慢性骨髄性白血病は、造血幹細胞移植をしない限り治らない病気と考えられて
いた。そこに特効薬『グリベック』が登場して、薬を飲んでいる限り健常人と変
わらない暮らしを送れるようになった。大変な福音である一方、その費用が高価
で、かつ一生飲み続けなければならないために、患者にとっては終わりの見えな
い負担がずっと続くという新たな問題も出てきた。この問題は万国共通かと思い
きや、そうでもないようだ。
お隣の韓国では、日本では1錠3100円強するものが1800円程度で提供され、さ
らに14%引き下げられることが今月に入ってから決まった。また患者の自己負担
は実質ゼロだともいう。この差は、単に経済水準を反映しているだけでなく、薬
価決定の際に患者たちが激しく活動したことも影響しているらしい。韓国の活動
の中心人物が来日し12日、日本の患者との合同講演会で、どのように活動したの
かを説明した。
来日したのは、運動をリードした姜柱成・患友会会長と運動を広げるのを手伝っ
た崔鐘燮・ル山友会会長の2人。「患者自らの思いを実現させるために『自ら活
動し、工夫していく』ための患者活動を応援する」ために結成されたという
PtSupportなる団体が招き、『-患者自らの活動と工夫-「抗がん剤無料化~韓
国患者に学ぶ~」』という講演会(実行委員会代表は田中祐次・東大医科研特任
助教)を開いたもの。
日本側からも、大谷貴子・全国骨髄バンク推進連絡協議会会長、田村英二・い
ずみの会代表、野村英昭・CMLの会代表の3名が登壇した。会の時系列に従っ
て、主な発言を紹介していく。
[崔鐘燮・ル山友会 会長]
2000年に慢性骨髄性白血病を発症し、1カ月しか生きられないと言われたが、
幸いに素晴らしい医師と出会って10年近く生きている。今54歳だけれど、主治医
からはあと35年生きられると言われている。
治療効果と体力増進のために色々な運動を試した。結論として山登りが一番合っ
ている。そこで05年5月に慢性骨髄性白血病の患者と医療者とでル山友会を組織
した。毎月50~60人で集まって、お互いに難しいところを助け合いながら、持ち
寄った食べ物を食べながら、それぞれの知っている情報交換をしながら山に登っ
ている。医療者からは講義なんかもしてもらっている。この活動を通して、医療
者と患者とが上下関係ではなく横のつながりとして発展してきた。もちろん体力
も増進して治療効果も期待できる。年に1回1泊2日で全国に散らばっている患
者を集めたキャンプもしている。その際には医学セミナーもしてもらっている。
白血病の治療は医療者と薬がメインと考えるのが一般的だと思うが、私は自分
から動きだす力が治療の50%を占めると思っている。自分を粗末にしてはならな
い。自ら努めて、よい考えを持ち、質のよい食べ物を食べ、適度な運動をしていっ
てほしい。そのためにも山登りを推薦したい。
そして私はもっと大きな効果を得るためにヒマラヤ登頂を試みた。当然に多く
の人が反対した。白血病ではなく高山病で死んでしまうのでないかという人もい
た。しかし、どうせ死ぬなら何を怖がる必要があるか。ということで06年1月に、
医師からOKが出ていて本人も強く希望するという人たちと一緒にヒマラヤへ行
くことにした。先立って長くも短くもない6カ月間の訓練をおこなった。個人個
人も日々の運動を継続した。過程で辛かったこともあるが、しかし05年12月にヒ
マラヤへ向かった。
目的地は標高3700メートルのキャンプ。健康な人なら5日から7日で到達する
コースを我々は10日から12日かけて挑戦することにした。もちろん困難はあった。
高山病は2900メートル辺りから現れた。初めての経験だったが、本当に息苦しく
て頭が痛くてめまいがする。一歩一歩が本当に苦しく、互いに助け合い背中を押
しあいながら、食べるもの着るもの居るもの全て持っていかなければならなかっ
た。もちろんポーターさんもいたけれど、1人1人35リットルのリュックサック
を背負い辛かった。しかし、そこでやめることはできなかった。なぜなら私たち
を見守る患者や家族がいた。希望は私たち自身でつくっていこうというスローガ
ンをつくって臨んでいた。
山に入ってから12日目に目的地へ着いた。何も考えが浮かばず頭が白くなって、
涙だけが流れた。
降りる時には助けてくれる友達がたくさんいて、いろいろな方法で降りてきた。
ヘリで降りてきた人もいた。12日かけて昇ったけれど20分で降りてきた。
降りてみたら、また挑戦したくなって、二次登山を企画した。07年6月、今度
