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Vol.184 加藤茂明先生に感謝状を捧げます

医療ガバナンス学会 (2013年7月26日 06:00)


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福島県南相馬市 番場ゼミナール/ベテランママの会主宰
番場 さち子
2013年7月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


加藤茂明先生に初めてお目にかかったのは、2012年2月20日の寒い朝でした。東京大学医科学研究所から毎週、南相馬市立総合病院と相馬中央病院に非常 勤医師として出向してくださっている坪倉正治先生と私どもベテランママの会は、新年度の通学先をどこに決定したら良いか右往左往している若いお母さんや子 どもたちのために、毎週、「正しい放射能のお話し会」を開催しておりました。その佳境の頃に、加藤先生お一人で見学にいらしてくださいましたので、よく記 憶しております。
和室の集会所の一番後ろを陣取り、壁に背中を預けて、ニコリともせずパソコンを開きながら坪倉先生のお話しを聴いていらっしゃるお姿は、少し近寄りがたいオーラを醸し出していらっしゃいました。
最初、どのようなお方なのか、さっぱりわからずにご挨拶だけさせていただきましたが、懊悩されたような厳しいまなざしだったことだけが印象に残りました。
ちょっと強面の先生にも、坪倉先生のお話し会終了後に自己紹介をいただきましたら、先生はみんなの前にお立ちになり、「僕の父は新地町の出身で、母は郡山 市の出身で、僕には福島のDNAが流れています。」とおっしゃいました。そのとき、会場の住民からは「おお・・・」とざわめきが湧き上がったのを聞きまし た。

私どもは風評被害というものにも耐えていた時期です。福島ナンバーの車にいたずらをされたり、福島出身というだけで差別をされたり、私自身も福島県南相馬市と言いますと、契約ができず新たな仕事をしようにも八方ふさがりで、気持ちがささくれた、そんな時期でもありました。

先生はお言葉を続けて「福島のためになにか尽力したいと思ってやってきました。」と、硬い表情を崩さずにおっしゃいましたが、住民からは温かな拍手が沸き 起こりました。「福島県のDNA」というお言葉は、何ものにも代えがたい、たったそのワンフレーズで信頼を勝ち得たかのような重みのある言葉だったので す。仲間意識が芽生えました。

数週間後、南相馬市立総合病院の待合室で、私は診察の順番を待っておりますときに、偶然、病院見学にいらしていた加藤先生に再会しました。
「あら!加藤先生!覚えていらっしゃいますか?」とお声かけさせていただいた私を振り返り、「番場塾でなにか手伝えることはないかなぁ・・・」と、二度目の再会には、打って変わって人懐っこい感じの笑顔で話されたことも、なぜかよく記憶しています。

その後、加藤先生は、海外の出張以外のほぼ毎週、南相馬市にあります私の学習塾に学習支援に来てくださることになりました。少しずつ、加藤茂明先生という 方は、「東京大学農学部の農学博士で教授であった」ことや「分子生物学、骨代謝の研究では日本を代表する先生らしい」ことや、「ハーバード大学の先生方で さえリスペクトするような偉いお方らしい」というお話しが耳に入るようになりました。伺えば伺うほど、すごい人物であることを理解しました。加藤先生は教 室では子どもたちのわからないところを個別指導するスタイルで勉強を指導されたり、志望大学の相談に乗ってくださったり、子どもたちとジョークも交えなが ら雑談をよくされました。権威もなにも感じさせず、威圧することなく、ただ「何でも知っていて答えてくれるおじさん」的存在であったのが、月数を重ねて 「頼りになるお父さん」的存在に変化が生じてきたように感じます。先生はランの花がお好きで、ご自宅でも立派なランを咲かせていらっしゃるそうですが、無 頓着な私が廊下に放置していたランに水やりをしたり、剪定をしたり、腰をかがめて暗い廊下で一人、ランのお手入れをしてくださっているお姿はまるで教室の 主のようで穏やかでありました。その気さくな優しいお人柄が子どもたちとも意思疎通ができ、親しくなれました理由のひとつでしょう。

しばらくして、先生が論文捏造事件の責任を取られて大学を辞職なさったことをお聞きしましたが、そのような混乱極まりない時期に、よくぞ支援に来てくださ いましたと、頭の下がる思いでお話しをお伺いしました。しかも、事件勃発から引責退職までの決断期間の短さにも、ただただ驚くばかりの潔さを感じました。
幸か不幸か、ここ南相馬は田舎過ぎて、誰もそのようなことは存じ上げないし、例えそれを知ったとしても、「だからなに?」と反対に尋問されるのが関の山であろうと思います。

