【はじめに】
誰一人として正解を知っている人はいない。現場や専門家の声に謙虚に耳を傾
けてすべての関係者が立場を越えて国民の命を守らなければならない。―5月28
日、参議院予算委員会において新型インフルエンザの問題が集中審議された。私
は大学で保健学を学び、大学院で法律を学んだ。今回の新型インフルエンザ問題
は、公衆衛生と法律にまたがる問題であると考え、傍聴に臨んだ。本稿ではその
感想等を述べたいと思う。
【背景】
当初の予定、5月25日の参議院予算委員会で鈴木寛議員(民主党)が新型イン
フルエンザについて質問をするはずであった。鈴木議員は、参考人として、現役
検疫官の木村盛世氏と国立感染症研究所感染症情報センター主任研究官の森兼啓
太氏を招致していた。しかし、当日開始時間になっても予算委員会は始まらず、
開始予定時刻を1時間もオーバーした。これは、与党が木村氏の出席を拒んだた
めである。鈴木議員によれば、舛添大臣は木村氏の出席を容認したというが、そ
れにもかかわらず木村氏の出席は拒まれたのである。
結局、25日は参考人招致が認められず、28日の午前中に審議されることとなっ
た。このことはメディアでも報道され、政府に不利な発言をすると考えられる参
考人を隠ぺいしたのではないかと批判された(朝日新聞「与党、水際対策批判し
た検疫官の出席拒否 野党は反発」、ロハスメディカル「新型インフル 参院予
算委で”参考人隠し”」など)。
【5月28日集中審議の流れ I ~鈴木議員の質問】
この日は、新型インフルエンザ問題について、鈴木寛議員(民主党)、西島英
利議員(自由民主党)、澤 雄二議員(公明党)から質問が行われた。参考人は、
鈴木議員が招聘した現役検疫官・木村盛世氏、国立感染症研究所感染症情報セン
ター主任研究官・森兼啓太氏、西島議員が招聘した新型インフルエンザ対策本部
専門家諮問委員会委員長・尾身茂氏、国立感染症研究所感染症情報センター長・
岡部信彦氏である。
両党が招聘した参考人の顔ぶれを見ると、政府専門家委員会vs.現場、感染研
の上司vs.部下という対立構造になっていた。そんな中、政府のこれまでの新型
インフルエンザ対策にどのような批判が出るのか出ないのか、注目の審議であっ
た。場内にはNHKの生中継が入り、各種メディアの取材も入っていた。
【検疫偏重体制についての質問】
最初に新型インフルエンザ関連の質問を行ったのは鈴木議員であった。鈴木議
員は冒頭で日夜インフルエンザ対策に従事している人々への感謝の言葉を述べ、
質問に入った。
まず、鈴木議員が問題としたのは検疫偏重体制である。この問題については、
非常に難しい判断であり、インフルエンザが国内で発生したという結果について
追及するつもりはないが、国内外の専門家や現場が検疫体制を支持していたのか
という指摘がなされた。
森兼氏は、検疫体制について四点のコメントを述べた。1)検疫は有症状者の発
見には一定の効果があるが、コストとのバランスが重要である、2)成田での感染
者発見に目が向いて、国内整備が遅れたこと、3)国内感染が確認された時点で検
疫を縮小すべきであったこと、4)検疫に2,3時間もの時間を要し、延べ10万人
もの人々に不快感を与えたことである。森兼氏は、特に2)の点については第二波
への教訓とすべきであると明言した。
そして、現場や厚労省内部からも検疫体制に疑問の声が出ていたにも関わらず、
検疫が強行された背景にはどのようなことがあったのかという質問に対し、木村
氏は三つの問題点を挙げ、検疫偏重体制を批判した。第一点は、検疫偏重が政府
のパフォーマンスではないかという指摘である。木村氏は「マスクをつけて検疫
官が飛び回っている姿は国民にパフォーマンス的な共感を呼ぶ。そういうことに
利用されたのではないかと疑っている」と述べた。第二点は、検疫法の問題点で
ある。検疫法は水際対策に特化した法律であり、国内体制については感染症法の
管轄となる。厚労省として、国内体制は地方自治体に任せるという考えがあった
のではないかと指摘した。第三点は、行動計画についてである。今回のインフル
エンザ対策の行動計画には医系技官が深く関与しているが、医系技官の間で、十
分な情報収集・議論がなされ、見直しがなされたのかどうか疑問であると指摘し
た。
これらの参考人の発言に対して、場内からは拍手と歓声が沸き起こっていた。
【検疫法改正についての質問】
続いて、検疫法の改正について質問がなされたところ、上田博三健康局長が答
弁に立った。上田氏は「現時点において法改正の必要性の検討を始めるのは時期
尚早である」と明言した。その他にも、PCR体制の抜本的改革、相談センターの
パンク等についても質問がなされ、上田氏が答弁に立ったが、いずれも明確な回
答はされなかった。場内はヤジで騒然となり、上田氏の答弁がよく聞きとれない
