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臨時 vol 129 「新型インフルエンザに厚労省がうまく対応できないわけ」

医療ガバナンス学会 (2009年6月5日 09:13)


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        虎の門病院 泌尿器科 小松秀樹

 09年ゴールデンウィーク以後の新型インフルエンザ騒動は、厚労省の問題点を
浮き彫りにした。行政は、実情の認識を基本にするのではなく、法規範や目標に
現実をあわせようとする傾向が強い。医系技官は医学的知識を期待されているよ
うだが、行政官であり、科学のような実情認識ではなく、規範を行動原理として
いる。規範が無理なものでも、押し通そうとする。これがインフルエンザへの対
応をギクシャクさせた。WHOやアメリカのCDCの専門家は科学者だが、厚労省の医
系技官は行政官であり、根本的に考え方が異なる。
 私はインフルエンザについては全くの素人であるが、ネット上の医療メディア、
ソネット・エムスリーの求めに応じて、厚労省の検疫を批判している現役の検疫
官木村盛世氏と対談した (m3.com 医療維新 新型インフルエンザ緊急対談09年5
月26日27日http://www.m3.com/iryoIshin/article/100221/)。一部からは、十分
な知識を持たないのに意見を述べたとして、無責任かつ軽薄との批判を浴びた。
私の意見は、新型インフルエンザについてというより、厚労省が抱える原理的な
問題に関するものである。
○新型インフルエンザ:印象深い二つの論文
 以下、インフルエンザ問題に関して目を通したいくつかの論文から、最も印象
深かった二つを紹介する。
 1918年から1919年のスペイン風邪の大流行では、世界人口18億人、感染者6億
人、5000万人が死亡した(Wikipedia)。WHOが2006年に発表した論文には、大流
行時の検疫が言及されている。オーストラリア、カナダ、アメリカのコロラド、
アラスカなどの古い記録が紹介されているが、人口密度が希薄な地域でも、めっ
たなことでは検疫は成功しなかった。90年前のアメリカやカナダの田舎町は、自
給自足に近く、検疫の経済的影響は小さかったはずである。
 現代の日本で、実質的に意味のある検疫を実施することが可能か、90年前の失
敗を踏まえて、冷静に検討する必要がある。
 1919年オーストラリアで、個々の州が自分の州を守ろうとしたことによって、
州政府の間、州政府と連邦政府の間に政治的軋轢が生じた。問題となったのは、
最初に病気が発生した州からの報告の遅れ、州境での病気伝播の制御、停留措置
に対する抵抗、西オーストラリア州による大陸横断鉄道の一時的没収、オースト
ラリア連邦内での連邦政府当局と州当局の対立などである。
 
 詳細は、ニューサウスウェールズ州によって記録されている。「最初の症例が
シドニー(ニューサウスウェールズ州の州都)で診断され、この患者が隣接する
ヴィクトリア州から来たことが判明した。この後、ニューサウスウェールズ州は
さらに患者が入ってこないようにするために、州境でさまざまな対策を講じた。
最初に、州外から州内に向かうすべての地上交通の運行を禁止した。これは後に、
収容所での停留に切り替えられた。入境者は当初7日間、その後4日間、収容所に
停留された。ヴィクトリア州からの船は、シドニー港で4日間停泊させられ、そ
の後、上陸した人たちは医学検査を受けさせられた。シドニーで病気が蔓延した
にもかかわらず、その後も、シドニー以外の地域でも、旅行にさまざまな制限が
加えられた(詳細は記載されていない)。」この報告は、地上交通での停留措置、
州間、州内の旅行制限は「まったく役に立たなかった」と述べている。
 
 1918年、カナダ。ある報告に以下の記載があった。「多くの小さな町が、町を
周囲から完全に隔離しようとした。これは、町への出入りを完全に禁止した中世
のペストを避けるための試みを想起させる。これらの町を目的地とする鉄道切符
の販売は禁止された。乗客は町で列車から降りるのを阻止された。カナディアン
 パシフィック レイルウェイは感染が最もひどかった時期に、マニトバ州で40
-45の町が閉鎖されたと報告している。カナダ北方本線は、15かそれ以上の町を、
停車せずに素通りした。アルバータ州警察は、アルバータ州の主要高速道路に検
問バリケードを設けて、インフルエンザが大平原地域の3つの地方自治体に入る
のを防ごうとした。このような努力にもかかわらず、これらの対策は、『病気が
拡がるのを阻止するのに、悲しくなるほど役に立たなかった』。全くのところ、
個人や家族、あるいは、すべてのコミュニティを隔離することは、実行できるよ
うな作業ではなかった」
 
