医療ガバナンス学会 (2013年2月4日 14:00)
この記事は時事通信社「厚生福祉」2012年12月28日号(5957号)からの転載です。
医療法人鉄蕉会亀田総合病院経営企画室員
社会福祉法人太陽会理事長補佐
小松 俊平
2013年2月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●山武長生夷隅医療圏の医療提供体制
山武長生夷隅医療圏は極端な医療過疎地域であり、その医療提供体制は危機に瀕している。長生地区にある塩田記念病院(旧福島孝徳記念病院)は、2012年 5月に福島孝徳医師が離脱して以降、存続の危ぶまれる状況になった。医療法人SHIODAは、塩田記念病院の建設費を負担し、開院以来継続している赤字を 塩田病院の収入で補填してきた。塩田記念病院が破綻すると、医療法人SHIODAが財政負担に耐えられなくなる可能性があり、塩田病院の存続も脅かされ る。
塩田病院は、夷隅地区の救急医療を支えてきた病院である。塩田病院の機能が低下すると、安房医療圏、山武長生夷隅医療圏、君津医療圏の3次救急を支える亀 田総合病院の負荷が増え、千葉県南の救急医療が連鎖崩壊する可能性があった。そのため亀田総合病院は、「塩田記念病院支援作戦」を展開している(※3)。 亀田総合病院から塩田記念病院へ医師が出向し、支援作戦は一定の成果を収めている。
しかし、看護師が不足しているため、医師が出向しても増やせる医療供給の量には限界がある。山武長生夷隅医療圏における看護師養成数を増やす必要がある が、厚生労働省の指導要領は、看護師養成所の主たる実習施設が具備すべき条件として、「入院患者3人に対し1人以上の看護職員が配置されていること」「看 護職員の半数以上が看護師であること」を挙げている(平成13年1月5日健政発5号)。ここでいう看護師は正看護師を指す。山武長生夷隅医療圏では、看護 師が不足しているうえに准看護師の比率が高く、この基準をみたすのが難しい。看護師不足が原因で、看護師を増やすこともできないのである。
亀田グループでは、夷隅地区からの奨学生を開設準備中の安房医療福祉専門学校で積極的に受け入れ、夷隅地区に看護師養成の拠点となる病院を確保し、夷隅地区における看護師養成施設の設置を支援する計画を検討中である。
●雇用の問題
2012年8月、館山市の台湾系半導体製造会社であるUMCJの解散・清算準備開始が発表された。報道によれば、同社の館山工場は、市内最大約600人の 雇用を抱えていたが、従業員は全員解雇になる見込みである。2012年4月に旭化成エレクトロニクスが、約200人が勤める館山市の半導体工場を閉鎖する と発表したばかりだった。
企業間のグローバルな競争の激化と、技術革新の加速による省力化は、「雇用なき成長」という事態をもたらした(※4)。給与の保障された継続的雇用は、労 働市場から失われつつある。加えて地方財政の悪化により、地方ではこれまでの雇用維持の仕組みが破綻した。確かに2008年9月のリーマンショックは、わ が国の雇用情勢に深刻な影響を与えたが、背景にはより大きな構造的問題が存在する。
総務省の「労働力調査」によれば、2002年から2011年までの9年間で、製造業の雇用者数は1111万人から997万人に減少し、建設業の雇用者数は 504万人から409万人に減少した。あわせて209万人の雇用が失われた。これに対して、医療・福祉分野の雇用者数は440万人から647万人に増加し た。207万人の雇用が生まれたことになる。
これから先、とりわけ地方において人々の生活を成り立たせていくには、雇用につながる教育を提供することが不可欠である。厚生労働省の「一般職業紹介状 況」によれば、2011年のパートタイムを除く常用の有効求人倍率は、全職業0.52倍に対して、「保健師、助産師、看護師」3.01倍であった。医療・ 介護は地域密着型の対人サービス業であり、雇用を多く生む。看護教育は、雇用に直結するのである。
このことを反映して近時、看護専門学校の人気は高まっている。厚生労働省の「看護師等学校入学状況及び卒業生就業状況調査」によれば、2012年度の看護 師3年課程の競争率は、全国4.2倍、千葉県4.1倍であった。2012年度の看護師3年課程の充足率は、全国101.1%、千葉県104.1%であっ た。
国立社会保障・人口問題研究所の推計(※5)によれば、2005年の人口を100とした場合、安房医療圏を構成する館山市、鴨川市、南房総市、鋸南町の 2035年の人口は、それぞれ74.5、70.9、64.1、57.1になる。2035年の65歳以上の人口割合は、それぞれ41.9%、45.1%、 52.6%、50.1%になる。65歳以上の人口割合が50%を超える市町村は、「限界自治体」と呼ばれ、存続が難しくなる。総務省の「国勢調査」によれ ば、2010年の限界自治体数は11であるが、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2030年には105に増える。高齢化を食い止め、自治体を 存続させるには、若者が安心して子供を産み育てられるようにする必要がある。そのためには安定した雇用が必要である。若者に職を提供できない自治体は、衰 退、消滅を免れない。
