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Vol.92 過失を犯罪とする刑事法体系を見直すべきである。

医療ガバナンス学会 (2013年4月14日 06:00)


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~業務上過失致死傷害罪は医療を含むシステムの安全向上を阻害する~

一般社団法人全国医師連盟代表理事
中島 恒夫
2013年4月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


●はじめに
医療現場は管理しきれないリスクに満ちている。いかなる治療法もメリット・デメリットが表裏一体である。内服薬も副作用はゼロではない。血液検査も、針を 刺すことで「痛み」を伴い、複合性局所疼痛症候群といった難治性の病態を引き起こすこともある。インシデントやアクセデントの発生をゼロとすることは、残 念ながらできない。患者さんへのリスクを軽減させるべく、私たち医療従事者は日々努力している。それでも、患者さんにとって、医療現場は「リスクに満ちた 領域」である。
また、医療現場は、医療従事者にとっても、別の意味で「リスクに満ちた領域」である。望んでいなかった治療結果となった場合、患者さんや御家族から激しい叱責を受け、損害賠償請求、さらには、刑事司法の場で責任追及されることもある。
医療現場は、両者にとって悲劇の舞台になりうる。

●事故調査を妨げる業過罪
システム安全向上の制度設計を妨げている二大要因は、刑法211条「業務上過失致死傷害罪(以下、業過罪)」の存在と、「懲らしめてやりたい」という応報 感情である。被害者やその家族には、憲法で保障された刑事告訴という権利がある。この権利を私が否定するつもりは毛頭ない。
刑事告訴をする理由の1つとして、「真実を知りたい」という声は少なくない。しかし、刑事捜査で「真実」を知ることを容易ではない。刑事告訴があれば、警 察は捜査を行い、検察庁に送検しなければならない。送検後は検察庁が起訴・不起訴の処分を決定する。そして、裁判所は、検察が主張する刑法事犯の有無を判 断する。警察や検察は刑法事犯の個人責任追及が仕事であり、関係者が期待している真実を解明することは、使命ではない。
刑事訴追される業務従事者の立場からすれば、善意の業務行為を「犯罪」と決めつけられている現状を最も危惧している。特に、侵襲行為を「業務」としている 医療従事者は、医療行為上の「単純過失」を業過罪として処罰されることに抵抗を感じている。もちろん、「故意」や「改竄」は犯罪行為であり、「業過罪」で はなく、故意犯として刑法での処罰を適用することが本筋であり、その処罰に異論はもちろんない。
業過罪の改廃について我々が発言するたびに、「国民感情が納得しない」「医療界だけを免責にすることはおかしい」という反論を、医療界の中からも受ける。 しかし、医療分野に限らず、システムエラーをヒューマンエラーに転嫁して、個人を処罰することによって処理しようとする制度自体がそもそも不自然、かつ不 健全であると私は考える。同様のことは他業界でも述べられている。業過罪そのものの存在意義を見直すべき時期なのである。

●他業界の事故調
現在の日本では、国土交通省の審議会の一つである「航空・鉄道事故調査委員会」が、鉄道事故・航空事故の原因究明、および今後の事故防止のために必要な調 査研究を行っている。しかし、現行制度では業務上過失致死傷罪の刑事捜査が優先され、個人責任追及に晒された当事者や関係者の黙秘権の行使が事故原因の究 明の妨げとなっている。また、刑事捜査の際の証拠物件の押収もまた事故調による調査の妨げとなっている。すなわち、再発防止・安全向上の機会を奪ってい る。刑事捜査が真の原因究明とは程遠い結果を招聘している。実際、航空機のトラブルを調査する事故調査委員会において、証言が捜査などで不利に利用される 恐れがあるとして乗員が証言拒否するということが発生している。
航空関係者からは、事故原因の究明と再発防止のためには、国際民間航空条約第13付属書5.12条(日本政府は「履行できない」旨の相違通告を行ってい る)を遵守し、事故調を独立した強い権限を持つ機関に改組し、過失による刑事責任を問わないことで当事者からの証言を得やすくすることが必要であることが 指摘され続けている。

