医療ガバナンス学会 (2013年3月3日 06:00)
●要約
人文科学、社会科学、自然科学など広い大学教育を受けることを奨励すべきである。広い範囲の大学教育が、科学分野以外での医師の能力を向上させるのに重要である。医学前教育で求める内容は、カリキュラムを完遂するのに必須のものに限定すべきである。
医学教育プログラムの教員は、入学者選抜の判定基準、規定、手順書を作成しなければならない。これらを、志願する可能性のある者、実際の志願者、学生生活アドバイザーが簡単に入手できるようにしなければならない。
個々の入学者の選抜が、政治的、あるいは、財政的な要素に影響されてはならない。入学者の多様性を高めるための対策を講じなければならない。医学教育プロ グラムは、法律に則った条件内で、障害を持った志願者や学生の入学、学業継続、卒業のための技術的な基準を作成して公表しなければならない。
学生に修学上の問題についてアドバイスする効果的なシステムを設けなければならない。
財政支援をと負債管理のカウンセリングを行わなければならない。教育費によって生じる医学生の負債を可能な限り小さくするような仕組みを設けるべきである。
個人的カウンセリング・システムを設けて、学生が健康な生活を送って、身体的、感情的に医学教育に適応できるよう援助しなければならない。学生が、診断、 予防、治療の医療サービスを利用できるようにしなければならない。精神医学、心理学的カウンセリング、その他の取り扱いの難しい健康サービスを提供する立 場の専門家は、対象となる学生の評価や進級に一切関わってはならない。医学教育プログラムは、医学生とその被扶養者が利用できる健康保険を設定しなければ ならない。また、廃疾保険についても、必要があれば加入できるようにしなければならない。
教育活動で、年齢、信条、性自認、国籍、人種、性別、性的志向に関する差別をなくすべきである。
医師として望ましい特質(すなわち態度、行動、アイデンティティ)を向上させるような学習環境を設定しなければならない。医学教育プログラムと、教員、スタッフ、医学生、レジデントは、定期的に学習環境を評価しなければならない。
教員-学生関係の管理についての基準を作成し、公表しなければならない。また、この基準で攻撃行動を取り上げるよう規定で定めなければならない。
すべての教員、医学生に、評価、進級、卒業ならびに懲戒処分についての基準と手順書を公表しなければならない。
医学生は、自分の教育記録が正確でなく、誤解を招き、あるいは不適切であると判断すれば、自分の記録を閲覧し異議申し立てをすることを許されなければならない。
●筆者コメント
差別について敏感であり、公正、社会正義が色濃く打ち出されている。入学者に対する要求事項を最小限にすることを求め、科学以外の分野の重要性が強調され ている。日本で一時期、医学部進学に生物学が必須だという意見が大きく取り上げられることがあった。生物学的知識は入学後の教育で十分である。社会科学や 人文科学の本格的な文献を直接読む体験は、医師としての活動を別次元に高める。
入学者選抜の判定基準、規定、手順書の公表は、日本の大学にこそ求めたい。以下は、私自身の体験、当時者や当事者に極めて近い人物から得た情報に基づく。現状ではなく、10年以上前の話である。
私が15年半勤務した医科大学では、在職当時、面接の判定基準はなかった。大学幹部は、面接時、高年齢の受験生、化粧している女性、異質な経歴(例えば、 大検による受験資格)を嫌っているように見えた。報道されなかったが、私の退職直後、社会経験のある年齢の高い受験生に対し、ある教授が面接で年齢につい て差別的な発言をして大問題となり、文科省から大学に調査が入った。
同じころ、県内で秀才として有名だった高校生が推薦入試で落とされ、県内の高校教育界で話題になった。本人によると、面接での質問内容が明確でなかったの で、質問内容が何を意味するものか確認するために質問したという。この学生は通常の入学試験を受けて東大理IIIに進学した。東大では全学の大きな運動部 の副将を務めた。少なくとも、東大の同級生と後輩からは、責任感と自立心の強い、優秀で頼り甲斐のある男だと認識されていた。
西欧の医師は大学と床屋の二つの起源を持つ。前者は理論を重視し、後者は実務に優れていた。日本の医学部は前者の大学の医師養成システムを輸入したもので ある。中世の大学は修道士の世界だった。パリ大学の花形教授トマス・アクィナスとロジャー・ベーコンは共に修道士だった。中世の大学は、現実から離れた長 期間の苦行、儀式と位階の世界である。日本の大学も権威を高めるために、莫大な費用をかけて、苦行・儀式・位階を維持している。教員は社会から隔離され、 現実感に乏しい。
