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Vol.102 漱石の自己本位と立憲主義 ~Series 「改憲」(第3回)

医療ガバナンス学会 (2013年4月25日 06:00)


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小松 秀樹
2013年4月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


●自己本位
大正4年、夏目漱石は、学習院で『私の個人主義』と題する講演を行い、自己本位について語った。
漱石は大学で英文学を専攻した。英語より先に漢学を学んでおり、教養、人格の骨格としていた。漱石は、日本の英文学研究を代表する立場とみなされ、ロンド ンに国費で留学した。ロンドンで英文学のなんたるかについて思い悩み、何のために書物を読むのか自分でも分からなくなった。困惑の極みの中で、以下の境地 に達した。
「文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自分で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。」

それまでは、西洋人による西洋人の作品についての批評を読んで、自分で納得しようがしまいが、それを吹聴していた。当時はそれでも褒められたが、「人の借 り着」をして威張っているのだから、内心は不安だった。風俗、人情、習慣、教養や思想の成り立ちが異なる以上、英文学の評価が日本とイギリスで同じである はずがない。漱石は自己本位という考えに到達した。
「今まで茫然と自失していた私に、此処に立って、この道からこういかなければならないと指図してくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。」
「私のような詰まらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道が如何に下らないにせよ、それは貴方がたの批評と観察で、私には寸毫の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。」

漱石は学習院の学生に、将来、自分の仕事が自分の個性と合うところまで、掘り進むことを勧めた。そうして初めて安住の地ができる。
講演の後半で、権力と金力に話題を移す。学習院の学生は上流家庭の子弟であり、権力と金力を得やすい。
「権力とは先刻(さっき)御話した自分の個性を他人に圧し付ける道具なのです。道具だと断然いい切ってわるければ、そんな道具に使いうる利器なのです。」
例として、兄の権力がその個性を弟に押しつける話をした。弟は読書好きで家にこもりがち。釣り好きの兄は、これを忌わしく思っている。釣りをしないから厭 世的になるのだと決めつけて、弟に釣りに一緒に行くことを強要する。「気味の悪い鮒などを釣っていやいや帰ってくるのです。」「益(ますます)この釣りと いうものに対して反抗心を起こしてくるようになります。」
「自分は天性右を向いているから、彼奴(あいつ)が左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。」

個性の発展は、個人の幸福に必須である。個性を生かすためには、個人の自由が必要である。漱石は、自分の個性と自由を尊重するのならば、他人に対してもそ の個性と自由を尊重しなければならないと繰り返す。「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」のが個人主義だとする。
「或(ある)人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないようにいいふらしまたそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ国 家が亡びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずは決してありようがないのです。事実私どもは国家主義でもあり、世界 主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのです。」
国家的道徳について、「元来国と国との辞令はいくら八釜(やかま)しくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります」と突き放す。
「国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなってくるのですから考えなければなりません」として国家主義を個人主義の上位に置くことに違和感を示す。

この講演の5年前、漱石は『イズムの功過』と題する短文を書いた。イズムとか主義は、「無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出へ入れやすいように拵 (こしら)えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代わりには、出すのが億劫になったり解(ほど)くのに手数がかかったりするので、いざとい う場合には間に合わない事が多い」とした。イズムとしてまとめる過程で、中味がなくなってしまう。事実の輪郭、型しか残らない。この型をもって未来に対処 しようする、すなわち、中味のない輪郭に、多様な中身のある人生を押しこもうとすれば、真実の自分の姿を自分に与えられなくなり、屈辱と憤りを覚えること になる。過去の歴史の一時期に生じたイズムが未来にも通用するとして、そのイズムで世界を理解するのは、升で高さや長さを測定しようとするような暴挙であ るとする。

私は、『イズムの功過』に漱石の親友である正岡子規の気配を感じた。子規は写生を理想と対比する。明治35年に書かれた『病牀六尺』から引用する。
「理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と陳腐を免れぬやうになるのは必然である。」
「写生といふ事は、天然を写すのであるから、天然の趣味が変化して居るだけそれだけ、写生文写生画の趣味も変化しうるのである。」
「理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上がらうとしてかへつて池の中に落ち込むやうな事が多い。」

●立憲主義
憲法は、神棚に飾っておくものではなく、健全な政治を維持するための実用的な道具である。日本国憲法の基本価値は「個人の尊厳」であり、立憲主義によって これを実現する。立憲主義とは、憲法によって国家権力を制限し、個人の自由を守ることを意味する。権力は自らの権力を大きくしたがり、放置すれば個人を押 しつぶすことになるというのが立憲主義の前提である。国家を縛るものがなければ、個人の自由を守ることはできない。憲法が国家を縛り、法律が国民を縛ると いうのが、近代国家の基本的な形である。

トーマス・ジェファーソンは、アメリカ合衆国の独立宣言の起草者であり、近代立憲主義の生みの親の一人である。ジェファーソンは、「信頼はいつも専制の親 である。自由な政府は信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではな く猜疑に由来するのである。わが連邦憲法は、したがって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない」(清宮四郎『法律学全集3 憲法1 第3版』有 斐閣)と憲法の意義を要約した。

