医療ガバナンス学会 (2013年2月21日 06:00)
1例目の児童は広汎性発達障害と診断され、6月よりアリピプラゾール(エビリファイ)とピモジド(オーラップ)を内服、9月に塩酸セルトラリン(ジェイゾ ロフト)を追加し、3剤を併用していた。10歳で3剤の精神薬を飲んでいた、ということは基礎疾患が重篤であったということだ。オーラップとジェイゾロフ トは、心電図のQTを延長させ、心室頻拍を誘発させるので併用禁忌となっているということでこの薬剤の併用を問題視する声が多い。また本症例では注射に対 する異常な恐怖心needlephobia(針恐怖症)や身体拘束による恐怖心が加わったことによる事故の可能性等も考えられている。更に、心マッサージ に全く反応がなかったことから、心臓そのものにも異常があった可能性も否定できない(1)。
日常臨床で最も使われている薬剤の本で見てみると確かにジェイゾロフトにはオーラップとの併用禁忌と記載があるが、オーラップ側にその記載がない。筆者の 専門の循環器領域でも、QTを延長させ心室頻拍を起こしうる薬剤はたくさんあるが、精神科領域で使用されることが多いオーラップについては知らなかった。 ただし、亡くなった児童は小児精神科の医師から治療を受けていたので、治療にあたっていた医師はこれらの薬剤については当然理解も深かったと思われる。
重篤な人ほど、ぎりぎりのところでコントロールするので、通常は問題なくとも何かのきっかけで副作用が発現することは大いにあり得る。今回の事故で、日本 うつ病学会よりこれらの薬の併用は避けるように、使用する場合は心電図をモニタリングするよう警告が出され、当院の近くの精神科クリニックからも時々心電 図の依頼が来るようになった。通常精神科のクリニックに心電図は置いていない。
今回心電図を確認していなかったのかと言われればいくらでも責められるが、多動児で拘束を嫌う傾向があれば、現実的には定期的な心電図検査が出来ていたとは思えない。
また医療の世界は日進月歩である。昨日まで禁忌とされていた治療法が、標準治療になることもよくある。例えば、拡張型心筋症に対するβブロッカーの使用な ど、今では当たり前の治療法だが、少なくとも10数年前には禁忌とされていた。心臓の左冠動脈主幹部の狭窄に対するカテーテル治療は日本でよく施行されて いるが、つい最近までアメリカのガイドラインでは禁忌であった治療法である。
3剤の精神薬で症状をコントロールしていた医師と、予防接種を施行した医師は別々である。予防接種を施行した医師は、待合室まで追いかけて押さえつけて接 種した、と悪意のある言い方で報道され、ニュースで診療所の映像まで流されていたが、子供を抑えつけて予防接種するのは当たり前である。しっかり押さえな いと思わぬ抵抗にあい子供を針先で傷つけてしまう。また、予防接種は持病がある人ほど接種しておいた方がいいと考えられるので、薬を何剤飲んでいようが、 急性の感染症と過去にその予防接種に対するアレルギーさえなければ接種は行うものである。事実上なんの薬剤を飲んでいるかはチェックしない。QT延長しう る薬剤を飲んでいて、さらに針に対する異常な恐怖心がそれを助長させるかもしれないとは通常は考えない。それをチェックしないことを責める人は現場を知ら ないとしか言いようがない。
たとえば、今日本ではジェネリック(後発品)使用が国策として推進されているが、先発品名と一般名を併記するよう薬局側に義務づけなかったために薬の記載 法が極めて不親切で現場の医師の大きな負担となっている。今まで使っていた薬剤が、ジェネリックに変わると全く違う名前になり、薬手帳を見ても理解できな い。医師は基本的に先発薬の商品名で覚えてきた。今は、先発品名と一般名とジェネリック名が混在しており、忙しい外来で知らない名前が並んだ薬手帳を渡さ れた時のストレスは非常に大きい。薬剤師が前もって調べてくれるシステムもマンパワーもないまま、外来診療をやりながらそれを一つ一つ調べなければいけな いのである。なんという貧しい現状だろうか。まして、怒涛の予防接種の時間帯に薬剤までチェックすることは不可能である。更に、もし先発品の名前がわかっ たとしても、専門外の薬については知らないことが多い。この児童が当院で予防接種を受けたとしても同じことが起きたであろうし、筆者もいつでも当事者とな り得るのである。