は4800メートルのメルタルペッスル(?)へ挑戦し16日目で登頂を果たした。
このように患者という立場ではあるが、できないことはないと確信している。
皆さんも体力を整え高い山へ行ったらいかがでしょう。私と一緒にヒマラヤへ行
きませんか。自分自身も希望は自分自身でつくっていくことです。
[姜柱成・患友会 会長]
99年に慢性骨髄性白血病を発症し、その年の7月に妹から骨髄移植を受けた。
グリベックが出ると分かっていたら移植は受けなかったかもしれない。移植の1
カ月後に右目に帯状疱疹ができて、よく見えなくなった。
さて、今日お招きいただいたのはグリベックの運動に関してお話をするためだ
と思う。2年半かかった。はじめは何も分からなかった。患者が命をかけるには、
薬が安くなければいけないし、保険も効かないといけない。制度ができていると
思っていたし、運動すればすぐに終わると思っていた。しかし実際には非常に長
くかかった。
当初グリベックの薬価は1錠2万5千ウォン(当時のレートで2300円強)の提
示だった。1日4錠飲むから10万ウォン。保険も通ってない。このままでは薬が
あっても経済的理由で死ぬと言われた。だから、我々の闘いは生きるために必要
だった。私自身はグリベックを飲んでいないけれど、しかし放っておけないと思っ
て参加した。韓国のノバルティスに電話をして姜ってどんな奴かと尋ねたら極悪
人だと答えるだろう。
運動は、まず患者たちが入院服を着てノバルティスの前でデモをした。何回デ
モをしたか記憶にないぐらいやった。ついには、ノバルティスを占拠して籠城も
した。その間、社員は仕事が手につかない状態で結局警察に排除された。国家人
権委員会にもかかった。その期間は20日間デモを行った。要求したのは3項目。
1) 薬価を下げろ 2) 全患者に保険をきかせろ 3) 患者の自己負担金を下げろ、
だ。 途中、政府が少し低めの薬価をあっせんしようとしたがノバルティス側が
拒絶した。製薬会社とはどういう会社かよく分かった。結局G7平均の薬価で決
着したために2000ウォンしか下げられなかった。患者負担は3割が2割になり、
うち1割はノバルティスが負担することになったので、患者の実質負担は1割だ
(注:その2年後、患者自己負担率が1割に引き下げられたため現在は実質無料
になっている)。最近つい2日前に、改めて薬価が14%下がることになった。
さて日本のグリベックの価格は高い。韓国より高いのはもちろん台湾と比べる
と2倍ぐらいになっている。日本には100ミリグラムしかないけれど、台湾では
400ミリグラム錠が出ているのも影響している。(中略、しばらく意味がよく分
からず)皆さんは薬価を下げたいと思っているか。自己負担金を減らしたいと思っ
ているか。皆さんが努力しない限り、製薬会社は薬価を引き下げないし、政府は
自己負担を減らさない。皆さんは製薬会社に利益を与える消費者として代わりに
何を得ているか。何も得てないとしたら、皆さんはどうすればよいか知らないか
ら運動できないのかもしれない。
(またよく意味が分からず)我々は、医療の主人公は患者であると社会に訴え
かけた。患者個々にはお金はない権力もない、おまけに病気だ。そんな私たちの
力はどこにあるか。力は組織の中にある。組織になると力が出る。組織をつくら
ないといけない。最初、薬と何の関係もない私が運動を始めた時はベッドサイド
に電話を引いて、患者たちを説得して組織をつくった。そのうちに、このままで
はいけないと気づき事務所を設けた。それは韓国で唯一の病院とも医師とも製薬
会社とも関係のない患者だけの会だ。
患者は、本音で言えば、自分の病気だけが大事、自分の薬や病院だけが大事。
他の患者たちの薬を重要とは思わない。だから本当は一番力を持っているはずな
のに力を持てない。本当に力を得るには、自分たちの病気を超えて団結しないと
いけない。健康になる権利を認識して、病気を超えて互いに協力し合わないとで
きない。
日本の状況が韓国と違うのは知っている。2年前、原爆記念日に広島を訪れた。
2000人が平和祈念公園から道へ出てデモをした。しかし信号を守るデモだった。
私はあのようなデモを初めて見た。韓国のデモは信号なんか関係ない。動き出し
たら止まらない。そういう国民性の違いはある。文化、考えかた、制度それぞれ
に違う。しかし病気になったという立場は同じ。生きるために周りを変えなけれ
なならないのは同じ。健康を権利と認識し、みんなで一緒にやっていくのがとて
も重要なこと。全ての皆さんが力を合わせて活動することを祈っている。
〔大谷〕
