1 厚労省による許されざる人権侵害
平成21年5月28日時点において、日本国内の新型インフルエンザ患者は診
断されただけでも364名であり、実際の患者数は数万人以上いるものと考えら
れている。
現在となっては、その20日前の5月8日、日本中が大騒ぎした国内「初」の
新型インフルエンザ患者発見騒動を中心とした検疫原理主義には理論的にも科学
的にも何の意味もなかったことは明らかである。
それどころか、その間、非合理極まりない厚労省の下した停留処分により、計
49名の濃厚接触者(感染者の周囲半径2mにいた者)の人身の自由(憲法18
条)が1週間にも及び奪われたのである。
我が国における、感染症対策はハンセン氏病に代表されるように非合理極まり
ない人権侵害の歴史ともいえる。今回、厚労省による人権侵害の歴史にまた新た
な1ページが追加されたことをここに記載する。
2 経緯 ~厚労省による違憲・違法な停留処分まで~
4月28日、WHOは継続的に人から人への感染がみられる状態になったとして、
インフルエンザのパンデミック警報レベルをフェーズ4に引き上げた。それ以降、
厚労省は、新型インフルエンザ対策として、かねてより作成していた「新型イン
フルエンザ対策行動計画」と「新型インフルエンザ対策ガイドライン」に従い、
成田空港等で大規模な検疫を行った(健感発0428003号)。
そして、5月8日、デトロイド経由成田便に乗っていた高校教師一人と高校生
二人が新型インフルエンザに罹患していることが判明するや、その半径2m以内
に着席していた乗客及び乗員計49名を検疫法三十四条の二第三項、同法十四条
第一項第二号に基づき停留処分とした。
49名の乗客の停留処分は成田付近の宿泊施設において行われた。ホテル正面
で警察官が厳重に警備に当たる中、乗客は着の身着のままで個室に閉じ込められ
たのである。部屋から出ることができるのは原則食事のときのみであり、停留処
分が解けた15日までの7日間、一度も枕カバーやシーツは交換されなかったと
いう。
3 人身の自由
憲法18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処
罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と定め、国民の
人身の自由を保障した。
言うまでもなく人身の自由は人が人として生存するために欠かすことのできな
い根本的な権利である。したがって、国家刑罰権の行使である懲役等の場合は別
途考える必要もあるが、それとは異なる今回の停留処分のような場合には、国家
権力による身体拘束は必要最低限にとどめられなければならない。
すなわち、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険
を回避し、防止することの必要性が優越する場合には、その限度においてのみ人
身の自由に対する制限が認められるのであり、かつ、その危険性の程度は、単に
危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、客観的な事実に照らし
て明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見できることが必要である。
特に我が国の感染症対策の歴史は暗黒の歴史であり、その反省を受けて平成1
0年に制定された「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」
においては、法律では異例である前文を有しており、その前文には「我が国にお
いては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対する
いわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓とし
て今後に生かすことが必要である。このような感染症をめぐる状況の変化や感染
症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、
これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確
に対応することが求められている。ここに、このような視点に立って、これまで
の感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者
に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。」
と示されている。
そして、同法第二十二条の二において、国内の新型インフルエンザ患者等に対
する入院勧告等の人権を制限する処分につき、「感染症を公衆にまん延させるお
それ、感染症にかかった場合の病状の程度その他の事情に照らして、感染症の発
生を予防し、又はそのまん延を防止するため必要な最小限度のものでなければな
らない。」として、先に述べた人身の自由に制限をかける場合の必要最小限度の
原則を明記した。
以上より、新型インフルエンザにおいて検疫法に基づく停留処分をする場合に
は、「新型インフルエンザが国民に蔓延することにより人の生命、身体が侵害さ
れる危険性が客観的な事実に照らして明らかに差し迫っていると具体的に予見で
き、かつ、当該危険が停留処分により生ずる人権侵害を優越していること」が必
要であり、かつ、そのような場合であっても、その危険を避けるための最小限度
の方法、態様で認められるにすぎないのである。
4 WHOの判断と厚労省の狂気
WHOはブタ由来のインフルエンザA(H1N1)感染発生当初である4月27日より
一貫して「WHOは通常の旅行の制限や国境の閉鎖をなんら勧告していない。(WHO
advises no restriction of regular travel or closure of borders.)」とし
ていた。
すなわち、WHOは検疫の必要性を一貫して否定し続けていたのである。
しかし、日本はWHOの勧告を何らの客観的根拠もなく無視し、異常ともいえる
重厚な検疫を強行し、その様子をメディアを使ってさも必要不可欠とばかりに日
本全国に繰り返し宣伝し、国民の不安を煽り続けた。
このような異常事態を受けてWHOは繰り返し日本に対して警告を発することと
なる。5月4日には「各国の方々に、科学的に根拠がなく明確な公衆衛生上の利
益をもたらさないような、経済あるいは社会を破壊するような方策を行なわない
よう、強く嘆願します。(In this regard, let me make a strong plea to
countries to refrain from introducing measures that are economically and
socially disruptive, yet have no scientific justification and bring no
clear public health benefit.)」とし、既にSARDSの際に科学的に否定された
検疫をしないよう促したが、厚労省はそれを無視して検疫を続行(この時点で、
検疫(簡易なものを除く)を行っていた国は世界で日本と中国の二カ国のみ)し
た。
それを見かねたWHOは5月7日「渡航に関するQ&A」において、
Q. WHOは出入国の際に病気のヒトが旅行しているかを検出するスクリーニングの
実施を推奨しますか?
