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臨時 vol 135 「日本で輸血ができなくなる日」

医療ガバナンス学会 (2009年6月10日 15:34)


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          ――新型インフルエンザ問題から学ぶ危機管理
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
客員研究員
成松宏人

 サマリー
 この度の新型インフルエンザ問題は、輸血製剤など医療に必須の医薬品が非常
事態には安定供給されない懸念が、現実のものになりうることを示しました。我
々医療関係者は、医薬品の安定供給に関する危機管理体制を早急に確立するため、
議論を始める必要があります。
●新型インフルエンザと輸血
 今年の5月16日から22日にかけて、兵庫県の赤十字血液センターでは、献血者
数が計画のわずか6割程度しか確保できなかったことが明らかになりました(朝
日新聞5/23/2009)。関西での新型インフルエンザの感染の拡大により、外出を
控える人が増え、献血が減ったことが原因と報じられました。この報道を見て、
「パンデミックになったら輸血はどうなるだろうか…・・・」と、背筋が凍った医
療関係者も多かったのではないでしょうか。
 献血には、赤血球製剤が製造される全血献血と、血小板製剤などが製造される
成分献血があります。赤血球製剤は冷所管理が可能で、在庫調整が可能ですが、
血小板製剤はわずか4日間の保存しかきかず、在庫調整ができません。つまり、
新型インフルエンザのパンデミックが発生した場合、地域よっては血小板輸血が
できなくなる可能性があるのです。
 血小板製剤は、白血病などの血液疾患の治療に必須の輸血製剤です。血小板数
を一定に維持しなければ、脳出血や消化管出血など、即、生命の危機に瀕す状態
なります。血小板製剤を輸血することで、そのような重大な合併症をかなり減ら
すことができます。しかし、血小板製剤が手に入らなくなれば、白血病などの血
液疾患の治療は事実上困難になります。すなわち、パンデミックが発生した場合
はその地域では白血病の治療ができなくなるのです。
●緊急時における輸血の不活化技術
 このような危機的状況の時には、どのような対策をすればよいでしょうか?
一つの対策案として、輸血製剤の不活化技術の導入が検討されています。これは、
特殊な処理を行うことにより輸血製剤中のウイルス、細菌、原虫などの病原体を
殺す技術です。日本では現在のところ、この技術は導入されていません。もっと
も、B型肝炎、C型肝炎、エイズについては検査を行っており、輸血が原因でこれ
らの病気に罹患する患者さんは極めて少なくなっています。しかし、それら3つ
以外のウイルス、細菌、原虫などが血液に混ざっていた場合、見つけることがで
きずに、そのまま患者さんへ輸血されているのが実態なのです。
 不活化技術の危機時状況時の最大の利点は、輸血製剤に混入している病原体を
不活化することで、保存期間をのばすことができることです。たとえば、ソラレ
ン誘導体による不活化は、血小板の保存期限を4日から7日に延ばすことができ
ます(Transfusion. 44:320-9)。これは、危機の際には大きな意味をもちます。
輸血製剤の不足地域に製剤をまわすなど、供給調整の範囲が拡がるからです。実
際、不活化技術はEU諸国の一部では既に承認されています。アジアではシンガポー
ルおよびタイなどで使用が許可されており、また米国でも、既にFDAに申請中で
す。一方、日本では2004年に「検討をする必要がある」との議論が始まりました
が、未だに審議が続いており、治験も開始されていません。現時点では、「安全
性に関するデータ集積は不十分で、変異原性や発がん性など人体への長期的な影
響が完全には明らかにはなっておらず、導入するかどうかは慎重に検討すべきで
ある」との見解が日本では多くを占めるからです(「輸血用血液製剤における病
原体不活化技術導入に関する見解」 日本輸血・細胞治療学会 5/19/2008)。つ
い最近行われた輸血・細胞治療学会でも、議論があまり進まなかったことが伝え
られています(BTJ /HEADLINE/NEWS 2009/06/03 SOLUTIONS 第1290号)。つまり、
もしも明日、インフルエンザのパンデミックが起こっても、残念ながら日本では
この技術の恩恵に与ることはできません。
●医療における危機管理は身近な問題である
 新型インフルエンザのパンデミック時の輸血の問題をご紹介しましたが、同様
の危機的状況は、他の原因でも起こりえます。それはテロの発生によるかもしれ
ませんし、天変地異のせいかも知れません。グローバル化が進んだ現代では、一
見、医療とも日本とも関係ないような、地球の裏側の出来事でも、日本国内にお
