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Vol.130 日本医師会に関与する弁護士の内部矛盾

医療ガバナンス学会 (2013年5月29日 18:00)


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健保連大阪中央病院
顧問 平岡 諦
2013年5月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「人権擁護者」を名乗る弁護士が、日本医師会(日医)では患者の「人権尊重者」になっているようです。これは日医に関与する弁護士の内部矛盾ではないでしょうか。
まず、日医の「患者の人権」の扱いです。戦後、昭和22年に新生なった日医が最初に持った医の倫理、昭和26年制定『醫師の倫理』は次のように述べています。 ■総則2:医師は、常に人命の尊重を念願すべきである。■
日医の現在の医の倫理は平成12年採択『医の倫理綱領』と平成20年改定版『医師の職業倫理指針』です。それらは次のように述べています。 ■(綱領)3:医師は医療を受ける人々の人格を尊重し、、■、■(指針)序文;その倫理は、1)患者の自立性(autonomy)の尊重、、、を基本に し、、、■
日医は「患者の人権を尊重する」だけの医の倫理を、戦後すぐから持ち続けてきたということになるでしょう。
つぎに、弁護士の使命です。■弁護士法、第一章 弁護士の使命及び職務 (弁護士の使命)第一条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。■、■日本弁護士連合会・会則、第2章:弁護士道徳(第 10条)弁護士は、人権の擁護者であり、社会正義を顕現するものであることを自覚しなければならない。■
法からも道徳上も、弁護士が「人権擁護者」であることは間違いないでしょう。しかし、日医に関与する弁護士は、日医が「患者の人権を尊重する」だけの医の 倫理を保持することに手を貸し、「患者の人権を擁護する」ための医の倫理に作り変えさせようとしていないということになります。これは内部矛盾ではないで しょうか。
このような内部矛盾を持つ弁護士が存在するということは、「人権擁護」と「人権尊重」の区別を混同している弁護士が存在するということになるでしょう。このような「人権擁護」と「人権尊重」の混同はどこから来るのでしょうか。

弁護士ですら混同してしまう「人権擁護」と「人権尊重」、それは日本国憲法第13条にある二つの「尊重」にあると考えられます。■日本国憲法第13条:す べて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊 重を必要とする。■
条文の中の二つの「尊重」の意味を、「字面だけの憲法解釈」をすると矛盾が出てきます。その矛盾とは、個人としては「尊重される」だけなのに対し、個人に 属する権利(個人の所属物)については「最大の尊重を必要とする」とされていることです。「個人を尊重」するだけで、「個人に属する生命、自由及び幸福追 求に関する権利」を「最大限に尊重する」ことは矛盾しています。この矛盾を起こさないように憲法解釈をする必要があります。それは「すべて国民は、個人と して尊重される」に含まれている意味を理解することです。その意味を理解するためには、日本国憲法の誕生の過程を見る必要があります。

