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Vol.131 いわき市訪問記

医療ガバナンス学会 (2013年5月30日 06:00)


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自治医科大学付属さいたま医療センター
鵜飼 知嵩
2013年5月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


この連休に縁あって福島県いわき市のときわ会常磐病院を訪れる機会を頂いたので、見聞きしたこと、考えたことを残しておきたいと思う。

まずいわき市についてだが、福島県浜通りの南部に位置する中核都市であり、福島県内最大の人口、面積を有している。人口は東北地方で仙台に次いで東北地方 で第2位である。東日本大震災では特に津波、火災の被害を受け430人が死亡し(福島県全体で1915人)、家屋の全壊、半壊は40416棟に及ぶ。福島 第一原発はいわき市の北部に位置し、いわき市の約95%は福島第一原発から30km圏外となる。常磐病院はいわき泌尿器科病院と複数の病院が合併してでき た250床ほどの中規模病院である。

今回私がいわき市に伺った理由は、一つには被災地と被災地を取り巻く医療の状況に興味があってのことだが、もう一つには私が初期研修医時代にいわき市の透 析患者さんを当時勤めていた病院に搬送したことを思い出したからである。震災時に自分の病院へ搬送し、何か月か後にいわき市の病院へ送り返させて頂いた が、自分が担当した患者を含めて多くの患者さんがいわき市に戻られてから無事に過ごしているか気になったのである。

今回私は、常磐病院事務局長の佐藤隆治氏より最近の状況について伺った。まずいわき市に千葉から搬送した透析患者さんのほとんどは、無事にいわき市に戻ら れ、変わりなく生活しているという話を聞きほっとした。中には移送後に亡くなってしまった方もいたがごく少数であったという。
次にいわき市の医療の現状についてお話を伺った。いわき市の医療はこれまで、いわき市立総合磐城共立病院や福島労災病院といった東北大学や福島県立医科大 学などの医局派遣で支えられてきたが、昨今の医局の医師不足の問題もあり両病院ともに縮小傾向にあるという。共立病院が常勤の救命救急医を2人しか配置で きなくなった例などに顕著に表れているように、基幹病院の機能低下によって救急医療を始め、多くの医療体制が切迫してきているとのことであった。常磐病院 は地域住民の内部被ばくの測定も行っており、これまでに合計5千人以上の方の内部被ばく調査を行ってきた。いわき市自体は多くの地域で線量が低めなことも あって、他の地域と比較して被ばくへの関心はそこまで高いわけではないという。実際、内部被ばく量の相談についても外来で行う予定であったが、あまり需要 はないのだそうだ。ただし、内部被ばくの測定を継続することは重要であると考えており、今後は外部から医師を呼ぶ講演会などを実施して、住民へ定期的な内 部被ばくの測定を促していく予定であるということであった。

佐藤氏の話の中に大変興味深い言葉があった。佐藤氏自身、震災前は常磐病院がいわき市の中でどう生き残るかといったことを考えていたという。しかし、震災 を機に全国の大学や他病院などとの関連ができたことで、様々な情報が入ってくるようになったとのことでそうした考えでは駄目だと悟ったというのだ。今は ネットワークと駆使して、いわき市しいては福島県をどのように国際的に競争力のある地区に変えていくか、そのためにどのような投資が必要かを検討している という。特に学術的な成果が出せるように様々な大学との連携を企画されており、非常に精力的だ。さらに佐藤氏は、ときわ会の常盤峻士会長はこの町を変える のは「よそもの、わかもの、ばかもの」だと常々言っているという話を紹介してくれた。つまり、もともとのいわきの住民だけではこの町は変わらない。外から 来た、若い力が必要だと感じているというのである。私自身、群馬県出身なので地方都市の内向的な風土はなんとなくわかる。県内の高校を卒業して、群馬大学 に入学するのが群馬県ではエリートコースであり、都内の大学などに進学した友人の多くは群馬県には戻ってこなかった。実際、いわき市も上層部はほとんどい わき高校の出身者が揃えられていて、いわき高校の出身でないだけでよそもののような扱いを受けるのだという。またいわき市も多くの優秀な若者は市外に出る と戻ってこない。戻っても活躍できるところがないというのだ。東京というか首都圏では全国から人口が流入しているためか、そうした閉鎖的な地域性は感じな いことが多かった。いわき市は震災を契機に首都圏とつながりを持ったことによって、さまざまなネットワークとつながり持つことになった。それはいわき市の 大きな変化の一つであると感じた。

翌日に私は佐藤氏に被災地の制限区域近くまで車で案内して頂いた。前日はいわき駅近くのビジネスホテルに宿泊したが、いわき駅周辺は震災を感じさせないほ ど夜は活気があり、日中も観光客などが歩いていた。建物も空地こそいくらか残ってはいたが、倒壊した建物などはなく、それほど震災を感じさせるものはな かった。しかし、いわき市を北上し制限区域に近づくと、状況は変わった。最近制限解除になった地域では、漁船や倒壊した建物や駅などがほとんど手つかずの まま放置してあった。放射線線量が多い地域では、土砂や草などを除染用の黒い袋に詰めて、留置場まで移動させるのだが、最近制限解除になった地域では除染 もまだ行われていない場所が多かった。一方、大きな道路沿いでは、黒い除染用の大きな袋が立ち並び、雑草までもきれいに取り除かれて除染されている場所 と、まだ除染されていない場所がはっきり分かれていた。雑草一つなく、巨大な黒い袋が立ち並ぶ除染後の光景は正直異様な様相であった。地元の人はこれを 「移染」だと揶揄しているという話も教えてくれた。取り除いているわけではなく、黒い袋に移しているだけだというのだ。今はきれいに取り除いた場所も季節 が変わればまた草が生え、落ち葉も積もる。除染に途方もない労力と時間が必要であり、その場所が自分の生活のより身近なところにあるのを実感せざるを得な かった。そんな中でも田植えに励んでいる方もいた。黒い除染袋が立ち並ぶ中でも現地での生活を取り戻そうとする方の姿には、力強さを感じた。ただ、こうし た農作物がきちんとした物流に乗って販売できるのか不安にも感じた。こうした方々はまだ少数で制限区域のすぐ外の町では住民の数はもともとの3分の1しか 戻ってきてはいないという。

いわき市は東京から電車でわずか2時間の街である。そこには、復興から立ち直った町並みがある一方、その先には震災のはっきりとした爪痕がそのまま残って いた。透析患者の搬送など急性期の問題はある程度収束したが、除染など様々な問題が依然として存在している。ただそれだけではなく閉鎖的で内向的であった 風土が、震災を契機に少しずつ変わりつつあるのも感じた。医療崩壊は決して福島の問題ではなくて、私が現在勤務している埼玉でも大きな問題になっている。 目の前の患者さんを助けることは大切なことだが、そのうえでこの問題に対して何ができるか考える機会を頂いたと思っている。

今回の訪問の機会を作っていただいた谷本哲也先生、訪問を引き受けていただいた常磐病院事務局長の佐藤隆治氏に心から感謝します。

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