 合衆国では、コロラドとアラスカのいくつかの町が、感染者を排除するために、
町へ入ろうとする旅行者に5日間の停留措置、あるいはそれに類する措置を行っ
た。いくつかの町は成功したが、他の町では成功しなかった。
(World Health Organization Writing Group. Nonpharmaceutical public health
interventions for pandemic influenza, national and community measures. Emerg
Infect Dis 2006;12:88-94. )
 日本感染症学会の5月21日の提言では、過去の新型インフルエンザは、最終的
には大半の国民が罹患したことを指摘している。
 本年2 月17 日に厚生労働省が発出した「新型インフルエンザ対策ガイドライ
ン」は高病原性鳥インフルエンザを想定したものであって、しかも水際撃退作戦
を想定したいわば行政機関向けといえるガイドラインであり  
 
 過去のどの新型インフルエンザでも、出現して1~2年以内に25~50%、数年以
内にはほぼ全ての国民が感染し、以後は通常の季節性インフルエンザになってい
きます。現在流行している香港かぜもこのようにして季節性インフルエンザとなっ
た歴史を持っており、今回のS-OIVもやがては新たなH1N1亜型のA型インフルエン
ザとして、10年から数十年間は流行を繰り返すと見込まれます。すなわち、今回
の新型インフルエンザ(S-OIV)の罹患を避けることは難しいのです。
 
