者への報酬が上乗せされるということが当たり前と
されてきました。
その後も薬剤師不足などを理由として医師による調剤と投薬は続いてきました。
敗戦後の連合軍占領下では、GHQのサムス准将らが医薬分業を進めたもののや
がて頓挫します。診療所や病院の中の院内薬局から薬をもらうのが当たり前の時
代が長く続きましたが、漸く近年にいたって、患者さんは会計後に処方箋だけを
受け取り、門前薬局や近所の薬局でクスリを受け取るという風景が当たり前のも
のになりつつあります。
ところで、新聞報道などによると、厚生労働省近畿厚生局麻薬取締部は処方箋
を交付する前に患者に対して向精神薬を譲渡したとして、大阪府の医師1名と奈
良県の薬剤師4名を麻薬及び向精神薬取締法違反容疑で書類送検していたそうで
す。
処方せん出さず睡眠薬を販売、大阪の精神科医ら書類送検
(2009年4月13日20時26分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090413-OYT1T00621.htm
今回はこの問題を掘り下げてみます。お付き合い下さい。
さて、通常の外来診療であれば、患者さんが受け取った処方箋は調剤薬局で薬
剤師に渡され、それと交換に薬剤が譲渡されることに無理はありません。
しかし、訪問診療では事情が異なります。
第一の関門は処方箋をどこで発行するのかです。
訪問診療先には、カルテを拡げるスペースはもちろん、処方箋を書く為の場所
すらないことが珍しくありません。ただ、ほとんどの場合は定期的な処方の繰り
返しですから、若干の臨時処方の追加や処方の一部変更程度であれば、事前に用
意しておいた処方箋を、そのまま、あるいは患家や施設内で修正して手渡すこと
で対処できます。ただ、場合によっては一度診療所や病院に立ち帰り、別途、処
方箋を届ける算段を付けなければならない事態も生じます。その場合、特に急ぎ
の時には誰かが患家や施設までその処方箋を届けることになります。
医師が出直して届けるのであれば話は簡単ですが、次々と訪問先を行き来する
中での実行は容易なことではありません。しかし、医師以外の職員がこれを届け
ることは、法令解釈上は可否が必ずしも明らかではありません。ましてファック
スであればどうか、メール添付ならどうかなどとなると、それらは微妙なところ
でしょう。
ある朝突然に法令違反として当局による捜査が開始されても不思議はありませ
ん。
次にその処方箋を薬剤師がどうやって受け取るのかが問題です。これは大きく
分けると二つの解決策に行き着きます。
一つは薬剤師が患家あるいは施設に出向いて処方箋と受け取るのと交換に、薬
剤を譲渡することです。もう一つは家族や施設の看護師、訪問看護師等の誰かが
患者さんの代理として処方箋を薬局に持って行く場合です。
ここでまず、第1の場合が問題です。患家や施設に出向く場合、どんな薬剤で
も処方されている可能性があると考えると、薬剤師がありとあらゆる薬剤を山ほ
ど持って患家に出向かねばなりません。これはあまりにも現実的ではありません。
そこで処方情報と処方箋の分離という事態が生じます。予め処方情報だけが薬
局薬剤師の手元に届き、それによって調剤行為が行われてから、薬剤と処方箋の
交換が患家や施設で行われるのです。
具体的には、処方情報は医療機関から直接に、あるいは処方箋を受け取った患
家や施設の関係者の手によってファックスなどの形で間接的に薬局薬剤師の手に
渡ります。
後者については、患者の利便性向上のために薬局が全て申し合わせて患者専用
のファックスを用意している地域もあります。ところがそういう基盤のない地域
では、前者のように患者の手許の処方箋とは全く関係ないところから処方情報が
薬局に届くことになります。そしてその場合、処方箋を発行するということの意
味が全く消失していることに気づかずにはいられません。
処方箋の真正性と正確性の情報の大半は医療機関側にあり、薬局薬剤師が医療
機関から直接送られてきた処方情報を(誤投薬の可能性を除けば)疑う理由がな
いからです。
第2の、家族や施設の看護師、訪問看護師等の誰かが患者さんの代理として処
方箋を薬局に持って行く場合も問題がないわけではありません。人手の問題です。
家族介護に頼っている場合は、日常の種種の買い物に比べれば、薬局に行く実
時間は頻度としても長さとしてもさしたることではないかも知れません。ただし、
いざ出掛けるとなるとその間の患者さんは不便を強いられます。誰がその間を見
守るのかが問題になります。そこにコストが生じます。
施設の看護師が薬局に出掛けることは、それでなくとも予算や報酬減額によっ
て慢性的な人手不足にある現場の負担としては厳しいものがあり、また制度とし
ても想定されていません。
訪問看護師の業務として患者に代わって処方箋を薬局に携帯し、譲渡された薬
剤を患家や施設に届けてもらうというのが、現在では最も現実的な解決策の一つ
です。
ただし、そのコスト負担の問題は離れがたくつきまといます。看護師の専門性
を必要とする業務なのか否かも問題です。むしろ服薬指導は薬剤師が直接行い、
訪問看護師は与薬状況の確認を行う方が本務と考えられないでしょうか。
また、もし今後、Nurse Practitioner(NP)制度が導入されたときには、医
師には患者に対する交付義務のある処方箋が、NP自身が患者に交付した処方箋
をそのまま受け取って、薬局に持って行くことになり、実態として空文化するこ
とになります。処方箋をめぐる制度はいずれにせよ見直されざるをえません。
以上見てきたように、在宅医療の分野では処方箋という名の紙とその上の処方
情報がしばしば分離され、時に平行に別々のルートを辿る必要が生じています。
処方箋というシステムは時代遅れと言うべきでしょう。
問題のカギは、果たして在宅医療の分野でも処方箋が患者さんに渡されるとい
うことが必要とする規制が合理的であるのか否かというところにあります。
形式的には充分に犯罪要件を構成していても、その法規そのものが問題を内在
している場合、これを長く処罰の対象にし続けることは立法の怠慢であり行政の
横暴としか思いません。