話を聴いてフツフツと沸いてくるものがある。私が骨髄バンクを作ろうとした
時も無謀だと言われた。国が動くわけない、健康な人に全身麻酔かけて採取する
の、と。それでも私は助かりたかったから必死だった。本音を言えば、他人がど
うなってもいい、自分が助かるためだったから必死だった。当時グリベックがあっ
たら自分も移植してないだろうしバンクを作ろうともしてないと思う。
私自身、グリベックの問題に首を突っ込んでいるのは、同じ病気を持つ人間と
して放っておけないという思いがあったからなんだけど、袋叩きに遭うのを覚悟
で言わせてもらうならば、現在の白血病の患者は何をしているんだろうという思
いもある。
姜さんの話を聴くまで、民間人が薬価を下げられるなんて思いつきもしなかっ
た。反省している。私も一生懸命やっていたつもりだったけど、やはりグリベッ
クは他人事だったから考えつかなかったのかもしれない。いずれにしても、その
手法は日本人にとって目からウロコだ。
制度の中で多少薬価が安くなったところで総個人負担は変わらないからと思っ
ていたけれど、もしかしたら個人負担が変わるぐらいまで安くできるのかもしれ
ないと闘争心が沸いてきた。皆さんも、安くなった方がいいでしょう。どうした
らよいと今の段階で結論は出ないけれど、やれることはやっていかないといかん
と自己反省している。
骨髄バンクをつくった時のエネルギーと同じものがどこまであるのか、もう20
年も経っているから分からないけど、しかしできる限りお手伝いしていきたい。
ノウハウもお伝えできるものはしていきたい。先日、移植をして15年目に再発し
た人がいた。ショックを受けていたから、でも今はグリベックっていういいもの
があるんだよと教えてあげた。その意味では、自分もいつ再発するか分からない
んだから他人事ではない。今やるべきことはいっぱいある。
私が移植した時、主治医は家族に再発する可能性が高いと言った。母親は、そ
れなら無理させたくないからバンクの運動をやめるように言ってほしいと頼んだ
らしい。でも、主治医は自分がバンクをつくりたかったというのもあったんだろ
うけれど、再発すると思っているからこそ好きなことをさせてあげたらどうだろ
うと言ってくれた。お陰で、どんなに辛くてもスケジュールがいっぱいで頑張ら
なくちゃいけなくて、そして今までやってこれた。
先ほどの崔さんの話ではないんだけど、いつ何で死ぬか分からない。だったら
死ぬまでにやるべきことをやって豊かに生きたい。病気になった時に自分たちの
身を守れるようにやりたい。お手伝いしていきたい。
〔野村〕
私はグリベックではなくインターフェロンでやっているけれど、かかる治療費
の問題は同じで月々44,400円だ。厚生労働省の人と話をすると、ちゃんとそこま
で安くなるようにセーフティネットがあるではないかという言い方をする。たし
かに、がんの人なんかと比べると高くない。たしかにそれが数ヵ月のことで済む
ならいい。しかし現実は死ぬまでずっとだ。
たとえば幼稚園のお子さんがいるお母さん。子供が小さい時はいいけれど、高
校や大学に行く時になったら大変だ。そういった将来の不安に対する心理的負担
はものすごい。塾に行かせられないし、大学へも行かせられないということにな
る。そこで署名活動を始めた
(http://lohasmedical.jp/news/2009/06/09103331.php )。
国は、特定疾病の対象を他にはもう増やせないと言う。実は症状が安定してい
れば3ヵ月処方にしてもらって3ヵ月で44,400円という方法もある。それなら月
々に直すと1万5千円弱。ただし、医師がそうしてくれた場合に限られるし、症
状が動いている場合にはやはり毎月行かないといけない。だから何とか特定疾病
にしてもらいたいということで動き出した。
日本の患者会にも色々ある。フェニックスクラブは本音を交流しましょうとい
う集まり。いつ死ぬか分からないから代表を決めず会則も決めず会費も払える人
だけ2000円払いましょうという風にやってきた。今度のように運動をしようと思
うと困る。運動するようなシステムがない。だから、運動のためだけに特化して
CMLの会をつくった。
厚労省へ行くと、日本の医療費全体が大変だからと言う。しかし我々から見れ
ば削るべき所は他にたくさんある。薬価を下げればいいのだと思う。
〔田村〕
一昨年12月にできたばかりの会だ。患者の気持ちを正直に話し合って、イキイ
キと生きていこうという趣旨。白血病の患者会は他にもあるのだが、治療法が全
