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Vol.158 甲子園を目指して取り組んだメンタルトレーニング

医療ガバナンス学会 (2013年6月25日 06:00)


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早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程
澤井 芳信
2013年6月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


前回の「プロフェッショナルを目指して」(Vol.125)では、私の高校時代の話を通して、今私が思っていることを書かせていただいた。決して野球エリートではない私たちが、なぜ甲子園の決勝までいけたのか。今回もその話を通して「イメージ力」について書きたいと思う。

試合前、甲子園のベンチ前で選手が円陣を組む。高校野球では見慣れた風景である。主将の掛け声とともに、全員が気合を入れて声を出し、ベンチに入る。本来 ならこのようなパターンが多いであろう。しかし、当時の我が京都成章高校野球部はそれをしなかった。一人の選手が円陣の真ん中でボールを持ち、周りの選手 はじっとそのボールを見つめている。主将である私が「次、スライダー回転」というと、ボールを持った選手がボールをスライダーの回転でクルクルとボール回 す。私たちはまたそのボールをじっと見つめる。何をしているか想像がつくだろうか?そう、イメージをしているのである。ただじっと集中してボールを見てい るわけではない。ボールを見ながら、みんなそれぞれが頭の中で、自分の理想のフォームでそのボールを打つイメージをしているのだ。スライダーの回転の時 も、ゆっくりとしたスライダー回転を見て、自分のポイントでスライダーを打つイメージをしている。そして、私たちは試合に臨むのである。

「イメージする。」アスリートはよくこの言葉を使う。私もなぜ甲子園に行けたのか?と聞かれた時に、常にいうことがある。それは「イメージしていたか ら。」だ。イメージしていたら全員甲子園にいけるなんてことはありえない。しかし、イメージしていたのは事実である。当時、私の通学時間は約1時間30 分。学校の最寄り駅まで電車で来た後、駅に置いている自転車に乗って30分かけて高校まで通っていた。自転車を漕いでいる時、いつも頭にあった風景があ る。それは、京都大会の決勝で最後のアウトを取り、歓喜の中マウンドに集まる甲子園出場が決定した瞬間の風景である。チームメイトの喜ぶ顔まではっきりイ メージしていた。そうすることでまたモチベーションがあがり、練習を頑張ろうと思うのだ。たまに高校の野球部の子たちと話す機会があるが、その時私は「本 当に甲子園にいきたいのか?」と聞くことにしている。ほとんどの生徒は「はい、行きたいです。」と返事をする。本気で思っているのかどうかはわからない。 だが、本気で思っているのならイメージしているはずであろう。イメージすることができていなければ、そういった時間をみんなで作ることも重要だし、普段の 練習の時から「甲子園」という言葉を使用すればいいと私は考えている。私はイメージができないことは、叶うことが難しいのではないかと思う。口で目標を言 うのは簡単である。しかしイメージできなければ、やはりその目標は遠い存在になってしまうのである。

前回も書かせていただいたが、当時、私たちは強豪校に勝つために、環境や伝統に負けないように、どの高校よりも早く、コンディショニングトレーニングとメ ンタルトレーニングを取り入れていた。当時のメンタルトレーニングの先生は、今は亡き喜多村先生。今でも喜多村先生の言葉をよく思い出す。「何事も「~し なければいけない。」「~できるといいな。」と思うのではなく、「できる」と思うこと。「打たなければいけない」ではなく、「打つことができる」、 must、wantではなくI canと考えなさい。」。というのだ。「できる」と思わなければ、イメージすることは難しい。その風景を鮮明にイメージできれば、結果に繋がる可能性が高 いのではないだろうか。また、エラーやミスをした時、悪いイメージを持ってしまうが、目線を20度上にあげ、深呼吸する。そうすることでリセットができ る。20度上が目の集中する角度だということも教えていただいた。

