医療ガバナンス学会 (2013年7月28日 06:00)
すでに日本でも大きく報道されている通り、米国映画俳優のアンジェリーナ・ジョリーが自身の両乳房切除再建手術について明らかにしたのは、5月14日付の 「ニューヨーク・タイムズ」紙に掲載された「マイ・メディカル・チョイス」というタイトルの署名記事でありました。母を56歳の若さで卵巣がんにより亡く している彼女は、遺伝子検査でがん抑制遺伝子(BRCA)に変異が見つかり、将来、乳がんになるリスクが87%、卵巣がんのリスクは50%という診断を受 け、乳がんの予防のために、両乳房切除を受けたというのです。
これによる日本のメディアの対応は、相変わらず、場当たり的というか、乳房切除を受けることは賛成か?反対か?とか、日本では可能かどうか?などとか、ま た、専門の医療機関も予防的乳房切除ができるように施設の倫理委員会に申請をしたということが報道されましたが、患者さん、日本の国民に対して、果たして 大事な情報を流しているのかというと、どうかな~?と首をかしげてしまうものばかりです。
遺伝性乳がん卵巣がん症候群((Hereditary Breast and Ovarian Cancer, HBOC))に関しては、日本乳癌学会の患者さんのための乳がん診療ガイドラインhttp://jbcsfpguideline.jp /category1/004.html , 日本HBOCコンソーシアムhttp://hboc.jp/ を見ていただけると詳しく載っているのでこちらを参考にしてほしいのですが、日本での問題点、日本ですべきことは何か?を考えてみたいと思います。
日本でも米国ほどの頻度ではありませんが、5~10%が遺伝性といわれています。実際に、家族歴をもつ日本の乳がん患者さんの約30%にBRCA1または BRCA2変異があることが報告されています(Int J Cancer. 2001 Jan 1;91(1):83-8. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11149425)ので、BRCA変異をもつ乳がん患者さんは、多めに見積もっ ても、乳がん全体の3%と程度ということになります。遺伝性乳がん卵巣がん家系では、BRCA遺伝子変異は親から子に1/2(50%)の確率で伝わりま す。問題は、このBRCA遺伝子検査を誰にどのようなタイミングで受けてもらうか?ということです。本人だけでよいのか?姉妹は?母親のBRCA保有がわ かった場合に、娘さんに受けさせるのがよいか?何歳になったら?などの問題が生じます。もし、婚前の20代の娘さんだった場合に、その検査を受け、陽性 だった場合、予防・検診をどうやってするのか?結婚の際に、相手に伝えるべきか、伝えないべきか?などさまざまな疑問・問題が生じます。これらの疑問は、 遺伝専門カウンセラーによる専門的なカウンセリングが必要なのです。
日本の一番の問題点は、この遺伝カウンセラーによる支援体制が整っていないことです。加えて、BRCA遺伝子検査、遺伝カウンセリングが、公的保険で承認 されていないことです。これらは、欧米先進諸国では、ほとんどの国で認められています。米国では、予防的乳房切除・その後の再建も、ほとんどの保険で認め ているといいます(医学界新聞続 アメリカ医療の光と影 第247回 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03031_06)。BRCA検査費用は、自費診 療だと約30万円かかります。日本家族性腫瘍学会、日本人類遺伝学会、日本遺伝カウンセリング学会がそれぞれ、別な基準で、遺伝カウンセラーを認定してい て、足並みがそろっていません。日本HBOCコンソーシアムで、BRCA遺伝子検査・遺伝カウンセリングを実施している施設を紹介していますが、まだまだ 不十分と思います。
BRCA変異をもつ遺伝性乳がん卵巣がん症候群は、卵巣がんにかかるリスクも上がりますが、卵巣がんのことはほとんど報道されないことも気になります。ア ンジーは、今後は、予防的卵巣摘除も行う予定と聞いていますが、卵巣摘除がよいのかどうか?ということもまた、死亡率まで低下させることができるのか?腹 膜がんは予防できない、卵巣欠落症候群とのリスクベネフィットバランスはどうなのか?など、議論があるところです。
BRCA変異をもつ乳がん、卵巣がんに対しては、現在、分子標的薬の一つである、PARP阻害剤の期待が高まっています。卵巣がんではすでに、臨床第二相 試験で良い結果が出ており(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22452356)、第三相試験に向けて準備がすす んでいます。日本では、悲しいことに、BRCA変異検査が保険承認されていないという理由で、この新薬の国際治験に参加できないのです。乳がんでの、 PARP阻害剤は、Iniparibという薬剤が、第三相試験では有用性が証明されませんでした(https://www.mixonline.jp /Article/tabid/55/artid/40303/Default.aspx)が、BRCA変異乳がんを対象とした、PARP阻害剤の開発は 続々となされています。問題なのは、BRCA遺伝子検査ができないことで、ますます、こうした新薬開発から日本が取り残されていくことです。
以上から、アンジーショックから学ぶこととして、我々は、予防的乳房切除が良いか悪いか?などという場当たり的な、興味本位のことを議論する必要ありませ ん。まず、遺伝カウンセラーによる支援体制の整備と、BRCA遺伝子検査、遺伝カウンセリングを、保険で認めてもらうことようにすることが大切と思いま す。
遺伝性乳がん卵巣がん症候群について理解が高まることは良いことと思われますが、化学的に正しい情報を知ってほしいし、まず、我々が何をすべきかを一緒に考えてほしいと思います。