然違う。CMLはグリベックのお陰でQOLは大変向上したが、長期に飲まなけ
ればならないので様々に悩みも出てくる。
日本の医療だと、先生と話をするのが分のオーダー。訊きたいことも聴けない。
そこを患者同士で埋めていく。経済的には3ヵ月処方をうたってきた。地域差が
あるし、病院によっても医師によっても違うので、まずは3ヵ月処方ということ
ができるんだと患者の側で認識して主張しようと活動してきた。それが発展して
野村さんの署名になった。
我々の夢は、治癒につながる薬の開発。そのためには患者、医師、製薬会社が
コラボレーションしなければならないと思っている。協調してやっていこうとい
うのがスタンスだ。日本には8000人のCML患者がいるといわれる。よりよい薬
や方法をめざして活動していきたい。
ここからパネルディスカッション
〔田中〕
大谷さんは骨髄フィルター欠品の時にも署名活動をされていた。あの解決には、
署名に大きな意味があったと思うのだが、先ほど反省を口にされたのはなぜ。
〔大谷〕
署名が大きいとは思う。ただグリベックに関して気にはなってたけど、どうし
てよいか分からなかったというのが正直なところ。治療法があるからいいやん、
お金で解決できるやんというのがあった。骨髄フィルターはなくなっちゃったら
治療できなくなって命に直結する話だった。
〔田中〕
いずみの会でも署名活動をされていたと思うのだが、それはどうなったのか。
〔田村〕
3ヵ月処方できないかという声で署名を集め始めたのだが、よくよく調べてみ
ると薬には3段階の刻みがあって最長60日という薬もあるけれど、グリベックは
3ヵ月処方できる薬だった。なので2000筆ぐらい集めたけれど、既にできている
患者が多かったので、3ヵ月できることを公にしようということでwebを作った
りした。制度の壁は分厚いと思っていて、署名を厚労省に持っていくとやぶ蛇に
なりかねないと思った。
〔野村〕
実は、田村さんたちが署名をしているので、なぜそんなことをということで3
ヵ月処方できることに気づいて助かった。知らなかった人も多い。私もインター
フェロン歴17年になるが目からウロコだった。我々の署名の方は、これを通じて
こんなに高いのかとか、とか知ってもらえるといいと思っている。実際、高額療
養費制度なんてあるのという患者さんまでいた。
〔田中〕
野村さんたちの署名は何かきっかけはあったのか。
〔野村〕
フェニックスクラブは大谷貴子ファンクラブのようなふわーっとした闘わない
患者会だった。しかし昨今の経済情勢で薬代を払えないという声が聞こえだした。
東北の方でパスタ屋さんをやっている人で、仕入れの代金のことを考えて薬を休
んだら3ヵ月で急性転化してしまったという人もいる。今は元気を取り戻してい
るけれど、そういう人が出てきたので、明るく楽しくま前向きにというフェニッ
クスクラブは残して、それと別にやろうということになった。だから、きっかけ
はこの制度と不況だ。正直、患者会にアクセスしてくる人は恵まれている。僕ら
が捕捉出来ない患者が大勢いる。厚労省の統計でも所得300万円以下の人が相当
数いるので、なかなかそういう人に届かないから署名をしているというのもある。
〔田中〕
薬価に対して患者が働きかけるというのはグリベックだけの特別なことなのか、
それとも韓国では普通のことなのか。
〔姜〕
問題があると考えられる時は、薬価だけでなく保険や流通の条件まで含めて要
求する。2年前に出たスプライセルの時も、肺がんのイレッサの時も、薬価を下
げさせた。
その際は、薬の効果に関して、FDAの資料だけでなく欧州のデータも取り寄
せて効能効果を私たちが変えさせて、その対価として薬価を下げさせた。我々に
とっては勝利だが、製薬会社にとっては恥ずかしい話だろう。薬価、効能、流通
すべてを患者が監視して、問題提起して、制度がなければつくり、法律をつくっ
てで活動している。
〔大谷〕
薬価を国民が下げさせているということに本当にビックリしている。全部の薬
でそれができるならいいのだけれど、しかしあんまりそればかりだと製薬会社か
ら薬の供給を放棄されて殺されるんでないかとネガティブな印象も持ってしまう。
〔田中〕
そこら辺は問題ないんだろうか。
〔姜〕
問題があるかないかではなくて、むしろ他の話をしたい。本当に難しいのは内
部で外の問題ではない。3年近い闘いの中で最も難しかったのは韓国ノバルティ
スの社長と面会した時だった。社長は、ノバルティスの主張通りの薬価を認めた
ら、患者が自己負担する3割分はノバルティスが払うと言った。タダで手に入れ