という場面もあった。
舛添大臣は、検疫に関して検疫官を10人増やしたが現場の労働条件が改善さ
れていなかったことについては努力したいと述べ、さらに、国内感染の拡大につ
いて、1)水際対策に注意が向いていたこと、2)10代の感染が多い中、小中学校は
学校閉鎖などを行い観察していたが、高等学校に注意がいっていなかったことを
反省点として挙げ、来るべき第二波に備えたいと述べた。
【予算についての質問】
鈴木議員は、このほかにも、感染症病床の不足や大学病院の役割の重要性、血
液不活化技術の必要性、新薬開発の承認等さまざまな問題点を指摘し、新型イン
フルエンザ対策(特に診断・相談・治療)のための予算の必要性を訴えた上で、
麻生総理大臣に対して補正予算の修正を提言した。これに対して麻生総理大臣は、
補正予算の組み替えは行わないことを明言し、新型インフルエンザ対策について
は予算の執行で対応すること、また、地方自治体独自の取り組みについては特別
交付税や予備費で対応する考えを明らかにした。
このやり取りの間、鈴木議員の発言に対しては拍手が、麻生総理大臣の発言に
対してはヤジが飛びかい場内は騒然とした雰囲気に包まれたまま、鈴木議員の質
問が終了した。
【5月28日集中審議の流れ II ~西島議員の質問】
西島議員は新型インフルエンザ対策行動計画策定にも関与した議員である。西
島議員は、木村氏や森兼氏による検疫偏重体制への批判、また、木村氏によるタ
ミフルやワクチン投与への批判を取り上げ、このような発言がなされると国民に
不安を与えると指摘しながら、新型インフルエンザの侵入を完全に防ぐことはで
きず、患者発生のピークを先送りしながら対策を練っていくことが行動計画の狙
いであるとした。その上で、一連の政府の対応について、グローバルな視点も含
めてのコメントを尾身氏に求めた。
【水際対策について】
尾身氏は、冒頭で、新型インフルエンザ対策については政治的信条を越えて、
いわばオールジャパンで取り組むべきことであること、及び専門家としての基本
的理念と客観的事実に基づいてコメントするということを述べた。
水際対策については、万能薬ではないと指摘した上で、一定の効果を認めた。
そのひとつは、国内感染が確認される前に時間稼ぎをすることができ、その間に
地方自治体等に診断薬を配布することができたことである。もう一つは、成田で
4人の新型インフルエンザ患者を発見し、詳しく分析したことによって、日本人
の新型インフルエンザ反応が、メキシコやアメリカで発生したものと同じである
ことがわかったことである。そして、問題点として、国内感染の可能性を専門家
及び厚労省をはじめ政府関係者も認識していながら、水際対策に追われ、国内体
制の整備の必要性、サーベイランスの立ち上げ・強化の必要性が明確に示されな
かったことを指摘した。
さらに尾身氏は次回への教訓として、病原力と感染力を両軸とした二次元的な
対策への見直しを厚労省が今すぐ行うべきだと指摘した。
【学校閉鎖について】
学校閉鎖について質問が及んだ。西島議員はここでも木村氏の主張を引いて、
学校閉鎖の有効性について尾身氏にコメントを求めた。
この点について尾身氏は、まず感染症対策の基本として、新しい感染症が発生
した場合速に発生初期の段階では古典的な公衆衛生的方法(閉鎖、隔離など)が
有効であると述べた。その上で、今回神戸や大阪での感染がある程度抑えられた
のは、学校閉鎖が一定の効果を発揮したためであると述べた。また、社会活動と
いう点からも、企業活動の停止に比べて学校生活を休止することは社会の理解が
得やすいということも指摘した。
【行動計画やタミフル・ワクチンについての質問】
西島議員は、現在の行動計画は現場を知らない者が作成しており役に立たない
と言われているが、危機管理の観点からは最悪の事態を想定して作成するのが当
然とした上で、行動計画について岡部氏にコメントを求めた。
岡部氏は、行動計画についてはパンデミック(大流行)を想定して作られたも
のであり、流行の程度が低い場合には役に立たないことが考えられるが、その場
合には行動計画内にある「適時適切に修正する」という条項を使ってほしいと述
べた。
さらに、西島議員は治療薬としてのタミフルについて言及し、年々予算を組ん
でタミフルの備蓄をしてきたがタミフルやワクチンの有効性に疑問を示す意見も
あるとして、この点について岡部氏にコメントを求めた。
岡部氏はどんな薬やワクチンも100%の効果を期待することはできないと指摘
した上で、新型インフルエンザに対してはタミフルやリレンザは一定の効果があ
ると述べた。インフルエンザは一般に治療をしなくても治癒するものであるが、
より快適に過ごすという意味では効果が認められるということである。そして、
現在インフルエンザ治療薬としてタミフルとリレンザの二種類しかないことを指