●バーネット事件
第二次大戦中の1942年、ウェストバージニア州教育委員会は、国旗敬礼、宣誓を公立学校の正規の教育課程の一部とし、すべての教師・生徒に敬礼儀式に参 加することを義務付ける決議を採択した。「エホバの証人」の信者であるバーネット家の姉妹は、敬礼を拒否したため退学処分になった。
1943年の連邦最高裁判所判決は、合衆国史上最も有名な判決として知られる。以下、その論理の一部を紹介する。

国旗敬礼を拒否する自由は、他のいかなる個人の権利とも衝突しない。唯一の衝突は行政権力と個人の権利との間にある。
憲法によって政府の権限が制限されたからといって、弱い政府ということにはならない。人権を尊重することによって、政府に対する恐怖がなくなる。安全だと 感じさせることによって、政府への支持がより強固なものになる。歴史的に、強権で個人の考え方まで統一を図ろうとする試みは、悲惨な結末を迎えてきた。個 人の精神的自由を堅持することは、政府に強さをもたらす。
権利章典の真の目的は、一定の問題を多数派や公務員が手出しできないところに置くこと、これを裁判所で適用される法原理として確立することであった。生 命、自由、財産に対する権利、言論の自由、出版の自由、礼拝及び集会の自由に対する権利及びその他の基本的人権は、選挙の結果で決められるものではない。
権利章典制定当時に比べて、経済問題での自由放任主義が消え、より強い社会の統合、政府の統制が求められるようになったが、問題は個人の意見の統一を強制することが、許されるかどうかである。
アメリカ国家の概念や権威の起源には、一切、神秘主義はない。われわれは被統治者の同意によって政府を創設したのである。権利章典は、権力者が法的強制力によって、信念や思想を個人に強制することを禁止している。
知的、精神的に多様であることは、社会制度を脅かすものでない。われわれは、憲法の制限条項によって多様性を擁護することが、社会制度を脅かすことにつながる恐れがあるとは思わない。

以上の論理を展開した上で、最終結論として、教育委員会の処分が、憲法が定めた権限を超えるものであるとした。
「もしわれわれの憲法という星座の中に不動の星があるならば、それはいかなる地位の公務員でも、政治やナショナリズムや宗教その他思想に関することがらに ついて、何を正統とするのかを決めることはできないということであり、また、市民にことばや動作によって、それへの忠誠を誓うことを強制することはできな いということである。——–
国旗への敬礼と宣誓を強制する地方当局の行為は、その権限を定めた憲法上の限界を超え、修正1条がすべての官憲の統制から守ろうとしている知性と精神の領域を侵すものである。」(『日本国憲法資料集 第4版』三省堂)

●価値の多様性
近代憲法は人間が多様な価値を持つことを前提とする。日本国憲法19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と国の権限を制限することによって、価値の多様性を保障している。
長谷部恭男によると、価値の多様性を尊重せざるを得なくなったきっかけはヨーロッパでの宗教戦争である。「何が正しい宗教なのかということをめぐって殺し 合いをずうっとつづけているよりは、お互いに違うのだ、この世の中にはいろいろなものの考え方があるのだということをお互いに認め合ったうえで、考え方は 違うけれども、みんなで人間らしい社会生活を送る、そのためにどういう社会の枠組みというものが必要であるかということを考えるようになったのが近代以降 の立憲主義というものであろう、ということです。」(『立憲主義と平和主義』2006年3月13日、日本記者クラブでの講演)

日本の改憲論争の不幸は、立憲主義から離れて、しばしば、日本的右翼と日本的左翼の価値の対立になっていることである。自民党の日本国憲法改正草案の3条 2項は、「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と規定している。私は日本人として、日の丸や国歌に強い愛着をもっている。しかし、うんざ りするような使い方をする人たちがいる。第二次大戦中、国家によってひどい目にあった地域・住民が存在することを知っているので、日の丸や国歌に愛着を持 てない人がいるのも理解できる。こうしたことについて単一の価値を押しつけてはならないというのが立憲主義である。

1943年、アメリカ合衆国はドイツや日本を相手に、歴史上最大の戦争を遂行していた。日系アメリカ人の強制収容という無茶を強行したが、一方で当時の連 邦最高裁判所は、国旗への敬礼と宣誓を強制する地方当局の行為を憲法違反だと判断した。この判決には、市民革命以後の世界の国家を支える中核的論理が集約 されている。現在の日本の国家制度もこれらの論理の上に成立している。個人の自由を制限できるのは、別の個人の自由と衝突した場合だけだというのが、近代 以後の世界的合意である。
1943年(昭和18年)、日本の裁判所が、公立学校での国旗敬礼の拒否を認めることができたとは思わない。漱石が生きていたとしても、「私の個人主義」 の講演を穏便に行えたとは思わない。両国の違いは、アメリカ合衆国憲法の権利章典(修正1条から10条)と大日本帝国憲法2章(臣民権利義務)の制限規範 としての強さの違いに由来するところが大きい。

平安、鎌倉、明治、大正、戦前の昭和、戦後の昭和で時代思潮は大きく変化してきた。現代日本で、立憲主義は重要な原理として根付いている。100年前に漱石が語った個人主義も日本人に根付いている。
日本の憲法に、神秘的と揶揄されかねないあいまいな価値を持ち込んで、人権を制限する理由に使うとすれば、近代立憲主義が定着していない異質な国とみなされ、国益を損ねかねない。

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