喜多村先生のメンタルトレーニングの中で一番時間を使ったのが、腹式呼吸を用いたイメージトレーニングだった。メンタルトレーニングに取り組んだことで、 イメージしたことが現実になることが多々あった。イメージ通りできた時、本当に不思議で面白かった。今でも鮮明に覚えているのが、甲子園3回戦の桜美林 戦。1-1の7回2アウト2塁の場面で私は打席に立った。この時の2塁ランナーは決して足の速いランナーではなかった。そこで私は、「ランナーの足を考え ると左中間か右中間に打たないとセーフにならないな。」と考えていた。その時、インコースのストレートを左中間にヒットを打つイメージが鮮明に沸いた。私 は狙い通りインコースにきたストレートを振り抜いた。結果はイメージ通り、左中間にクリーンヒット。追加点が入った。メンタルトレーニングも訓練であると 私は思う。普段から「できる」ことをイメージしているかどうかが大切だと思う。

では、なぜ松坂大輔に私達はノーヒットノーランされたのか。それは、やはり彼の凄さに圧倒され、私たちは錯覚を起こしてしまったのだ。彼は当時150キロ を超えるストレートと鋭く曲がるスライダーが抜群であった。そんな速いボールやキレがあるボールに対し、私たちは速くスイングしなければいけないと考えて しまったのである。速いボールがくる、だから私たちも速くスイングしなければいけないという錯覚と焦りを持ってしまった。もちろん実力差もあるが、これこ そが打てなかった理由である。甲子園決勝という最後の舞台で「怪物松坂」に飲み込まれてしまったのだ。

実は甲子園での「決勝戦ノーヒットノーラン」、には続きがある。あまり知られていないと思うが、甲子園大会が終了後、毎年秋の国体で、公開競技として甲子 園ベスト8以上+数チームでトーナメントが行われる。1998年は神奈川国体であり、地元開催の横浜高校は国体で高校野球4冠(秋の神宮大会、春の選抜甲 子園、夏の甲子園、秋の国体)を狙っていた。私たちはリベンジを果たすべく、もう一度横浜と対戦するため、甲子園が終わってからも練習をしてきて、決勝ま で勝ち抜くことができた。国体でも決勝戦のカードは横浜高校と私たち京都成章だったのである。その時の戦略は、甲子園決勝の反省を生かし、「速くスイング する」という概念を取り、バットの芯にボールが当たる「ジャストミート」だけをイメージするシンプルなことに取り組んだ。狙い球が来たら三振OKでしっか りスイングすること。そして「ジャストミート」のイメージを持つ。これでだけだ。この日の松坂はMAX153キロをマーク。夏の甲子園決勝より速かったの である。結果は、16三振を奪われるものの、8安打。私も2安打を記録した。ベンチで最初にヒットを打つのは誰か、私は自分への期待も含め、楽しみにして いた。残念ながら私ではなかったのだが、最初に打ったのは、甲子園の決勝で最後のバッターとして空振り三振した、今でもよくテレビに出てくる我が京都成章 の3番バッターであった。きれいに三遊間を抜くヒットを打ってみせた。見事にリベンジ。ベンチも観客席も沸いた。結果だが、2-1でまた負けてしまった。 しかし松坂と再戦することをイメージし、公式戦無敗の横浜高校をここまで苦しめることができたのは、京都成章としては十分な結果であったと思う。やはり 98年の横浜高校は「最強」であった。松坂と対戦できるあのワクワク感は今でも忘れられない。

私はプロ野球選手になりたかった。55年生まれの凄い同級生たちとプロ野球の世界で戦ってみたかった。プロ野球選手になるために練習もしてきた。だが、ど うしてもプロのユニフォームに袖を通した自分をイメージすることができなかった。全国大会という舞台で凄い同級生達を見て戦ってきたからこそ、心のどこか で諦めていた自分があったのかもしれない。やはり、「できる」と強く思わないことにはイメージはできないのであろう。もちろん始めから明確にイメージでき る人は少ないと私は思う。どういう目標があり、そのためにどう行動を起こすのか。その行動がどのような経験になっていくのか。この取り組みがあるからこ そ、イメージ力が上がっていくのではないだろうか。数年前から私は大学院に入学し、勉強することを考えていた。現在私は早稲田の大学院に通っている。イ メージしていたことが実現できると楽しいし、不思議だ。でも結果として出ている。将来の自分をイメージしながら、「I can精神」で今後も真摯にスポーツに向き合っていきたい。

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