IV. 教員
A. 数、質、機能
B. 職員規定
C. ガバナンス
V. 教育資源
A. 財源
B. 施設全般
C. 臨床教育のための施設
D. 図書館サービスと情報設備
●要約
医学教育プログラムは十分な数の教員を抱えていなければならない。
教員は、自分の学位にふさわしい能力を発揮し、有益な教育を施す責任を負い続けなければならない。教員は、学問的生産性を維持しなければならない。教員は、入学、進級、卒業を決定し、学問上、ならびに、キャリア形成のためのカウンセリングを行わなければならない。
医学教育プログラムは、教員、部門長、ディーン(ガバナンスの中核。日本の学部長より明確な権限を持っている。)について、任命、再任、昇進、終身在職権 の認可、解任の明確な規定を作成しなければならない。教員、スタッフの個人的利益が、機関や教育プログラム上の責任とぶつかる場合の処理方法を規定に定め るべきである。
教員は、昇進や終身在職権の判断材料としての自分の学問上のパフォーマンスと進歩を、管理者がどう判断しているのか、定期的なフィードバックを受けられるようにすべきである。
すべての教員に対し、教育や研究で、技術やリーダーシップを高めて専門能力を発展させる機会を提供しなければならない。
ディーンと教員の委員会が、教育プログラムの規定を決定すべきである。教員が教育プログラムの決定に直接関与できる仕組みを設けるべきである。
メディカル・スクールは多様な財源を有していなければならない。予期せずに総収入が減少した場合の予備財源について、文書化しておく必要がある。財源がな いからといって、医学教育プログラムのミッションを汚したり、資源に見合った数以上の学生を入学させたりするようなことがあってはならない。
医学教育プログラムは、教育ゴールを達成するのに必要な建物、設備、臨床教育のための適切な資源を有していなければならない。教育現場となる病院や他の臨床施設は、適切な教育設備と情報設備を有していなければならない。
関連臨床施設との間で、最低限、医学生の教育に関する双方の責任について文書で定めた署名付きの提携合意書を交わさなければならない。臨床施設には患者に 対する責任があるが、だからといって、医学教育プログラムの教員やレジデントの適切な監督の下、医学生が患者のケアを実施する機会を減らしたり、排除した りしてはならない。
医学教育プログラムは、良く整備された図書館サービスを用意しなければならない。このサービスは、専門職員を監督として置き、専門職員は、学生、教員、他 の職員のニーズに応える責任を有する。医学教育プログラムは、良く整備された、扱える範囲が広く、専門的知識に対応できるIT設備をいつでも利用できるよ うにしておかなければならない。
●筆者コメント
緻密で論理的整合性のある規定が求められている。しばしば破綻すると思うが、破綻がどのようなものか興味深い。
●全体を通しての筆者の意見
LCMEの認証基準は、全体として非常に立派なものである。日本の医学部が襟を正して学ぶべき内容が含まれている。しかし、アメリカ合衆国では、人権につ いてダブルスタンダードを使い分けること、野球の大リーグに本来のルールと別に明文化されていないローカル・ルールがあること、アメリカ内科学会が、「新 ミレニアムの医療プロフェッショナリズム‐医師憲章」(3) の提案に加わったことなど、本音とたてまえがしばしば使い分けられてきた。「医師憲章」では、医師の責務として、医療へのアクセスの平等性を確保すること に努めなければならないとされている。少なくともアメリカ合衆国の制度はそうなっていないし、医師が本気で取り組むとは思えなかった。「医師憲章」が出版 された当時、言葉は悪いが、泥棒グループが[盗むなかれ]と説いているような違和感を覚えた。
LCMEの認証基準を厳密に守ろうとすれば、教員は日々追い立てられることになる。また、教員全員が、この認証基準で要求されている能力を有し、活動して いるとは思えない。おびただしい違背が生じると思われるが、違背への対応についての暗黙の了解の状況まで十分に把握し、考えておく必要がある。
認証を受けられそうにない教育システム、例えば、貧しい国における設備、実習内容に不備のある教育システム、管理の緩い教育システムからも立派な医師は輩 出される。貧しい国の医学部の卒業生を、アメリカ合衆国の研修から排除することが、貧しい国とその医学部の卒業生だけでなく、公正と世界への通用性・一般 性を重んずる「帝国」としてのアメリカ合衆国にとって望ましいとは思わない。ただし、外国人看護師問題に象徴されるように、表にでてこない障壁を含めて、 アメリカ合衆国より日本の方がはるかに公正性を欠き、排他的であることは間違いない。