この事故では、親は飲んでいる薬や子供の病気の特性についてリスクがあると思っていたのか、予防接種医に伝えていたのか、かかりつけ医はQT延長の可能性 について親に伝えていたのか、3剤併用のリスクにつき薬剤師のチェックは入っていたのか、予防接種医はその子のリスクについて知っていたのか。これらの情 報の共有が出来ていたとしても、いくつかの不幸な要因が重なって事故は起こるものだが、薬剤師がチェックするシステムや問題がありそうな場合はナースや親 がゆっくり観察できるゆとりのあるシステムなら防げた部分があったかもしれない。つまりこの事故はシステムエラーとして考えなければならない。これを併用 禁忌薬を使ったという1点で、かかりつけ医に業務上過失致死罪を適応して一人の医師生命を葬ることで何か得るものがあるのであろうか。
給食でアナフィラキシーショックを起こして亡くなった事故では以下のように報道された。
東京都調布市の市立小学校で昨年12月、乳製品にアレルギーがある5年生の女児(11)が給食を食べた後に死亡した問題で、担任の男性教諭(29)が女児にチーズ入りの食品を渡した際に、食べさせてはいけないと確認していなかったことが8日分かった。
市教委は「遺族に心よりおわび申し上げる」と謝罪した。市教委によると、保護者と学校の栄養士らが毎月、給食のアレルギー対象の食品を確認。担任には女児 が食べられない食品に「×」印のついた献立表を渡し、おかわりをする際にチェックすることになっていた。当日の給食の献立はチーズを含んだ韓国風お好み焼 きのチヂミだった。女児には別に調理したチーズを抜いたチヂミを学校の調理師が直接手渡したが、女児がおかわりを希望した際、担任は事前に渡されていた献 立表を確認しないままチーズ入りのチヂミを渡してしまった。
近年アレルギー疾患が非常に増えている。食物アレルギーでアナフィラキシーショックを起こすと命取りになるが、教育現場でショックを起こした時のエピペン を教員が打っても良いとされたのはつい最近のことであり、教員に対するトレーニングも不十分である。また医療の現場では、当院のような小さなところでも、 必ず、すべてのことはダブルチェックするようにしているが、生きるか死ぬかのアレルギー疾患に対して、事前に×印の付いた献立表を担任に渡して、当日は該 当食品を抜いた料理を調理師が直接児童に渡して事足れりとした。忙しい教育の現場で、たったこれだけのシステムで児童を守るのは不可能であり、これにより 罪を問われる29歳の教師が気の毒としか言いようがない。
この場合は親も毎日の献立をチェックし、子供にも学校にも伝え、調理師と担任と本人が一緒に確認し情報を共有し注意喚起しなければいけない。またアナフィラキシーショックに対しては、積極的にエピペンを持たせ、学校と本人がその使用法に精通していなければならない。
これを「担任が食べさせてはいけないことを確認していなかった」という個人のミスに矮小化して教師を業務上過失致死罪に問うて終息させてしまえば、同じことが今後も繰り返されるであろう。
他の先進国ではどのようにこれらのことに対処しているか。「日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 上昌広著」の中でアメリカの実例を示しているので引用する(2)。
1984年、ニューヨークの病院で、リビー・ジオンという18歳の女子大生が医療事故で亡くなった。彼女はフェネルジンという抗うつ剤を飲んでいたが、発 熱・ふるえ・脱水のために両親に連れられ、救急外来を受診した。担当した医師たちは風邪と考えたが、熱と強い興奮のために暴れていたため、複数の治療薬と ともにメペリジンを処方した。メペリジンは鎮痛薬で、鎮静作用もある。当初は治療が効いたようだが、朝6時半に心肺停止となり死亡した。