 (社団法人日本感染症学会緊急提言「一般医療機関における新型インフルエン
ザへの対応について」平成21年5月21日)
○新型インフルエンザ対策の問題点
1)水際撃退作戦
 そもそも、WHOは「過去の大流行では、国境から入ってこようとしている旅行
者の検疫では、ウィルスの侵入を実質的に遅らせることはできなかった  現代
ではその効果ははるかに小さいだろう。」としている。
http://www.upmc-biosec
urity.org/website/focus/2009_H1N1_updates/isssue_b
riefs/2009-04-28-BorderClose.html
 専門家諮問委員会委員長の尾身茂氏は、09年5月28日の参議院予算委員会で、
検疫は侵入を防ぐことではなく、遅らせることが目的だったと証言したが、日本
感染症学会の提言では、「新型インフルエンザ対策ガイドライン」は「水際撃退
作戦を想定した」ものとみなされている。また、尾身氏は、国内の発症例が報告
されるまでに時間を稼げたと証言したが、国立感染症研究所の疫学調査によれば、
兵庫県内での二次感染による新型インフルエンザの最初の発症は5月9日だった。
成田の検疫で患者が発見されたのは5月8日夕方であり、検疫で発見されるより前
に、新型インフルエンザが日本国内に入っていた可能性が高い。尾身氏の意見に
は無理があるように思う。
2)風評被害
 厚労省の言動と、メディアの報道が、水際作戦での阻止が可能かどうかという
ことを抜きに、阻止しないといけないという「規範」を国民に伝えてしまった。
空港での検疫のものものしい姿と、停留という人権制限を伴う措置が、新型イン
フルエンザに対する恐怖を煽った。水際での撃退というそもそも無理なことを
「規範化」して目標とするように見せたことがかえって不安を掻き立てた。「規
範化」した安全対策が、実際に保障されないが故に、かえって恐怖を大きくした。
病気としての怖さのみならず、インフルエンザと診断されると行政、住民から迫
害されると思わせた。専門家に、インフルエンザにかかわるとひどい目にあうと
思わせた。結果として、インフルエンザを隠すことを奨励することになった可能
性がある。
 元警視庁刑事である私の外来患者:「新型インフルエンザにかかったと分かる
と地元にいられない。」
 知人のある感染症専門家:「新型インフルエンザの第一発見者になりたくない。」
 洗足学園の校長:記者会見で旅行したことについて「陳謝」した。(WHOは旅
行制限をすべきでないとしている)
3)感染拡大後の被害を少なくするための対策が遅れた
 WHOは当初よりcontainment(封じ込め)は不可能、めざすべきはmitigation(
被害の軽減)だとアナウンスしてきた。水際作戦が優先されたためか、水際作戦
のために疲弊したためか、結果として、感染拡大後の被害を小さくするための体
制作りが遅れ、現場が混乱した
4)サーベイランス
 サーベイランス(感染の拡がりの系統的な調査)がなされなかった。今なお、
国内での実態がつかめていない。現場医師から伝え聞くところ、多くの地域で、
診断確定のためのPCR検査が、海外渡航歴、関西への旅行歴のある患者に限定さ
れている。国内発生があっても把握しにくい状況にある。実態が分からないので、
根拠に基づいて方針を変更することができない。
○厚労省の抱える原理的な問題
1)行政官としての医系技官の問題
 医系技官は行政官であり、医学より法を優先しなければならない。科学的見地
から実情を観察して、現実的な対策を考えるより、過去の法令にしばられる。ハ
ンセン病患者の生涯隔離政策が、科学的正当性を失った後も長年にわたって継続
された事実が示すように、行政官は、過去の法令に科学的合理性があるかどうか、
その法令を現状に適用することが適切かどうかを判断しない。外部から観察する
限り、判断することが許されていないようにみえる。実際に、医系技官が科学に
基づく判断を優先すると、省内で軋轢を生むと聞く。
 医師免許を持っていても、医師としての良心よりも、法律が優先される。そも
そも、医系技官は医師免許を持っているが、多くは、研修医としての経験がある
程度で、医師としての本格的な実績はない。
 科学と医師の良心という判断の砦を原理的にもてないので、メディアや政治な
どの影響で判断が揺れ動く。
2)チェック・アンド・バランス
 新型インフルエンザ問題で観察された厚労省の医系技官の問題点は、無理なこ
とを規範化すること、科学的認識が苦手なこと、人権侵害に安易に手を染めるこ
とである。そもそも人間に、置かれた立場を乗り越えて、常に正しいことを行う
能力と性質を持たせようというのは、インフルエンザの封じ込めと同じぐらい無
理がある。考えるべきは、チェックアンドバランス体制の構築である。
3)政治によるチェック
 厚労省に対するチェックシステムとして考えられるのは、政治と科学である。
行政官は政治の支配を受ける。これまで、科学からの政治に対する働きかけはほ
とんどなかった。政治は行政官を通じてしか、科学的知識を得る方法がなかった。
政治家は、インフルエンザの封じ込め政策が、科学的に可能であり、正しい政策
だという行政官からの情報に裏打ちされて、無邪気にあるいは強迫観念に駆られ
て、検疫を推し進めた可能性がある。政治的パフォーマンスとして有用だという
考えが同時に浮かんだとしても不思議ではない。
 日本では原則的に政治が行政を支配するが、党派的な干渉を防止するために、
行政官は身分保障されている。めったなことで責任を問われて職を追われること
はない。一般論として、責任を問われることのない人間に大きな権限を持たせる
と、チェックできないので問題が生じる。権限の大きい者は、問題があれば、解
任できるようにすべきである。厚労省の局長以上を政治任命とし、実際に責任を
取らせることができるようにすることも検討すべきではないか。
4)科学によるチェック
 新型インフルエンザ問題は、原理的に科学によって対応すべき問題である。と
ころが、日本の学者は伝統的に政治に距離を置いてきた。一方で、行政の支配を
安易に受け容れてきた。研究費、研究班の班長職、審議会委員などが行政による
科学支配の手法として使われてきた。
 医療安全や医療制度の専門家でさえ、厚労行政を批判したがらない。医療に多
大な影響を与える厚労行政を学問の対象としていないのである。厚労省を研究対
象としない学者を通じて、研究費が配分される。彼らが学会の支配層になる。
 科学が行政の支配下にあり、政治は行政を通じてしか科学からの情報を受け取っ
てこなかった。WHOの意見も厚労省は聞こうとしなかった。日本の疾病対策に対
するチェックはなかったに等しい。
 この責任は、科学者側にある。科学が政治に働きかけなかったことが問題を大
きくした。医系技官は、責任を問われないまま権限を持つと堕落するという人間
に備わった性質を、他の人間同様に持っていただけにすぎない。
 インフルエンザ対策を含む病気への対応を、合衆国のCDCのように、より科学
に基盤をおく独立した機関が担当すべきかもしれない。厚労省の中での出世のラ
イン上にならぶ行政官を疾病対策の担当者とすることの問題を議論すべきではな
いか。
 科学と社会のあり方について、科学側はこれまでの行動を真摯に反省する必要
がある。日本感染症学会が提言を出したことは未来への明るい兆しである。
○第二波と将来の新型インフルエンザに向けて
 疾病対策は、規範と感情を排して、ベネフィットとリスクを比較衡量して決定
すべきである。例え、いくら危険なインフルエンザだとしても、効果がなくコス
トが大きい対策の実行は、他の対策を阻害するので有害である。冷静に科学的な
対策を立案、実施できるような体制を構築する必要がある。
 このために、今回の体験を十分活用すべきである。メキシコで新型インフルエ
ンザが確認されて以降、日本で、どのような立場の人間が指揮を取り、どのよう
な認識に基づいて、どのような対策を実施したか、その結果、どのような影響を
もたらしたのかを検証することが不可欠である。
 対象が厚労省なので、検証は国会が行うべきである。参考人招致など一時的な
ものではなく、きちんとした委員会を設けて議論する必要がある。今回の検疫で
は、人権問題を起こし、二次的に、神戸や大阪という都市の機能を低下させ、大
きな経済的な被害をもたらした。影響は、対国民、対医療機関、対日本社会、対
国際社会など、様々な角度から検証する必要がある。公衆衛生やインフルエンザ
の専門家だけでなく、法律家、国会議員、地方の政治家、住民の代表、ジャーナ
リストなど様々な立場の人たちを入れて検証し、その上で、第二波、あるいは、
別の新型インフルエンザの流行に備えるべきである。
 重要なことは、担当者の今後の処遇や個人的非難と連動させず、システムの問
題として議論することである。これにより、証言が得やすくなる。将来に備える
というためだけに議論すべきである。

 

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