日本の大学では問題教員が珍しくないが、実際には矯正や影響力の排除は不可能である。医師が、社会問題に対応できるようになるためには、幅広い教養と深い 思考力が必要である。そのためには学生に余力を残しておく必要がある。問題教員がひどく熱心に学生を追い立てて時間を奪うのを防ぐという意味で、逃げ道の ある簡素な教育には現実的な利点がある。
ECFMGの方針変更に、日本全体が同じように対応するのがよいとは思わない。従来の医学部は、制度疲労が目立つ。学校の偏狭さが自律的な改善を阻む。別の医師養成システムと競争させるなど、外部圧力しか改善方法はない。
学会、日本医師会など行政の支配を支えることで特権を得てきた組織は、行政的中央集権による統制を好み、多様性を嫌う傾向が強い(4,5,6)。神奈川県 知事黒岩祐二オフィシャルウェブサイトの記事(7)によると、山形大学の嘉山孝正氏は「医師養成コースが2つになるなんて、そんなダブルスタンダードをつ くることは絶対に認められません」と述べたという。養成コースが2つあるのは、デパート、スーパー、個人商店が魚を販売しているようなものである。それぞ れ社会に役立つ特徴がある。鮮度は共通の価値であるが、安全が保障される限り絶対ではない。本来の意味でのダブルスタンダード、すなわち、自分の都合で、 相矛盾する正しさを使い分けることとは全く異なる。そもそも価値の多様性を認めなければ、正しさが固定され、進歩はありえない。
近代憲法は、ルソー=ジャコバン型(フランス)と、トクヴィル型(アメリカ合衆国)という二つの国家像を持つ。「ヨーロッパ(フランス)の民主主義は、ア メリカ人から見ると一体的、『全員一致的』」(8)である。フランス革命は、絶対王政を倒し、アンシャンレジームを嫌うあまり、すべての中間団体を否定し た(9)。個人と国家という二極構造モデルは、国家権力の増大、画一性をもたらした。行政的中央集権は、あらゆることに規制の網をかぶせ活気ある個人の活 動を抑制し、進歩を阻害する(6,10)。これに対しアメリカの多元主義は、司法による積極的な違憲審査、地方分権、自発的結社の尊重の3点を特徴とす る。フランスもこれに気付いており、1970年以降のフランスの構造変化はアメリカの3つの特徴に一致しているという(8)。
私は、医学教育プログラムを多様にしておくことが、日本の医学教育のしなやかさ、強靭さ、有用性を高めることにつながると確信している。
<文献>
3. Medical Professionalism in the New Millennium: A Physician Charter. Ann Intern Med. 5 February 2002;136(3):243-246. http://annals.org/article.aspx?articleid=474090
4. 小松秀樹:行政から科学を守る. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.408, 2012年2月20日. http://medg.jp/mt/2012/02/vol408.html
5. 小松秀樹:医療事故調問題の本質5:日本産科婦人科学会とギルド. MRIC by 医療ガバナンス学会.メールマガジン; Vol.11, 2013年1月13日.
http://medg.jp/mt/2013/01/vol115-1.html#more
6. 小松秀樹:医療事故調問題の本質6:日本のアンシャンレジーム. MRIC by 医療ガバナンス学会.メールマガジン; Vol.12, 2013年1月14日.
http://medg.jp/mt/2013/01/vol126-1.html#more
7.神奈川県知事黒岩祐治オフィシャルウェブサイト. これまでの著書・コラム.「NURSE SENKA」2009年 4月号. 医師不足解消の観点から議論が始まったメディカル・スクール構想. http://www.kuroiwa.com/column/nurse60.html
8. 樋口陽一:近代国民国家の憲法構造. 東京大学出版会1994.
9.アレクシス・ド・トクヴィル: 旧体制と大革命. ちくま学芸文庫, 1998.
10.アレクシス・トクヴィル: アメリカの民主政治. 講談社学術文庫, 1987.