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Vol.204 医療事故調査法制化に向けての準備(2) 院内調査とはどのようなものか

医療ガバナンス学会 (2013年8月21日 06:00)


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秋田労災病院内科
医療制度研究会理事長
中澤 堅次
2013年8月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


事故調検討部会では、第三者機関が行う事故調査に多くの時間が使われた。最終段階では、急転直下というくらい突然に、院内調査に中心が移された。以前から 院内調査を議題として取り上げるよう再三にわたり要望していたが、十分な議論の無いまま、院内調査に監視強化を入れ、第三者機関には、専門家が行う裁判機 能が残された。院内調査はすでに多くの病院で行われ、実態として存在しており、監視強化と裁判機能は実態に刺さった釘のようなものである。厚労省のガイド ラインが出るまえに、実態を論じ理解することは重要である。

■医療事故は必ず起きるという認識について
医療職には人の死に関わる役目があり、人体に侵襲的に関わることが法的に許されている。その中で予期せぬ事態は起き、予期せぬ死亡も存在する。また医療者 も人間である限り過ちを犯し、過ちをゼロにすることは出来ない。高齢化が進む日本では、病気と死の間はさらに狭くなり、技術の進歩とともに今までにないリ スクを産んでいる。人と環境とのミスマッチは今後も無くならず、医療事故は必ず起きるものだという認識は、少なくとも医療者であれば持つべきである。病気 による死亡と、医療が関わる死は、渾然一体となって判別することは難しい。過誤と死との因果関係は、よほど明らかなものを除けば大部分ははっきりしないグ レーゾーンに属する。どんな専門家が関わってもこの事実は変わらない。

■被害者は事故の詳細を知る権利がある
医療行為は、十分な情報を提供され、受療者が自分の意志で受けるかどうかを決め、医療者により医療行為は行われる。その過程で、予期せぬ事態が発生し、被 害が生じたことが医療事故である。事故のなかには、医療側の過ちによるものが含まれ、後から過ちとわかることも、また病気との関係で過ちと判定できないも のも含まれる。
いずれにしても事故には診療担当者でなければ知りえない事実があり、被害者は事故の詳細を知りたいと願い、それは診療の継続として当然の権利でもある。ま た、診療にミスがあり、被害との間に因果関係があれば、被害者はそれに応じた責任を要求する権利がある。院内調査は、事故の詳細を知る被害者の権利のため に行うものである。

■医療事故被害者が抱える問題
医療事故において最も気の毒なのは被害者である。事故は初めての経験であり、突然の肉親の死は受け入れがたい。医療に過ちがあればなおさらである。失われ た命を取り戻すことはできず、遺族はそれ以外の方法で死を受け入れなければならない。原因究明、謝罪、補償、再発防止は遺族の願いといわれるが、医療側に とっても、突然の死に折り合いをつけてもらうための手段として、原因を究明し説明することは重要である。誤りがあれば謝罪と補償を行い、再発防止を図るこ とで信頼回復を図らなければならない。院内調査は被害者に、事故という現実に折り合いをつけてもらうために、医療側が責任を持って自主的に行うものであ る。

■院内調査における事実の扱いについて
院内調査で最も重視されるのは、詳細な事実の把握であり、すべての問題解決の基本となる。同時に行うべきことは、過ちがあったかどうか、誤りがあれば損害 との因果関係を明らかにし、医学常識との間に著しい乖離がないか、当然行うべき危機回避を怠っていないか、薬の取違いや用量の間違いなどが、調査のテーマ になる。結果の説明に疑問を呈されることもあるが、疑問を解消するために何度でも調査を行うことが必要となる。
事実の把握は重要だが、これだけで事故の全貌が見えて、原因を断定できるわけではない。事後の調査には推測が付きまとい、解剖やAiに期待が寄せられて も、事故の全貌を判断する手段にはなりえない。医学常識も時代の影響を強く受け、数年の間で常識が覆ることも稀ではない。絶対的な真実は究明できるわけは なく、推測は必ずついて回る。第三者機関の調査には限界があり、無理に結論を出すと過ちを犯す。院内調査も限界があるが、事実を深堀することにより、被害 者との間で認識の共有を得ることはできる。判明した事実をもって、現時点で折り合う線を求めることが現実的である。

■正確な現状把握に必要なこと
正確な現状把握は重要で、診療担当者の発言が特に重視される。担当者がこだわりなく話す環境を整えるためには、病院が一切の責任を持ち、担当者に責任を問 わないことを表明し、普段から明示しておくことが重要である。日本では業務上過失など専門職のミスに対する処罰が厳しく、国民感情も同様である。法律家に この話をすると、必ず個人の責任は免れないという。いじめの問題と似ているが、仲間が行う責任追及には歯止めがなく、どこかで逃げ場が必要で、医療機関が その役割を果たさなければ専門職は育たないし、安全な医療も実現しない。事故では担当者も、結果の重さに大きなダメージを受ける。犯罪者と同じような調査 では決して真実は得られない。

