医療ガバナンス学会 (2013年4月26日 06:00)
この1年の暮らしのなかで、私は、「一気呵成に物事が動くということは、残念ながらない」と確信した。農業や漁業などの一次産業を営んでいた人たちが、そ れ以外の職種に苦もなく就けるはずがない。新居を立ち上げることで、応急仮設住宅の暮らしから難なく抜け出せるはずもない。仮置き場さえ決まらないのに、 除線や瓦礫撤去がスムーズに進むはずがない。
しかし、だからといって、「何も変わらないわけではない」という考えも、同時に持ち合わせている。
私たちの市民活動についての話題で恐縮だが、本稿でしばしば登場するのが、”HOHP”による”男の木工”である(http://medg.jp/mt/2013/02/vol49-hohphohp.html#more)。
最後にもう一度だけ概説するが、”HOHP(ホープ)”とは、「引きこもり(H)・お父さん(O)・引き寄せ(H)・プロジェクト(P)」の略で、”希 望”のHOPEと掛けたネーミングである。新たなコミュニティを築けず、自宅に引きこもりがちになったシニア世代の男たちのために立ち上げたプロジェクト であり、男たちの男たちによる男たちのための創作活動である。発足当時は2人だったメンバーが、いまでは9人に拡大した。
ボランティアによる工務店職人らの指導のもとで、3ヵ月間かけてテーブル5脚が完成した。素人のオヤジたちの製作したテーブルが、2013年4月9日付で 南相馬市の小高区役所に納品された。小高区は、原発から20キロメートル以内にあり、昨年4月に警戒区域を解かれたものの、ほとんど復興の進まない地域で ある。この区役所内に、憩いの場としてカフェをオープンさせる構想があり、そこで使用するテーブルを、未経験の男たちが製作したのである。
それは、かなり画期的なことであった。
こうした私たちの、ゆっくりだが着実な活動に対して、”原町観光協会”も支援に乗り出してくれた。協会の働きかけによって、ひの社会教育センター主催の福 島・南相馬支援チャリティー・コンサート(東京都日野市)で集められた義援金の一部が、なんとHOHPにも振り分けられたのである。
さらに、行政の進める小高区駅前通りの緑化計画にも参画することになり、そこで使用するベンチやプランターや伝言ボードの製作を依頼されたり、映画館(朝日座)再建のための備品が発注されたりなど、さまざまな活動ルートが開拓されていっている。
それはそれは、とても驚くべきことであった。
医療しかやってこなかった人間が、誰に教えてもらうわけでもなく、こうした事業を展開している。私は「ものすごく、社会勉強をさせていただいているなぁ」 と感じる。医療とはほとんど関係ないとはいえ、この活動は社会参加の縮図のようである。職種や立場や地位や思想を超えて、さまざまな人たちが集まって木工 という、ひとつの作業に没頭する。指導する側・される側、作業する人・見守る人、それぞれがそれぞれの役割をこなし、目標に向かって進んでいる。
コミュニティの創出とはいえ、そのなかで男たちはとても寡黙である。これまでも何度かインタビューを受けてきたのだが、多くを語ることはなかった。ぽつりぽつりと想いを口にするだけである。
正確に計測し、丁寧に墨を入れ(印を付けること)、真っ直ぐに木を切り、垂直にビスを差し込み、塗装を繰り返すことだけを考えている。ときにやり直し、修 正を加え、測定し直し、それは実にゆっくりとした一見とても効率の悪い作業かもしれない。しかし、うまく言えないのだが、そこには何か筋の通し方という か、論の進め方のようなものの醍醐味を感じる。ひとつひとつの作業工程を経ることで、一歩ずつ、しかも確実に進化していっているような気がする。
巷に溢れている情報などというものは、まずテレビで届けられて、新聞で周知され、雑誌で補足され、書物でまとめられ、ネットで拡散されるわけだが、”男の 木工”を見ていると、小高区のような土地でのシステムの構築というのは、情報が入ってきたのならば情報媒体のようなものは使用せず、街の人たちがカフェの ような憩いの場に集まり、それについての思いをとぎれとぎれではあるにせよ伝え合い、結果として漠然とコンセンサスのようなものが形成され、それに基づい て行動していく方が、却っていいのではないかという気になってくる。
