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Vol.77  東京農大の支援

医療ガバナンス学会 (2013年3月26日 09:00)


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この記事は相馬市長立谷秀清メールマガジン 2013/03/11号 No.277 より転載です。

福島県相馬市長
立谷 秀清
2013年3月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


被災翌日、岩子、新田、柏崎、日立木、磯部、柚木、北原釜、新沼地区の津波を被った田んぼを見た私は、言葉を失った。大洲地区から流されてきた松の木の根 が天に向けて露出し、まるでヘドロの上に根が生い茂っているようだった。その中に破壊された家々がガレキとなって散乱していた。この異様な光景を元の美田 に戻すことなど、到底できないかも知れないと悲嘆にくれた。

それよりも私がすべきことは、避難所の厳しい環境を強いられる数千人の住民を守ることだった。下を向いている暇はないと思って対策本部に引き返した。農家 の人たちも呆然自失。避難所での声は、「農機具も流された。ヘドロで原型を留めない田んぼで農業など出来ない。もう終わりだ」。実際、被災直後はみんなが 生き延びることだけで精いっぱいだったと思う。翌日には原発から20キロ圏内に避難指示が出され、新たな恐怖心が相馬市を襲う。放射能汚染を怖れた物流業 者は相馬市に入ってこなくなり、ガソリンや食料が見る見るうちに尽きていく。我々市役所も避難所の中も、復興した後の先の生活を考えるより、今を生きるこ とに直面していた。

やがて原発騒ぎに対しても若干の冷静さを取り戻した4月下旬頃から、被災した農家の人たちからの現実的な声が上がるようになる。「農業を捨てると言って も、この歳で他にすることもない。やっぱり自分たちは農業をやりたい。でもこれから新しく農業機械を購入するのは大変だから、集落営農で効率よくやらなけ れば無理だ」。

私はこの話を聞いて、この芽生えてきた意欲を希望に変えられないかと考えた。集落営農とは農業法人の過渡的な姿である。トラクターなどの農業機械に小規模 農家が過大な投資をするより、自分たちで作った会社組織に農地を集約化し大規模で効率の良い農業を目指すべきことは、農業もグローバル化の波に晒されてい る今日では当然の方針である。それに、市が被災者を支援するにも戸別補助よりも法人組織のほうが整合性がある。

我われは被災農家の組織化、つまり農業法人設立に走り出した。全部でなくとも良い、一部でも成功例を作ることができれば後に続くだろう。東北農政局長とは何度も熱く語り合い、彼は農業法人設立までの技術的な協力と、その後の出来る限りの支援を約束してくれた。

そんな5月のある日のこと。学生ボランティアでお世話になっていた東京農大の大澤貫寿学長が私を訪ねて見えられた。大澤学長の実直な人柄に惹かれた私は、 発災以来の取り組みや今後の課題について率直に相談させてもらった。すると先生は、「それなら、東京農大の全力を挙げて相馬市の農業復興に協力しましょ う」と言ってくれた。

この時点での我われの大きな課題は
1.流木とヘドロを被った被災農地を今後どのように復旧させ、農業法人の構成要因となる農家の人たちの収入に繋げるか?
2.放射線量が比較的高い玉野地区(飯舘村の隣の集落)の除染と農業の復活
3.半数が被災して生産基盤を失った和田のいちご組合をどのように復活させるか?
4.一部はこの機会に圃場整備をして、新たな大規模水田として生まれ変われないか?
5.ガレキだらけで復旧が困難なうえ、担い手が離散して将来の農業用地としての利活用のめどが立たない地点の新たな土地利用大澤学長には以上の困難な課題に対しての技術的な指導をお願いし、6月から発足する「相馬市復興顧問会議」のメンバーに就任して頂くことになった。

2011年の夏には東京農大高野副学長の後方支援の下、門間教授、後藤教授、渋谷教授らが現地調査や実地指導に見えられるようになった。また相馬市として は農業法人設立に動き出し、意欲ある農家の組織化に向けて説明説得を開始した。市が東京農大の先生方を地域に紹介し、趣旨を説明して集落の輪の中に入って もらうようにしたが、最初は戸惑いを示したものの、徐々に地域の信頼を集めていったように思う。

玉野地区の放射能対策を担当された門間教授は、アパートを借りて相馬に定住しての活動だった。放射能汚染土壌の検査などは農地の一筆一筆、それも空間線量の高さを2点、土壌採取の深さを2点それぞれ設定し、詳細な計測と調査結果をもとに住民に対する説明を行ってくれた。

その熱意たるや、玉野地区の人々は私の言うことを聞いてくれなくとも、門間教授のアドバイスには従う。空間線量の高さや風評被害の為、2012年は作付け を見合わせたが、緑肥植物を植えて深耕で鍬込むことにより土壌線量を下げて、2013年は作付けすることになった。また野菜栽培や酪農についても知恵を 絞ってもらっている。

一方、旧飯豊村(岩子、新田、柏崎地区が含まれる)に指導に入ってもらった後藤教授は土壌の専門家。まるで宮沢賢治のような人だった。私は散乱する流木の 処理が終わっても、数10センチものヘドロが堆積した田んぼの復旧は困難を極めると思っていたが、教授は最初に我われには訳のわからないことを言った。 「除塩は雨に勝る手段は無い。ヘドロは反転耕により肥料となる」。要するに流木とガレキを丁寧に撤去させ、田んぼを畝ってさえいれば自然と除塩されるとい うのだ。「ただしヘドロが運んできた物質により硫酸が発生するので対策が必要。PHの調整とミネラル補給のために鉄鋼スラグを入れよう」。鉄の副生産物を 肥料にするという発想にはさすがに驚いたが、教授は絶対の自信があるというので、聞いているうちに全員がその気になった。そして、この計画に新日鐵住金 (株)から件の鉄鋼スラグのご提供を戴いた。また津波で流されたトラクターなどの農機具は、公益財団法人ヤマト福祉財団の有富理事長のご厚意でご寄付いた だいた。

2012年秋、飯豊地区の発足間もない農業法人が取り組んだ、「ヘドロ鍬込鉄鋼スラグ米」が見事に豊穣の収穫を迎えた。わずかに1.7ヘクタールの復興水 田だったが、震災翌日の絶望を思うと夢のようだった。感情も相当入っての食味だったが、鉄鋼スラグ米は私が生涯食べたごはんの中で最高の美味しさだった。

2013年3月8日。来年度は50ヘクタールの作付けを目差すための大量の鉄鋼スラグを新日鐵住金(株)から寄贈いただく贈呈式を、高野副学長をお迎えし て相馬市役所で執り行った。私のネーミングでは話にならないので展示してあった1キロ入りの袋には「復興米」となっていたが、苦労のにじむ演歌調の洒落た 名前を考えなければならない。また除染除塩過程や、ヘドロに含まれるカリウムの濃度からしてもセシウムが出るはずもないのだが、マナーとして全袋検査は必 要である。

いちご組合のほうも農業法人化して大きな成果を挙げた。別稿に詳しくご紹介したいと思う。しかし、以上の成果を踏まえての農業復興のためには、農地の別な 利用も含めた全体的な取り組みが必要である。基礎的な調査と研究を重ねて行かなければ、土地利用の結論を出すことは出来ないので、これからも東京農大には 継続的にお世話になりたい。今日まで相馬市に寄せていただいたご厚意に深謝すると共に、我われとしても、世界中に認めて頂き、さらに後世の子孫たちの評価 に耐え得るような農業復興に励みたいと考えている。

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