医療ガバナンス学会 (2013年3月20日 06:00)
この原稿はJB PRESS「徒然薬 第1回」からの転載です
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37198
ナビタスクリニック/ときわ会常磐病院 内科医師
東京大学医科学研究所/がん研究会がん研究所 客員研究員
谷本 哲也
2013年3月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●幹細胞ツーリズム
その一方、iPS細胞とは別種の幹細胞(間葉系幹細胞)を用いた治療が、福岡市の新宿クリニック博多院で月500人にものぼる韓国人患者に対し実施されて いることが2012年12月に報道され問題となった( http://mainichi.jp/area/news/20130131ddn012040052000c.html, http://www.neopolis-clinic.or.jp/hakata/stem/index.html)。ソウルに拠点をおくバイオベン チャーRNLバイオ社を通じて、多くの患者が福岡に押し寄せた理由は、韓国内では正式な薬事承認を受けておらず実施を制限されている治療が、日本では明確 な規制や罰則規定がないため、自由診療として実施可能な点にある( http://mainichi.jp/select/news/20130131k0000m040054000c.html, http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=52828, http://www.rnl.co.kr/eng/main.asp, http://www.amazon.co.jp/The-Grace-Stem-Cells-Science/dp/1618628399/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1361163138&sr=8-2 )。実は、再生医療の実用化は、韓国は日本を大きく凌駕していると言われている( http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/10j039.pdf )。2010年の報告では、製造販売承認を受けた再生医療製品は、韓国の12品目に対し日本はわずか1品目だけだ(2013年2月現在では日本は2品目) ( http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seisan/saisei_iryou/pdf/001_04_00.pdf, http://www.cao.go.jp/sasshin/kisei-seido/meeting/2012/togi/life/121129/item2.pdf )。今回の福岡の事例の背景には、再生医療に対する韓国の一般国民の期待が、日本人以上に大きいこともあると筆者は考える。世界では間葉系幹細胞を使った 臨床試験自体は250以上実施されており、有効性はともかく安全性についてはある程度のコンセンサスが出来つつある。しかし、安全性や有効性が証明されて いないとされる研究段階の治療は、ごく一部の研究機関で、厳格なルールに基づいた臨床試験として実施されるため、大多数の患者は対象から除外されてしま う。今回の件には、韓国政府の自粛要請や数千万ウォンにも上る自己負担があろうとも、リスクを侵して治療効果が得られるかもしれない最先端の治療法を試し たいという患者の強い希望が感じられる。再生医療をめぐるこのような事例は、日本だけでなくアメリカやヨーロッパなど各国でも発生し、「幹細胞ツーリズ ム」と呼ばれており、再生医療の規制の在り方は、日本だけでなく世界的に大きな注目を集めている。有力な科学雑誌Natureは、巻頭の論説で2013年 2月7日号( http://www.nature.com/news/unknown-territory-1.12360 )と2月14日号( http://www.nature.com/news/preventive-therapy-1.12409 )の2週に渡って、それぞれ日本とアメリカの再生医療規制問題を取り上げた。
●アメリカ、テキサスの事例