■院内調査では良い悪いを言わない。
得られた事実はさらに深堀し、なぜなぜを繰り返し、根本の原因を探ってゆく。良い悪いを言わない調査では、本音の議論が可能になり、当事者が気づかなかっ た事実を引き出すことも、想定した要因が180度変わることある。真実に迫った分析は、被害者の理解を得る大きな力となるが、良い悪いを言うと真因にたど り着かないうちに議論は止まる。
個人の責任は問わないという原則は、改善手法の常識だが、日本ではまだ犯人探しの調査が一般的である。一般の経営者が参入している介護施設の院内調査など も、一般的な常識で行われると、職員にとって危険な調査となる可能性は大きい。これらの施設で起きる事故は、転落事故など単純なものが多いだけに、現場の 責任にしやすく、専門職の人権に障ることが容易に想像できる。中央制御の監視システムは犯人探しになりやすい。病人権利に視点を置くシステムを作ること で、職種にこだわらない受療者のための安全が初めて見えてくる。

■現場重視は必須
院内調査で把握された事実は、担当者とともに現場に行って実際に確かめるべきである。事故は人手を介する現場で起きており、人が行う作業には環境が占める 割合が大きい。現場に行かない書類だけの審査では、環境より人が基本となり、常識が判断の基準になる。異状は現場の動きの中での異状であり、現場に行かな ければ異状の本質は分からない。トヨタの改善でいう現地現物は、第三者的な判断の誤りを避けることが目的である。

■ガイドライン重視の問題点
個別の病状に合わせて行われる医療では、交通ルールのように、良し悪しを判断する決め事がない。同種の問題を取り上げてガイドラインを作るが、多くの専門 家が一致したという理由で、判断の基準にすることは、科学的な思考への挑戦である。標準化は事象が多様で評価が一定しない場合に、その時点で最も良いと考 えられる線を標準と定め、標準との隔たりを指標に数値化して個々の事象を検証し、その結果に基づき新しい標準を作ることが行われる。ガイドラインは変更す るために存在するものである。ガイドラインが法律として扱われると、固定化が起こり、ガイドラインへの忠誠を持って正義が定義される。科学的根拠が無く なっても法的根拠だけは朽ちずに存在し、正しい判断との乖離が生じる。

■調査の結果で何がわかるか?
被害者や法律関係者は、調査により、隠された悪意が暴かれることを求める。しかし、医療関係者には殺人の意図はないのだから、誤解や処罰を恐れて自分の やったことを隠す必要はない。複雑な現場には必ず落とし穴があり、消えかかった命を背負って歩くものにとって、わずかな計算違いが致命傷になる。計算違い はそのまま事実として追及すると、おそらく病気や医療そのものに突き当たると思う。医療者の誤りと思われていたものが、把握するのが困難だった病気の実態 だったりすることは良く経験されることである。詳細な調査の結果、病気の一面が明らかになることは、被害者にとっても、悲しい出来事に折り合いをつける一 つの鍵になり、予期できなかった事実は、必ず進歩に結びつくものであるに違いない。

■説明について
院内調査の結果は被害を受けた本人や家族に示される。したがって家族や本人に理解されなければ意味がない。病人権利には、言葉に関する考え方が書かれてい る。日本は単一言語だから問題はないが、欧米では言葉が多様なので通訳を準備することも意味している。もちろん無料である。専門用語もわかりにくいので、 できるだけ使わないことが求められる。日本のカルテはどこの言葉かわからない用語で書かれているが、受療者に視点を置けばおかしいと感じる。上から見る目 線では、このようなことに気付かない。病人権利を擁護するという考え方は、客集めの手段ではなく、弱い者、苦悩するものを救済するというキリスト教の教義 と関係があり、それが国の法律の基準でもあることを認識しないといけない。

■第三者問題に対する対処
取りまとめ案では院内調査の監視と、医療の専門家が判断を行う仕組みが残されている。この足かせに対応するには、事故被害者はもちろん、だれもが納得する 院内調査を行い、どこに出しても恥ずかしくない報告書を作ることである。それでも第三者機関の調査が行われ、院内調査と見解が異なるときには、法的な手続 きを持って戦うくらいの強い信念で臨むべきである。法的根拠もない第三者機関に頼んで、現在の医学常識を示してもらい、被害者の納得を得ようとする方法で は信頼は得られない。
因果間関係がはっきりしないケースで、医療側が意識的に責任を重く見て、結論を出すことはよくあることだが、誤りを認めた院内調査の結果を、被害者が第三 者機関に諮り、なぞっただけのお墨付きを得て、訴訟を起こした事例がすでに起きている。第二の裁判所のような役割をする第三者の存在意義は、今後も議論の 対象にしなくてはならない。

■まとめ
院内調査は、病人権利のために行われ、予想外の損害に対する被害者の理解を得るために行われる。問題の多くは特定が難しいグレーゾーンで起き、客観的に真 実を示すことは不可能である。医療側が自主的に調査を進め、問題を明らかにして、結果に基づき、謝罪や補償なども含めて、被害者の理解を得ることが唯一の 問題解決である。
事故の責任は施設が持ち、担当者に責任を問わないことが重要である。調査にあたり、良い悪いを言わず、なぜなぜを繰り返し本質に迫り、過ちは事象として客 観的に扱うべきである。説明は解りやすく、視点を現場に置き、解りやすい言葉で行わなければならない。取りまとめ案の矛盾はこの作業を妨げるが、それで も、精緻な調査によって被害者の理解を得る原則は曲げるべきではない。
調査の精緻化の過程で、施設の能力を超えた解決を求められることがある。院外の医療専門家の助けも必要となり、被害者の困難を支援することも必要となる。支援を定着させるためには支援機関が必要である。これらのサポートに関しては次回触れたい。

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