論点となったのは、リビーがフェネルジンを飲んでいることや不法な薬物(特にコカイン)を使用したことを、担当となった研修医に告げなかったのではないか という点と、研修医がこれらの薬物の相互作用を知っていたか否かという点だ。実は、フェネルジンは、コカインおよびメペリジンと相互作用が起きるため併用 してはいけないとされている。
父親のシドニー・ジオン氏は元検察官で、ニューヨークの有名な新聞コラムニストだった。彼は病院に対して民事訴訟を起こし、大陪審に刑事事件として起訴す るか検討するように働きかけた。1986年大陪審はさまざまな議論の末、不起訴を決定したものの、薬のレファレンスシステム(現在は薬剤師が夜間・休日も 病棟ごとに交代制で常駐し、薬の量や併用等に関する医師からの質問に答える体制となっている)、コメディカルの人数、研修医の勤務時間などについて、病院 体制に問題があると報告した。リビーが入院した際の担当医は、そのときすでに18時間以上働きっぱなしの状態だったという。1995年、民事訴訟では、コ カインによる死亡という主張も誤投薬による死亡という主張も受け入れられず、リビーが医師にコカインやフェネルジンを飲んでいることを告げなかったという ことと、医師たちがメペリジンを処方したことについて、shared blame(痛み分け:筆者訳)となった。
リビーの死から5年後の1989年ニューヨーク州は患者の安全のために、研修医の勤務時間を制限することを決めた。2億ドルの予算を投入し、患者安全のた め、研修医の代わりに採血、点滴ルート確保、患者搬送等を行うコメディカルを増員し、医師の勤務時間を減らすことを病院に求めた。そして2011年にはこ の考えが全米に受け入れられた。
日本の現状と比べてなんとうらやましいことか。日本は先進国の中で医療と教育にかけるお金が飛びぬけて低い。教育は対GDP比で統計が取れている149カ 国中113位(2008年WHO)、医療費は48位(2009年)で先進国最低レベルとなっている。現場の人手は全く足りない。患者や児童の安全ための予 算はほとんどなく、劣悪な労働環境で、医師も教員も疲弊している。
小松秀樹氏は、医療の世界では、刑法211条業務上過失致死傷罪は、予見義務違反、結果回避義務違反を簡単に言い立てることができるため、刑法211条の 命ずるままに、安易に医師や看護師を刑事処罰すると、医療を破壊することになり結果として国民に多大な不利益をもたらすと述べている(3)。
人間はもともと間違える動物であり、近年、医療、航空、運輸等様々な業界で、ミスはシステムエラーとして考え改善しようという機運が高まっている。医療に ついては事故調問題で長らく論議されているが、議論が深まるにつれ、最大の問題は通常の医療行為に業務上過失致死罪を適応することの異常性だということに 多くの関係者が思いを深くしつつある。1908年に施行された業務上過失致死罪は現状から乖離している。しかしながら、2012年12月2日に開催された 全国医師連盟主催の事故調シンポジウムで、医師出身の梅村議員でさえ、法の改正は不可能に近いと述べられていたことは理解に苦しむ。司法と行政にこの間 違った認識がある限り、教育も医療もこのまま崩壊していくであろう。
今回の2つの事故を業務上過失致死罪として断罪するのではなく、責任を共有(shared blame)し、より安全なシステムを構築することが2人の死を無駄にしないことであり、今の日本に求められていることである。
参考文献
(1)第7回厚生科学審議会感染症分科会予防接種部会日本脳炎に関する小委員会資料
(2)日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 蕗書房 上 昌広
(3)MRIC Vol.683 医療事故調問題の本質2:問題の核心は医師法21条ではなく刑法211条 小松 秀樹