さらに、Nature誌2013年2月14日号では「Stem cells in Texas: Cowboy culture」と題して、テキサス州での再生医療に関するドタバタ劇が詳報されている( http://www.nature.com/news/stem-cells-in-texas-cowboy-culture-1.12404 )。ここでもソウルのRNLバイオ社が登場する。3千万ドルに及ぶ出資金を集め同社から技術供与を受けたCelltex Therapeutics社が、2011年3月にテキサス州に設立され、米国食品医薬品局(FDA)の承認を通過していない間葉系幹細胞療法を開始した( http://celltexbank.com )。興味深いのは、幹細胞療法を支援するテキサス州法に関わった、元大統領候補で共和党のRick Perry テキサス州知事が、2011年7月に自らCelltex社の初症例となったことだ( http://www.nature.com/news/2011/110920/full/477377a.html )。アメリカでも先の韓国と同様に、未承認の再生医療を希望する患者が多く存在し、患者らは規制のない中国、コスタリカ、メキシコや日本に渡航していた。 こうした中、連邦政府の規制をかいくぐる独自の州規制によりCelltex社の試みがテキサス州で開始されたという。しかし、FDAからの度重なる勧告や 患者からの訴訟が続き、2012年10月までに233名が同社の治療をうけたものの、それ以上の実施は保留されることになり、2013年1月には遂にアメ リカ国内を脱出し、メキシコに拠点を移しての治療再開プランが報じられた( http://www.nature.com/news/controversial-stem-cell-company-moves-treatment-out-of-the-united-states-1.12332 )。このような経過を辿ったのには、使用する細胞の品質や患者の経過フォローアップ、情報開示や宣伝方法などの不備が多々あったことも関係しているよう だ。一方で、このテキサスの事例は、連邦政府が患者の治療選択権をどこまで規制(侵害)してよいのか、アメリカ国内の再生医療の規制の在り方そのものに議 論を巻き起こしている。治療法のない絶望した患者に最先端の医療を提供しようという会社と、それを邪魔する専制的・官僚的なFDAとの衝突というアメリカ 人好みの図式だ( http://www.nature.com/news/preventive-therapy-1.12409, http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMhpr063086 )。日本の医薬品業界では、何かというと「アメリカでは」とか「FDAでは」という短絡的な言説を耳にすることが多いが、海外でも多様な価値観が混在する ことに留意する必要がある。
●厚労省の再生医療規制案
厚生労働省は、2012年9月26日から、2013年2月20日現在まで5回にわたって厚生科学審議会科学技術部会、「再生医療の安全性確保と推進に関す る専門委員会」を開催している。( http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002r9rn-att/2r9852000002r9wo.pdf, http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000008f2q.html#shingi25 )。この会議での議論を経て、再生医療に関しこれまで必ずしも実効力があるわけではない指針で対処していた厚労省が、初めて具体的な法規制に乗り出すと言 われている。それが「再生医療・細胞治療の確保等に関する法案(仮称)」だ。3月19日の次回会合で報告書案が取りまとめられ、今国会での法案提出が予定 されている( http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1904Q_Z10C13A2CR8000/, http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1020130220cbat.html, http://www.cabrain.net/news/article/newsId/39256.html, http://mainichi.jp/select/news/20130220k0000m040078000c.html )。
その概略は以下のようになる。医療機関内でのみ審議を行う低リスク(がんの免疫細胞療法など)、第三者が加わり新設される「地域倫理審査委員会(仮称)」 での審議を要する中リスク(骨髄などの幹細胞を用いた治療など)、同委員会の審議に加え厚労相の事前承認を必要とする高リスク(iPS細胞など)の3区分 が設けられ、事実上の公的承認制度の導入となり、全ての細胞療法に国への届け出義務が課される。さらに「治療の実施状況の記録・保存、国への定期報告、補 償義務、国の立ち入り調査、中止改善命令の権限付与、施設設置の更新制度、罰則規定」が計画されており、この動きについて大手メディアも好意的に報じてい る( http://mainichi.jp/opinion/news/20130205k0000m070133000c.html, http://mainichi.jp/select/news/20130128ddm004070059000c.html, http://digital.asahi.com/articles/TKY201301280494.