摘し、新薬をすばやく承認できるシステムは必要であると述べた。また、ワクチ
ンについても、ポリオ等に比べればその効果は劣るものの一定の効果は認められ
るのであり積極的に活用すべきであるが、日本はワクチンの活用に関しては環境
が整っていないと指摘した。
また、第二波の到来については、くるものとして対策を立てるべきだと述べた。
西島議員は、質問の回答に対してたびたび補足をする場面が見られた。
【傍聴を終えて 予算委員会の意義】
今回私が傍聴したのは参議院予算委員会である。つまり、この場でメインに議
論がなされるべきは「予算」のことであるはずだ。国を挙げて行動を起こすには、
理想や理念だけでは動くことはできない。そこに財政的裏付けがあって初めて行
動につながる。それだけ予算の問題は重要である。しかし、私が傍聴していた限
りでは新型インフルエンザ対策の予算について言及があったのは鈴木議員の質問
のみであった。しかも、鈴木議員は細かい数値を示すなどして予算ニーズを明確
に示しているのに対し、政府側は明確な数値を提示することなく、予算の執行で
対応するといった抽象的な答弁に終始していた。
国民から集めた税金を適正に使うためにこのような予算委員会が設置されてい
るのであるが、新型インフルエンザ対策という国民の生命・健康にかかわる事態
であるにも関わらず、十分な議論がなされなかったというのが多くの国民の感想
ではないだろうか。特に今回は、NHKの生中継や各種メディアが入るなど国民の
注目度も高いものであった。それにも関わらず、予算について浅い議論しかなさ
れなかったことはとても残念なことであり、予算委員会の存在意義に疑問符をつ
けざるを得ないだろう。
【議論を振り返って】
今回の新型インフルエンザ対策については、検疫偏重と行動計画の見直しが大
きな論点になっている。特に、検疫偏重体制については、現役の検疫官である木
村氏が早くから各種メディアで警鐘を鳴らしていたこともあり、今回の集中審議
でどのような議論がなされるか注目していた。これについては、すべての参考人
が論調の差こそあれ、検疫偏重体制に問題があったことを明言していたのが印象
的であった。政党を越え、立場を越えて意見が一致するのであれば、なぜもっと
早くから検疫偏重体制が改善されなかったのか。鈴木議員が質問冒頭で述べてい
たように、一部の者の思い込み・思惑・メンツ等によって科学的に正しい意見が
封殺されていたのではないかと勘ぐってしまう。
検疫についてさらに言えば、検疫の根拠となるのは検疫法である。検疫に問題
があることが明らかになったのであれば、その根拠となる法律の改廃について論
じられるのは自然な流れである。今回法改正については鈴木議員が質問したが、
上田健康局長は法改正の必要性検討は時期尚早として、十分な議論はなされなかっ
た。しかし、上田健康局長が法改正の時期尚早とした理由は明らかではなかった。
法律の改廃には膨大な時間と手間がかかる。だからこそ、その必要性の検討はか
なり早くから行わなければならない。特に、新型インフルエンザについては今年
の秋冬にも第二波が来るのではないかと予想されている。そのときに古き悪しき
検疫法が残っていては、再び同じ過ちを繰り返すことにならないだろうか。5月
も終わろうとしている今、第二波が到来するまでに検疫法を改廃するには、今す
ぐにでも検討を始めなければならないのではないか。
もう一つの主要論点である行動計画に関しては、木村氏・尾身氏・岡部氏が中
心に発言をしていた。木村氏が提示した問題点は、行動計画は医系技官が現場を
知らず、情報収集もきちんと行わないままに作成したため、現状にフィットして
いないということである。この点については、尾身氏からウイルスの病原性と感
染力との二次的な対策が必要であり、これは今すぐに厚労省が行うべきであると
の指摘があった。また、岡部氏は修正条項を使って柔軟に対応したいとの考えを
示していた。岡部氏は朝日新聞5月28日朝刊でも「医療・行政とも柔軟対応を」
と主張している。
木村氏をはじめとした現場従事者や、行動計画策定に深く関わった人物までも
が、次々に行動計画の見直しや柔軟対応を主張している。第二波到来に備えて、
行動計画策定に関わる関係者は認識を新たにして対応してほしい。
【総括】
冒頭で、参考人はそれぞれ対立構造になっていると述べた。しかし、今回の予
算委員会を傍聴して、考えていることに大きな差はなく、それをどのような論調
で発表するか、あるいは発表できないかという違いに過ぎないと感じた。
感染症対策は、個人での対策には限界があり、国を挙げての対策が必要である。
国民は政府の決定した対策の下で過ごすしかない。科学的事実、客観的事実に基
づいて、政治的立場を越えて議論がなされることを切に希望する。