ける危機的状況を引き起こすことがあるのです。
 実はこのような事例を日本の医療界は既に経験しています。本年初めに明らか
になった、骨髄フィルター問題です。骨髄フィルターは骨髄移植に必須の医療器
具ですが、日本で唯一承認されていた製品が欠品になる見通しとなり、大変な問
題になりました。この問題のそもそもの原因は、リーマンショックを引き金にし
た昨年来の経済危機により、合理化を余儀なくされた米国のメーカーが骨髄フィ
ルター製造部門を別会社に売却したことにあるといわれています。この時は、関
係者の相当な努力により、米国で既に承認されている別の会社のほぼ同効品の骨
髄フィルターが日本で約1ヶ月あまりの間に迅速承認され(通常なら、医薬品・
医療機器の承認までは1年以上かかることが多いですが)、日本に輸入されて、
なんとか骨髄移植の中断は免れました。
●医療における危機管理とは FDAの場合
 今回の新型インフルエンザに対し、FDAはいち早くその危機管理の方針を表明
しました(http://www.fda.gov/ForConsumers/ConsumerUpdates/ucm153347.htm)。
その中には、米国CDC(疾病対策予防センター)やWHO(世界保健機関) などの関係
施設との連携や、分野横断的チームの設置などが盛り込まれています。そして、
この分野横断的チームには「血液製剤チーム」も含まれています。今回のインフ
ルエンザ発生期間中に献血された輸血に関し、血液及び血液製剤の安全性の確保
や在庫調整について取り組むチームです。
 さらに興味深い方針は、緊急時に必要に応じて「緊急事態使用許可」を行うこ
とです。FDAは法的な裏付けによって、緊急事態には、未承認又は未認可の医薬
品の使用を許可することができるのです。これは現在の日本にはない制度です。
新型インフルエンザのパンデミックにより供給が不可能になった医薬品や供給が
追いつかなくなった医薬品(例えばインフルエンザの治療に使用する医薬品)の
代替品、あるいは危機回避に有用である新薬(例えば画期的なインフルエンザ治
療薬やワクチン)の使用を許可することが可能になると考えられます。
 そして実際、今回新型インフルエンザの感染の拡大が認められてから、FDAは
特定のインフルエンザ医薬品や診断キットの緊急使用を許可しています。
●医療における危機管理について、まず議論を!
 グローバル化の進展により、地球上のすべての出来事が連鎖する時代になりま
した。医療における危機はいつ起こってもおかしくありません。新型インフルエ
ンザ問題により、多くの医療関係者がそのことを再認識したと思います。
 しかし残念ながら、日本では危機管理対策についての議論は深まっていません。
筆者は、緊急時には通常時とは別の考え方をもち、制度設計をする必要があると
考えます。例えば通常時、医薬品の承認は、安全性を担保するため科学的かつ慎
重に審査を行った上でなされます。また、メーカーの多くは株式会社ですので、
医薬品の販売や供給については経済的な事情も多くを左右します。では、緊急時
にはどうでしょうか? 多くの人の命が救われるような医薬品が、日本で承認さ
れていないために使用できなかったら? もしくは、緊急時に必要な薬品が、採
算がとれないため、製造や販売が行われなくなり日本で手に入らなくなったら?
 緊急に承認を与えることになれば、安全性の検討がおろそかになるかもしれま
せん。また、どこかのメーカーに強制的に医薬品の供給をさせれば、経済合理性
を無視することになります。一方でそのような緊急措置を取ることで、患者を救
える可能性があります。つまり、緊急時には通常時とは違った価値判断が求めら
れるということです。その上でメリットとデメリットを天秤にかけて、緊急措置
を取るべきかどうか判断をする必要があるのです。
 繰り返しますが、日本では危機管理対策についての議論は深まっていません。
 上述の骨髄フィルターの欠品問題では、審査期間を大幅に短縮して日本で未承
認の代替品を承認するという、あくまで「通常時」の枠内での対応がとられまし
た。それにより、骨髄移植の中断という最悪の事態は免れましたが、次回同じよ
うな問題が起きたときにどのように対応するか、という問題は残されたままです。
 「天秤にかけて考える」際に最も必要なものは、日々の医療現場で培われた医
療関係者のバランス感覚でしょう。また、この問題を論理的かつ科学的に議論す
るのはアカデミズムの役割でしょう。FDAが行っているような一定期間だけ緊急
使用を認める方法は参考になると思います。これは、医療行政の担当者だけの問
題ではありません。多くの医療・医学関係者、そして社会の人々がこの問題につ
いての意見を述べ、そして議論することが、この問題を解決するための唯一かつ
最良の出発点であると筆者は信じます。

 

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