安房医療福祉専門学校は、地域の人々の生活保障と、地域全体の生存戦略の一翼を担っていくことになる。
●看護師養成の責任
亀田グループには、学校法人鉄蕉館が開設する亀田医療大学と、亀田医療技術専門学校がある。
亀田医療大学は、2012年4月から、1学年定員80人、4年課程で看護師を養成している。設置経費と開設年度の経常経費の合計は30億8020万円、そ の財源のうち29.5%にあたる9億723万円が鉄蕉会からの寄付金である。加えて、約300の法人と1200の個人からの寄付金8億674万円も財源に なっている。鉄蕉会は、経常経費として、学生1人あたり開設後4年間で約300万円を負担する。加えて、鉄蕉会の病院に一定期間勤務すれば返済免除となる 奨学金の負担もある。これを含めると、鉄蕉会の負担は学生1人あたり4年間で約460万円になる。さらに、施設、設備の減価償却相当分を含めると、鉄蕉会 の負担は学生1人あたり4年間で約500万円になる。
亀田医療技術専門学校は、1学年定員80人、3年課程で看護師を養成している。3年課程の設置は1979年にさかのぼる。鉄蕉会は、亀田医療技術専門学校 の運営費として、2012年度には6000万円を寄付する。学生1人あたり3年間でみると75万円の負担である。返済免除となる奨学金を含めると、鉄蕉会 の負担は学生1人あたり3年間で約190万円になる。
このように、看護師の養成には多額の費用がかかる(※6)。公金による私立学校への補助は十分ではない。学生の納める授業料や入学金で不足分を全て賄おう とすれば、その額は非現実的なものとなる。看護師の養成は、単体の教育事業としては成り立たない。他の事業や、法人、個人からの金銭的支援が欠かせない。
亀田グループでは、看護師養成のための応分の費用は、医療機関が診療報酬から支払うしかないと考えている。国や自治体だけでなく、医療機関も地域の医療提 供体制を確保する責任を負っていると考えるからである。看護師を自分で養成せずに、他から確保しようとすればどうなるか。仮に鉄蕉会が、看護師養成にあて ている費用を、看護師の引き抜きに振り向けたとすれば、千葉県の医療は大混乱に陥る。
また、看護教育においては臨地実習が重きをなす。学校自体は臨地実習の場を提供できない。教育の効を上げるには、実習施設が学校と密接に連携しなければならない。医療機関は、この意味でも看護師養成の責任を負っている。
●社会福祉法人の役割
社会福祉法人は、社会福祉事業を行うことを目的とする法人である(社会福祉法22 条)。憲法89条後段は、公の支配に属しない社会福祉事業に対する公金の支出を禁じている。裁判例は、その趣旨を公費の濫用防止にあるとしている(東京高 判平成2年1月29日高民集43巻1号1頁)。社会福祉法人は、公金による助成を受けられる特別な法人として創設された。資産が法人外に流出しないよう、 強い規制を受けている。
太陽会は、安房地域医療センターを母体として、安房医療福祉専門学校を開設し、看護師養成の責任を果たそうとしている。安房医療福祉専門学校が、安房地域 医療センターと密接に連携し、その支援を受けながら看護教育を行うためには、開設主体を太陽会とする必要があったのである。
さらにいえば、社会福祉法人の使命は、民間にあって社会保障を担うことである。人口構造の変化、労働市場の変容により、社会保障もその形を変えざるを得な い。教育、保育、介護、医療など、様々なサービスを密接に連携させ、人々の就労、社会参加を支援していく新しいモデルが求められている。しかし、国や自治 体の動きは遅く、創意工夫も期待しがたい。太陽会は、鉄蕉会、鉄蕉館とともに、新しい総合的な社会保障のモデルとなるべく努力している。安房医療福祉専門 学校はその端緒でもある。
●おわりに
看護師不足は、千葉県における医療供給の大きな阻害要因となっている。しかし、医療計画による需給調整は機能していない。千葉県の状況は、病床規制を維持 する正当性が失われたことを示している。2009年度の国から千葉県への地域医療再生臨時特例交付金50億円は、最優先されるべき看護師の養成には振り向 けられなかった。
太陽会は、安房地域医療センターの開設者として、看護師養成の責任を果たすべく、安房医療福祉専門学校を開設する決断をした。夷隅地区からの奨学生を積極 的に受け入れ、山武長生夷隅医療圏の医療提供体制の確保にも努めていく。さらに、地域の人々の生活保障と、地域全体の生存戦略を担い得る新しいモデルを構 築していく。
※文献
1.千葉県. 千葉県地域医療再生プログラムフォローアップ事業中間報告 (千葉県ウェブサイト, 2012).
2.千葉県. 千葉県地域医療再生プログラム (千葉県ウェブサイト, 2009).
3.小松秀樹. 塩田記念病院(旧福島孝徳記念病院)支援作戦の意義. MRIC 531 (医療ガバナンス学会ウェブサイト, 2012).
4.宮本太郎. 生活保障: 排除しない社会へ (岩波書店, 2009).
5.国立社会保障・人口問題研究所. 日本の市区町村別将来推計人口 (国立社会保障・人口問題研究所ウェブサイト, 2008).
6.小松秀樹. 病床規制の問題3: 誘発された看護師引き抜き合戦. MRIC 566 (医療ガバナンス学会ウェブサイト, 2012).