●医療事故調査委員会は、再発防止・医療安全のみを目的とすべき
私たち全国医師連盟(以下、全医連)は、厚労省内で審議の進められている「医療事故安全調査委員会(事故調)」の設置に、設立時から警鐘を鳴らし続けてき た。厚労省内で議論が再開した平成24年2月の時点では、事故調の目的は、「再発防止」「医療安全」だった[1]。しかし、事故調査の目的を「刑事処分」 「行政処分」といった懲罰の材料にしようと厚労省は考えているのではないか?という懸念が拭えない。懲罰のために事故調が必要だと発言して憚らない構成員 が、実際にいる[2]。懲罰制度の性格が強すぎる厚労省の事故調案では、医療事故関係者からの証言を得られにくくなり、原因究明・再発防止策としては機能 し難く、真の医療安全を図ることはできない。医療事故の原因・責任を個人に帰するべきではなく、事故に至ったシステムエラーを検出する重要性を全医連は強 調し続けてきた。また、調査対象とされる医療従事者個人の権利(黙秘権など)も守ると同時に、真相究明のための証言を得られやすくする制度設計をした「全 国医師連盟試案(全医連試案)[3]」を既に発表している。全医連試案は、WHOガイドライン[4]にできる限り沿った内容とした。さらに、はからずも医 療事故により健康被害を受けた方々を救済補償する制度(基金)の創設も、同時に提唱した。
厚労省の事故調案に対し、様々な団体がそれぞれの立場から試案を発表しているが、システムエラー追求姿勢が不十分な試案が見受けられる。医療の安全性向上 を図れない制度設計は、国民には何の益もない制度でしかない。院内事故調のみで適切に処理することを念頭においた試案もみられるが、院内事故調が冤罪を産 む素地となった歴史(東京女子医大事件、福島大野病院事件など)を考えると、院内事故調にのみに頼る制度設計は危ういと考えざるを得ない。医療の安全性向 上のためには、実地医療に即した医学的・科学的な検証が何よりもの必要条件となる。

●提言
全医連執行部は、単純過失を全て非犯罪化すること、すなわち、医療に限らず全ての業務について業過罪(刑211条1項前段)は廃止し、また、これとのバラ ンスから、業務によらない単純過失の致傷罪(刑209条)および致死罪(刑210条)を廃止することが、国民全体の安全性向上という公共の福祉の観点から も望ましいと考える。最終的には、重過失致死傷罪(211条1項後段)と自動車運転過失致死傷罪(211条2項)のみ残し、他の過失に関する罪を削除する のが望ましいと思われる。なお、業過罪に関して、医療のみを特別扱いすることは国民の反発が当座は強いだけでなく、法の下での平等という観点からも不適切 であると考える。
(刑209条) 過失傷害罪 → 廃止
(刑210条) 過失致死罪 → 廃止
(刑211条1項前段) 業過罪 → 廃止
(刑211条1項後段) 重過失致死罪 → 残す
(刑211条2項) 自動車運転過失致死罪 → 残す

●最後に
エラーはいつでも、誰にでも、何回でも起こりえる。人間である限り、エラーから逃れることはできない。機械や器具にもエラーはある。システムエラーをなお ざりにし、エラーの責任を現場(当事者)押しつければ、リスクの高い現場で働く人は激減することは想像に難くない。現に、医療現場は、そうした事態に直面 している。医療の恩恵で助けられるはずの患者さんが、医療機関の受け入れ不能の為に亡くなる事態に陥っている。こうした状況の継続を誰がそれを望むだろう か。
刑法や刑訴法、さらには民法や民訴法などの法改正が伴わないと、「真の事故調」は作れない。厚労省医政局の管轄内で事故調を作っても、検察や裁判所から見 れば、それは「医療界の内部制度」という扱いにしかならない。「医療界の内部制度」をこねくり回しても、司法機関を拘束することはできず、司法制度(刑 事・民事とも)は変わらない。
「エラーはいつでも、誰にでも、何回でも起こりえる」という観点で、再発防止策を模索する「真の事故調」を創設するためには、業過罪に関係する他業界と共に、業過罪の廃止を多方面に働きかける必要がある。

<追記>
本稿は、医療事故の再発防止、安全向上を目的に論述した。医療のために、はからずも健康被害に遭われた人々への救済補償制度については、同一の次元で論じ ることは不毛の議論を呼び込み、本論の主旨とは異なるため、あえて触れなかった。しかし、非常に重要なことであり、救済補償制度が早期に確立されること は、賛同する。

参考資料
[1]http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000022qp8-att/2r98520000022qtn.pdf
[2]http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002pfog.html
[3]http://zennirenn.com/opinion/2012/03/-201112.html
[4]http://www.who.int/patientsafety/events/05/Reporting_Guidelines.pdf

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