A.いいえ、推奨しません。我々は出入国のスクリーニングがインフルエンザの広
がりを減らすために有効であるとは思いません。しかし、公衆衛生のリスクに対
応するための国レベルの方策は、国際保健規則2005によって、各国の当局が決定
することであるとされています。
として、ほぼ名指しで日本の厚労省を指摘したうえで、
国際的な交通に過度に干渉する方策を採る国は(たとえば飛行機による旅行者
の移動を24時間以上延期したり、入国や出国を拒否したりすること)、そうしな
ければならない公衆衛生上の理由と根拠をWHOに提示しなければなりません。WHO
はすべての加盟国におけるこのような事態について追跡調査します。
(Countries that adopt measures that significantly interfere with
international traffic (e.g. delaying an airplane passenger for more than
24 hours, or refusing country entry or departure to a traveler) must
provide WHO with the public health reasoning and evidence for their
actions.)
旅行者は常に人権を尊重され敬意を持って接せられるべきです。
Travelers should always be treated with dignity and respect for their human rights.
として、停留処分を行ってはならないと明示した。
しかし、このような警告が繰り返されたにもかかわらず、翌5月8日、厚労省
による停留処分は強行された。
国際機関であるWHOがほぼ名指しで特定国の特定部局に対し繰り返し警告を発
するということは今まで聞いたことがない。厚労省のとった一連の行動は前代未
聞の異常行動であったことはこれだけで明らかと言える。
5 米国の対応
4月23日、数例の重症呼吸器疾患症例で、ブタ由来のインフルエンザA(H1N1)
ウイルス(S-OIV)感染が確認され、ついで4月25日、「メキシコで新型イン
フルエンザ患者が1300人以上うち80人が死亡」との報道がなされた(後日、
メキシコでのインフルエンザによる死亡は25例で確定)。これをもとにすると
致死率は6%と非常に高いものであったことから、4月29日にCDC(米国疾病
予防管理センター)が発表した「ブタインフルエンザA(H1N1)ウイルス感染が確
認されたか疑われている患者及び濃厚接触者に対する抗ウイルス薬使用の暫定的
手引き」では感染拡大の防止目的の学級閉鎖を推奨していた。
しかし、5月1日には、世界11カ国 計257例の感染確定例が報告されるなど、
世界中に拡大してくる一方、重症度は季節性インフルエンザと変わらない弱毒性
ウイルスであることが明らかとなってきた。
それを受けてCDCは、5月5日「幼稚園から高校及び保育施設における新型イ
ンフルエンザA(H1N1)ウイルス感染に対するCDCの暫定的なガイドライン」におい
て、「新型インフルエンザA(H1N1)感染が疑われる症例あるいは確認された症例
が生じた為に学校閉鎖を行うことは勧められず、また一般的に、生徒や職員の多
くが欠席し学校業務に支障が出る事態でない限り勧められない。今回のアウトブ
レイクに関連した前回のCDCの暫定的手引きに基づいて閉鎖された学校は再開し
てよい。」とし、学級閉鎖の必要性を否定し、以降そのスタンスを変えていない。
すなわち、遅くとも5月5日の時点で「人身の自由の制限との比較衡量をする
までもなく、感染者と濃厚に接触していた者であってもその者自身の感染が確認
されない限り、隔離する必要性が認められない」のである。
6 故意による人権侵害
以上より、5月8日に行われた厚労省による濃厚接触者49名に対する停留処
分は、必要最低限どころか何の根拠もない荒唐無稽な処分であり、憲法18条を
故意に侵害する違憲・違法な処分であることは明白である。
我が国におけるこれまでの厚労省自身による人権侵害の歴史を顧みないばかり
か、WHOの前代未聞の名指しの警告を故意に無視してまで、自らの意思で、人権
侵害に及んだ厚労省という狂気の組織には戦慄すら覚える。
今回の尋常ならざる暴走がいかにして生じたか徹底して究明する必要があることは勿論、
厚労省により繰り返される人権侵害の負の連鎖を断ち切るためにも、厚労省の
担当者には公務員職権乱用罪(刑法193条)等により厳罰を与える必要がある
ものと考える。
また、今秋以降、第二波、第三波が来ることが想定されることから、検疫法に
おいても、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律と同様に人
権の制限を伴う処分を行う場合には、必要最小限度の原則が適用されることを明
記するとともに、今回の件でも明らかなように、公務員の無謬性は単なるフィク
ションでしかないのであるから、必要最小限の原則に違反した処分をしたものに
対する罰則を設ける等このような悲劇が二度と繰り返されないよう、速やかに法
改正する必要があるものと考える。