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201301280494, http://apital.asahi.com/article/story/2013012900002.html, http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130214-OYT1T01616.htm, http://sankei.jp.msn.com/life/news/130130/bdy13013019280001-n1.htm, http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51369400U3A200C1TJM000/ , http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51832390Y3A210C1PE8000/, http://www.nature.com/news/unknown-territory-1.12360 )。委員会のこれまでの議論のまとめをみると、「推進のための」という文言が題名に一応入っているものの、安全性確保を前面に出した規制強化の方針が見て 取れる( http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002te28-att/2r9852000002te6c.pdf )。
●注目すべき過去の規制事例がもたらした影響
このような、再生医療に関連する厚労省の規制は、過去にも数々の事例があり、京都大学の研究者らが詳細な検討を加え、著名科学誌 Cell Stem Cell に2010年に論文発表している( http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2010/100507_1.htm, http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1934590910001657 )。論文では日本の各規制プロセスについて、体細胞核移植技術ではほぼ10年、ヒトES細胞のガイドラインでは制定に4年(改訂にさらに8年)、生殖細胞 の分化については7年以上、体性幹細胞と臨床研究には6年と多くの年数を要したことが示され、数々の規制のため「日本の幹細胞研究の推進に少なからず影響 があったと考えら」れ、研究を阻害した可能性が提示されている。この結果は筆者の実感にも合致する。これらの規制は、そもそも厚労省が主体となって、厚労 省側が人選した(つまり厚労省の思考パターンに沿った見解を示してくれる)学者などが委員となり、リスクをとらないコンセンサス重視の会議により決定され ていった可能性が高い。厚労省にとって新たな規制を制定することは、権限強化につながり実績にもなるため、驚嘆すべき熱意が発揮される場合を多々目にす る。一方、わざわざリスクをとって世界最先端の治療を開発するメリットは厚労省側には余りなく、方針決定のスピードや実際の運用面、成果面がおざなりとな り、むしろ薬害事件のような安全性上の問題が発生すればキャリアに大きな傷がつくため、早急な結論は得られにくく安全重視策がとられやすい。霞ヶ関の審議 会や委員会は、一般の目からみると仰々しく、委員に選ばれることはステータスシンボルとも成り得るが、実態としては役人の筋書に沿った結論に導かれた結果 に終わる場合が多い。会議の決定に対して責任の所在は明確にならず、差し障りのない意見、意見が割れるとしても両論併記で玉虫色の意見が採用される。これ はこれで日本的な意志決定方法であり、尊重し評価すべき伝統であると筆者は考えているが、再生医療のような最先端の手法を、他国との競争の中でリスクを取 りながら開発するような場合には必ずしも適していないと思う。
●再生医療規制の負の側面にも目を向けよ
安全性、有効性が十分検証されていない再生治療を野放しにせず規制を強化するべきだ、という主張は比較的コンセンサスが得られやすいと考えられる。商業目 的での未熟な再生医療が横行し、患者が危険にさらされる状態に対しては、我が国も一定の歯止めを設ける必要はあるだろう。しかし、その方法として、今回の 再生医療の規制案のようながんじがらめの法律を導入する場合には、その負の側面にも十分目を向ける必要がある。現場の実情や兵站軽視で戦線拡大するのは大 本営のお家芸とも言えるが、筆者には今回の再生医療の規制案にも同様の伝統が脈々と受け継がれているように感じられる。