そういう形での世論形成は時間がかかるだろうけど、そのぶん道筋がしっかりしているようで、復興のための確固たる信念のようなものが敷かれていくのではないかと思う(勝手な意見だけど)。そういう意味では、コミュニティの場は多ければ多いほどいい。
何かの楽しみというものは、最初のうちは義務的であったとしても、徐々にそれが習慣的に、そして、すすんでやりたくなるものである。
人間というのは、別に大義名分や普遍的真理や精神的向上のために生きているわけではなく、要するに、美味いものを食べて、(愉快とまではいかないにせよ) 楽しみながら生きたいと思っている。ただ、そのなかで少しだけ知的であったり、尊いことであったり、人の役に立つことであったり、そういうことをしたいの である。
そういう意味では、つまらない言葉かもしれないが、”小確喜”を得ることである。つまり、「小さいけど確かな喜び(Tiny Credible Joy」であり、文字通り、小さな喜びや楽しみや幸せを増やすことが、何か日々の目標のようなものにつながっていけばいい。
そのためには、幸せを望んでいればそれで事が足りるというものではなく、必要なのは共通した世界認識であり、もっと言うなら、具体的な細かい行動原則であ る。それがなければ何も始まらないし、何も生まれない。要は、少ない人数であったとして、そこに集まる人たちの、共通する”能動的何か”を始めることであ る。
たとえば本を読むのは好きだけど、エッセイを書くというような自分でゼロから何かを創造するというのは、それとはまた違った種類の行為である。そういう小 さいけれど、創り出す喜びや幸せを一度知ってしまうと「ただ読むだけ」という受け身の姿勢では、(もちろん、それはそれで楽しい行為だが)だんだん物足り なくなる。
私の実施している”エッセイ講座”も何となく質が変わってきて、徐々に活気が出てきた。書いている内容に磨きがかかってきた。遠慮がちであった心理描写に 対して、深い部分が語られるようになり、それにつれて、参加者は「講座が楽しくなってきた」と語ってくれた。自己表現の楽しみが少しずつ開花してきている のかもしれない。
さて、これまでの私の大学人生のなかでは、「年度末の締め括り」というようなものを考えたことはなかった。3月の末日になれば、人事異動に伴う多少の混乱に身をおくことはあっても、それはそれで、すぐに整合的に解消されるものであった。
しかし、この1年は違っていた。今年度末は簡単には割り切れない、わだかまりというか、こだわりのようなものが腹の中にドスンと残ったような感じでいた。 今年1年のあらゆることが、まだまだ未消化のような、結論を得ていないような気がして、当然、やりきった感というものもまるでなかった。
自分がここで何をやりたくて、何を残したいのかということと、近いうちにもう一度対峙して、真剣に向き合い、落とし前をつけなくてはならないような、そんな気持ちでいる。
ここへきて私は、さまざまな支援方法を考えている。言ってみれば、”テコ入れ”、”ネジの巻き直し”、”バッテリー交換”、どう表現していいかわからない が、すなわちそういうことを願っている。震災から2年の歳月を経た、これからの南相馬市に必要なことは、さらなる前進への意欲である。疲れ果てた人たちが 多いことも十分承知している。でもだからこそ、いま、ここでもう一度、何とか再生のための立て直しを図る必要がある。
今年はいろいろな支援部隊を募り、私たちだけでは未完成で、なし得なかったことについて、多くの人たちに参画してもらいたいと考えている。病院医師や行政 職員のために「開沼博さん」を、市民の体力増進とストレス解消のために「田部井淳子さん」を、福祉・介護職の人たちの精神的ケアのために「香山リカさん」 をお招きすることが既に決定している。
こうした方は、私が直接呼びかけることによって、快く同意してくれた人たちである。丁寧な、そして真摯な対応によって、まだまだ多くの方が被災地に目を向けてくれる。
それはとてもありがたいことである。
私たち支援者のやることは、意味のあることでなくてはならない。でもやったことは、それ程上手くなくてもいい。成熟させなくてはいけないが、それ程完璧でなくてもいい。
「男の木工」も「エッセイ講座」もそうである。素人でも「何かを生み出せる」ということを実感してもらうことが先決である。大切なことは、想い描き、創っ ていくことである。そういう行動を繰り返すことで、周りの共通認識が生まれてくるのだと思う。少しずつの”想造”が、この街を変えていくのだろう。