国立国会図書館のホームページに「日本国憲法の誕生」の経緯が掲載されています。そもそものスタートはGHQ草案のようです。■GHQ草案は (注;1946年2月)12日に完成し、マッカーサーの承認を経て、翌13日、日本政府に提示されることになった。日本政府は、22日の閣議において GHQ草案の事実上の受け入れを決定し、26日の閣議においてGHQ草案に沿った新しい憲法草案を起草することを決定した。なお、GHQ草案全文の仮訳が 閣僚に配布されたのは、25日の臨時閣議の席であった。■
提示されたGHQ草案(英語、日本語)の、日本国憲法第13条に相当する部分は以下の通りです。■GHQ草案(英語);All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness within the limits of the general welfare shall be the supreme consideration of all law and of all governmental action. (日本語);一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊敬セラルヘシ。一般ノ福祉ノ限度内ニ於テ生命、自由及幸福探求ニ対スル其ノ権利ハ一切ノ法 律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ。■
GHQ草案は、日本政府の草案(ここでは三月五日案を示します)、口語化憲法草案(1946年4月5日完成)を経て、日本国憲法となりました。第13条の 「すべて国民は、個人として尊重される。」に相当する部分は以下の通りです。■三月五日案第十二条;凡テノ国民ハ人トシテ尊重セラルベク(以下 略);Article XII. All of the people shall be respected as individuals(以下略)■、■口語化草案第十二条;すべて国民は、個人として尊重される。■
GHQ草案の「All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals.」の和訳は「一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊敬セラルヘシ」となっており妥当な訳です。その後、「三月五日 案」では「凡テノ国民ハ人トシテ尊重セラルベク」に変わり、さらに「口語化草案」では「すべて国民は、個人として尊重される」となって、現行憲法第13条 になっています。
GHQ草案では、「humanity(これは尊厳;dignity、人権と同意)」という普遍性を持つ故に「一人ひとりが尊敬されなければならない」とい う考え方です。「個人として尊敬される」のは、「尊厳」を持っているからです。「尊敬する」からこそ「尊厳(人権)を傷つけてはいけない、擁護すべき」と なり、そのための専門職として弁護士があるのです。「尊重される(だけの)個人」の尊厳は傷付けられることもあり得ます。
ところが「三月五日案」では、「人トシテ」という普遍的な考えを引き継いではいますが、「尊敬セラルベシ」が「尊重セラルベク」に置き換えられてその内容 が変質しています。さらに「口語化草案」では「個人」に置き換えられて「humanity(尊厳、人権)」という普遍的な考えが無くなっています。このよ うな「不適切な翻訳」のまま現行憲法になっているのです。これを「字面だけの憲法解釈」を行うと「人権は尊重する」だけで良いことになります。

日医に関与している弁護士はどうも「字面だけの憲法解釈」を行って、患者の「人権は尊重する」だけで良いと考えているようです。そして日医が患者の「人権 を尊重する」だけの医の倫理を保持することに関与しているのでしょう。世界医師会の文書中の「respect」を、日医は「尊敬」と訳すべきところを「尊 重」と「不適切な翻訳」を行っています。「字面だけの憲法解釈」を行う弁護士がこれにも関与しているのでしょう。

「尊重される(だけの)個人」の尊厳は傷付けられることがあり得ます。「患者の人権を尊重する」だけの医の倫理では、患者の尊厳が傷付けられることがあり ます。「医療の社会化」、すなわち第三者(国や製薬会社など)の意向が、医師を介して、患者に大きな影響を与えるようになってきた現在、「患者の人権を尊 重する」だけで、時には第三者の意向を優先させることを許す医の倫理の下では、患者の人権問題を予防できないのです。例えば、隔離政策という国の意向に、 国会答弁までしたハンセン病専門医が、「要らぬ長期隔離」という患者の人権問題を起こしました。水俣病という食中毒の被害者を、国の意向に沿った判定基準 によって切り捨ててきた専門医がいます。しかし、日医は相変わらず「患者の人権を尊重する」だけの医の倫理を保持しています。
日医に関与する弁護士は日医の「患者の人権を尊重する」だけの医の倫理を変更させようとしていません。「人権擁護者」であることを放棄したのでしょうか。

■日本国憲法は、「個人の尊厳」の原理(第13条)の達成を目的とするのが憲法学の通説ないし定説である。これは、人間社会のあらゆる価値の根源が個人に あり、他の何にもまさって個人を尊重しようとする原理である。■ これは、Wikipedia 「日本国憲法」の文章ですが、わたしもその通りだと思います。単に「個人を尊重する」のではなく、「他の何にもまさって個人を尊重する」必要があるので す。とくに第13条の「字面だけの憲法解釈」は、日本国憲法の目的を誤らせることになるのです。日医に関与する弁護士は、「人権擁護者」を名乗りながら、 日本国憲法の目的を誤らせようとしているのです。
ご意見など頂ければ幸いです(bpcem701@tcct.zaq.ne.jp)。

2013.5.3.憲法記念日に寄せて

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