第一の問題は、再生医療の安全性、人の生命、健康に重大な影響を与えるリスクと、それによって得られるベネフィットの判断が、一律に決められないことにあ る。再生医療の対象になる患者は、既存の治療法では手のうちようのない重篤な疾患をそもそも有していることが想定される。場合によっては生活の質や生命自 体が疾患自体によって重大な脅威にさらされていることも考えられる。つまり、今回の規制案では、生命、健康に重大な影響がある疾患をもともと有する患者の 治療選択権に、国家権力が踏み込むことになる。例えば、筆者が臨床医として深く関わっていた、白血病などに対する骨髄移植(造血幹細胞移植)という治療法 がある。再生医療のはしりのような治療だ。日本に骨髄移植を導入したある老医師の体験談によれば、当初の治療はことごとく失敗した(有り体に言えば、不幸 にして患者が立て続けに亡くなったという意味だろう)という。しかし、途中でこの治療法が中止されることはなく改良が進み、現在では数十年の歴史を経て、 日本を含め世界中でごく一般的に実施されるようになっている。ただし、依然として治療の合併症自体で数割以上の確率で命を落とす場合もあるほど危険性が高 く、有効性(生命の延長)も実は明確に証明されていない。このような骨髄移植という治療法がコモンセンスとして受けいれられるに至ったのは、個々の患者と 医師との間で、危険性があったとしても病気が治る可能性にかけたいという個別の判断が積み重なってきた過程にあると考える。有効性が不確かで危険性が大き い治療を敢えて選択するという個別の判断は、臨床現場では十分あり得るのだが、そのような判断が国の承認制度の枠組みに馴染むものなのだろうか。
第二に、規制制度が現場にかける負担、コスト、さらには日本での再生医療の開発自体が停滞してしまうというリスクが十分考慮されていないという問題があ る。規制に関連して生じる膨大な事務作業が生む労力・時間的ロス、人件費、事務費用、さらに補償費用の負担が現場に一方的に押し付けられる懸念がある。制 度設計したのはよいものの、それを運用するための費用は無償あるいは費用対効果が成り立たないまま現場の努力に放り投げられる、というのはありがちなパ ターンだ。実際に、臨床試験の規制を強化した場合に、商業目的外で学術機関が実施する臨床試験に大きな負の影響が出るということは、海外でも既に報告され ている。ヨーロッパの癌研究グループの事例では、規制強化により新たな臨床試験の実施数が38(2001年)から、19(2004年)、5(2005年) まで急激に低下した上、試験実施費用が85%増加、試験開始も5ヶ月の遅れが生じたとされる( http://www.plosmedicine.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pmed.1000131 )。臨床試験活動の低下は、新たな治療法開発の停滞、ひいては難病をもつ患者の不利益につながる可能性がある。規制強化によるコスト増は万国共通の課題で あり、Nature誌は先の論説の中で、米国は再生医療関係にもっと資金をつぎ込むべき、という提案を展開しているが、規制強化によってもたらされる現場 への過剰な負担を軽減する方策を、日本でももっと議論すべきだろう( http://www.nature.com/news/preventive-therapy-1.12409 )。
第三に、規制に関連する構成員が固定化することで、自由な競争が阻害されることが懸念される。3・11以降は原子力ムラが大きな注目を集めたが、同様の構 造は日本社会の至るところに認められ、厚労省関係でもそれは同様だ。再生医療「ムラ」が形成されることにより、政府主導のムラ内部に入り込めば様々な優遇 を受けやす一方、よそ者の立場にある開発者が排除されやすくなる可能性がある。政府が主導して方向を決める方法論は、先行する他国の模範例に追いつこうと いう発展途上国型の開発には適しているが、再生医療のように暗中模索で、何がうまく行くのか分からないテーマでの開発にはそぐわない。また、再生医療に関 わる開発者は、医薬品開発に関しては必ずしもプロフェッショナルではない研究者や、ベンチャー企業など小規模な事業者が多く、通常の医薬品を開発するビッ グファーマに比べて、財源や人員面で大きな制約を持っている。今回の規制は、10年前に導入された医師主導治験制度と同様な経過をもたらす可能性が高いよ うに思う。当初はドラッグ・ラグ問題の救世主になることが期待されたものの、医師主導治験制度はあまりに複雑で労力を要する仕組みであったため、一部の厚 労省関連の医療機関などで細々と行われる以外は一般には浸透せず、今に至るまで焼け石に水程度の成果しか得られていない( http://www.niph.go.jp/journal/data/60-1/201160010003.pdf )。再生医療においても、多様な研究者が参加しやすく、柔軟な試行錯誤を許容する仕組みが必要だ。
日本の薬事行政の問題点は、開発の遅れ(「ドラッグ・ラグ」)と適切な安全対策の遅れ(「薬害問題」)の二つに集約される。再生医療の規制案についても、この
文脈で読み解くことができる。再生医療製品でも日本のドラッグ・ラグ問題は既に顕在化しているが、開発推進と安全性確保とのバランスをどうとるのか、今後の展開を注視したい。なお、本連載では、「徒然薬」と題して今後も様々な医薬品関連の話題を取り上げる予定である。