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Vol.197 東日本大震災後の透析患者の搬送と看護

医療ガバナンス学会 (2013年8月12日 06:00)


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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム
社会連携研究部門 特任研究員
児玉 有子
2013年8月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

本稿では東日本大震災を機に、ご縁を頂いたいわきの看護師の活躍を紹介したいと思います。メディア報道を通じて記憶に残っている方も多いかと思いますが、 いわき市やその近郊では震災発生から間もない時期に断水が発生しました。その影響は常磐病院でも同じでした。断水により透析治療を受けていた患者は、透析 の継続が困難になりました。このため、東京、新潟、千葉へと避難し、それぞれの場所で透析治療を続けられることになりました。地震発生から4日目の3月 15日から、私はこの搬送に関わるロジを後方から支援をしていました。

この時に他の地域で透析を受けられた患者さんは常磐病院に戻り今も透析治療を継続されています。長距離の搬送で、患者の方々は、大変な思いをされました。 しかし、患者さんが戻ってこられている状況は、搬送時の病院の対応に対して理解、感謝されているからではないでしょうか。

この搬送を支えたのは、多くの医療関係者です。その中には看護師も含まれます。前回の透析から数日が経過している患者は、長距離の搬送途中で具合が悪くな ることも十分予想されました。そのため、搬送のバスには看護師と臨床工学技士、看護助手などが添乗し、患者さんをサポートすることになりました。

小林政子看護部長さんは「誰に行ってもらうか、とっても苦しい判断でした。そして、今でもそれでよかったのかは悩み、苦しみます」と、当時のことを語ってくれました。

一方、添乗し、搬送先でもケアを続けた佐藤裕子看護師長は「自分だけこの地を離れていいのかな。子どもにはもう会えなくなるかもしれないと覚悟を決めまし たよ。」といわきを出発するときの思いを教えてくれました。そして同僚の高崎順子看護師長とともに「ああすれば良かったのかもしれないと思うことも多くっ て、だから思い起こすことは辛いです。」と搬送時のことを振り返って様々な葛藤があることを語ってくださいました。

搬送時の大変さは私もその過程の多くを知るひとりとして想像はつきました。しかし、「『やっといわきに帰れる』って思った頃に起こった揺り戻し地震。この 時のほうががよっぽど絶望しました。もう無理かもって。3月だけじゃないんですよね。」という高崎看護師長の話を聞いた時、鳥肌が立ちました。4月に起 こった大変さを常磐病院の方から聞いたのは初めてでした。災害発生直後だけではない支援について深く考えさせられました。

また、大学受験を控えるお子さんのいる佐藤看護師長からは「母親が看護師だったために、置き去りにされ、さみしく不安な思いをさせたのに『看護師になりた い』って言われた時には、戸惑いました。でも私の姿をみても選んでくれることはとっても嬉しくもありました。合格できるかはこれからですけどね。」と笑い ながら教えて下さいました。

被災地に住み、被災地の医療を支えている看護師さん。当然のことながら、東日本大震災で被害のあった地域に勤務する医療者も被災者です。そして、震災発生 から今もなお、地震や津波、そして原子力発電所事故の恐怖と目の前の患者さんを看ることそして家族、母親、父親、介護が必要な親の居る子としての役割それ ぞれへの思い、役割との葛藤の中で仕事を続けています。

まだまだ書ききれないたくさんのエピソードがあります。残念ながら、地域を支えている看護師さんたちの頑張りは、まだまだ多くの方には伝わっていません。 若い看護師仲間達の助けも借りながら、看護師としての誇り、母の強さ、娘の役割を立派に果たしている看護師の姿を看護職そして多くの方に伝えていきたいと 考えています。これは、看護職でありながら研究を主な仕事としている稀有な存在の私がしなくてはならない仕事であり、私に出来る被災地支援と考えていま す。

 

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