昨年度にはこんな出来事がありました。中学3年生のときに父親を亡くし、母子家庭の高校3年生の男子生徒が進路について深く悩んでおりました。6年間学費 のかかる薬学部を目指すべきか、3年間だけですむ理学療法士を目指そうかとおのれの進路を悩んでいた彼に、薬学部は薬剤師になるだけではない選択肢の広が りや、若いときの努力は財産であることなどをお話しいただいたお蔭で、その生徒は迷いを振り切り、薬学部に進学いたしました。お母さんや私がいろいろ意見 しても、なかなか踏ん切りがつかずにいたその男子生徒は、加藤先生の理路整然とした社会のしくみなどのお話しも、男子の彼の頭にはスッと素直に入ったよう でした。彼の人生が、加藤先生のお話しで切り開かれたということは過言ではなく、感謝の念にたえないことだと思っております。

加藤先生は、教室で私の手作りの夕食を召し上がるのが恒例となっています。毎週支援に来ていただいても、何のお礼もできない私どもの苦肉の策の、お礼代わ りには程遠いような家庭料理の夕食なのですが、毎回美味しいと褒めて召し上がってくださいますので、私も準備が楽しくなります。
今年の新年を迎えたある日、加藤先生が年が明けて初めて教室にいらっしゃるという日には、将来栄養士になりたいと希望を持っている中学3年生の女子生徒が 筆頭となり、加藤先生のために夕食作りを子どもたちで行いました。(その模様はテレビ朝日系列番組「テレメンタリー2013 心の隙間を埋めて~南相馬の学習塾から~」で紹介されました)炒めた玉ねぎやベーコンをとろけるチーズとともに油揚げの中に詰め込み、両面焼きしただけの 物なのですが、震災後、屋内退避命令や避難生活の最中に、母親から教わったというそのお惣菜を、同年代の子どもたちは彼女の包丁使いに感嘆しながら、加藤 先生の喜んで下さるお顔を想像しつつ共同作業した心のこもった一品だったのでした。加藤先生がいらっしゃる前に、みんなで試食して美味しさは自負していて も、加藤先生がなんとおっしゃるのか、お口に合うのか、子どもたちは加藤先生のお箸の動きに固唾を呑んで・・・評価を待ちました。先生から「美味しい ね。」とおっしゃっていただいたときの、子どもたちのホッとした安堵の笑みが忘れられません。女の子同士、顔を見合わせて、目で「やったね」と合図しあっ ていた姿を私は見逃しませんでした。

もう長いこと教室に来てくださっていますので、最近では生徒の方も甘えて気安い口調で話しかけています。夕食の時間、「大学どうしょうかな・・加藤先生ど う思う?」などと、口をモグモグさせながら進路相談を行ったりもしているようです。サラダだけで夕食を済ませようとしているダイエット中の女子高生には、 ご自分のお惣菜のお皿を一皿渡され、「たんぱく質も摂らないとだめだよ。」などと家族のような会話が誕生もしています。

私自身も、毎回お出でいただいたときに他愛のない会話の中にさりげなく発せられる「加藤語録」を楽しみに、心に刻んでおります。「加藤先生の為になる一 言」と言うのでしょうか、「聞いて得した加藤先生のお言葉」と言うのでしょうか、ああなるほど!と、感じ入るお言葉の数々に、折れそうになる心に「喝」 (活)を入れていただいたり、励まされたりしており、先生のご来室がいつも待ち遠しい感じです。こうして加藤先生のご支援が継続できておりますのも、相馬 中央病院の理事長、院長のご配慮あってのこととお伺いし、そちらも感謝の気持ちでいっぱいです。

加藤先生、いつもありがとうございます。大震災と原発事故は我々に過酷な生活を強い、思いもよらない苦難を与えましたが、こうした新たな出会いのきっかけ にもなりました。私たちはいつでも加藤先生の味方です。加藤先生のことは、我々が一番よく存じ上げております。これからも子どもたちや私の支えとなってい てください。これを感謝状として、加藤茂明先生に捧げたいと思います。また夕食のお惣菜を作って、加藤先生のご来室を南相馬の教室で子どもたちとお待ち申 し上げております。

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