ることができるようになるわけで、妥協しようかとも思った。患者としてどうす
るのが正しいのか一晩中考え通して、考えをホームページに載せた。
私たちが今までどうして闘ってきたのかと問いかけた。薬価を下げるためだっ
たのか、タダで服用するためか。我々がタダで手に入れたとして、その代わりに
負担するのは誰か。製薬会社か。いや違う。残りの7割を高いまま税金で負担さ
せられる国民ではないか。その代わりに我々が負担無料になるようなことは絶対
にしてはならない、と。我々は薬価を下げて国民の負担も下げたいと思って活動
してきた。この判断は今でも正しかったと思っている。ノバルティスの社長は、
あなたがたは本当に患者の団体なのかと驚いていた。無料にすると言っているの
に、どうして拒否するのか、と。
難しい点は利己主義だ。自分の家族、自分の体だけを考えたなら、皆さんの活
動は成功しないだろう。たとえ成功したかに見えても、それは一部の部分的なも
のに過ぎないだろう。
〔田中〕
崔さんも一緒に同じような活動をしたのか。
〔崔〕
同じように参加した。これは他人事ではなくて自分のことなので、心を合わせ
力を合わせればもっと大きな力になると思った。もっと多くの人たちに参加して
もらうために、通院している病院の外来に来る人たち患者たちに参加するよう呼
びかけた。皆さんが力を合わせて運動すれば大きな力になる。力を合わせないと
政府は動かない。政府の思い通りにされてしまう。
このような考えをもって患者会で行動した。しかし普段は主に楽しいイベント
をしたい会なので今後も楽しくやっていきたいと思っている。そして時に姜先生
に申し訳ないなと思うこともある。今後も患者さんに力を合わせてほしいような
ことが出てきたならば呼びかけ続けていきたい。
〔大谷〕
グリベックの問題に関して、私にできることがあるならということでやってい
たけれど、しかしこれはやはり当事者がもっと何とかすべき問題だと痛感した。
誰にも相談せずに思いつきで言っているけれど、当事者のリストをつくりたい。
8000人いるはず。その声をどうやって集約するか。ネットで発信しているけれど、
まだ全然来ない。
日本の場合、代議士のところへ出かけて行って自分がそうなんだ、と言うと、
票になると思うのかもしれないけれど意外と動く。この会終わったらサーっと帰
るのではなく、自分たちでも何かやろうと思うのなら、皆さんの個人情報をここ
でPtSupportに落としていってもらえないか。
〔野村〕
日本の患者会は、目標も製薬会社との関係もみな違う。今日は韓国の運動を教
えてもらったけれど、これを日本でどうするかは我々で考えるべきだろう。
〔田中〕
土屋先生(了介・国立がんセンター中央病院院長)、ひとこといただければ。
〔土屋〕
私は外科医だし、自分も大腸がんはしたことあるけれど手術だけで、抗がん剤
を飲み続けるようなことにはなってないので今日は後ろで黙って聴いていようと
思ったのだけれど、ご指名なので感想を述べる。
本日の会合はタイトルからして素晴らしい。患者さんたちが自立していこうと
いう表明なんだと思う。ひるがえって医師を考えてみると、個々には自立した人
間も出てきているが医師全体としては自立していない。ただ厚生労働省に振り回
されているだけなのが現実で恥ずかしく思う。
大谷貴子さんが自分のために必死だったと言った。そのようなエゴ丸出しが大
事なんだろう。エゴとエゴとがぶつかりあうところからしか何も始まらない。こ
れまで医師は格好いいことだけ言って、したり顔で済ませて、厚労省に反対ばか
り言っている、そんな集団だった。医療崩壊の一番の原因は日本の医者がしっか
りしてこなかったことだ。医師というものが総体として信用されてなかったから
だ。
グリベックの問題にしても、そもそも医者は保険制度のことをほとんど知らな
い。自分たちが処方する薬がいくらか、手術代がいくらか知らない。学校でも習
わない。もちろんそれを考えながらやられたら困るというのもあるんだけれど、
知った上で超越することが必要なのだが、自分の手術代がいくらか知らない外科
医が多いというのはマズい。
昨日も財務省の会合で、長いこと中医協の委員だった大学教授と隣り合わせた
のだけれど、彼が「皆保険制度まで患者が治るまできちんと面倒みるようにしな
ければいけない」と言う。こんな人が長く中医協の委員をやっていたんじゃ、保
険制度が間違うわけだと思った。治ると思っている。そうではない。今、入院し
てくる患者さんの半分ぐらいしか治らない。亡くなって退院する方もいるが、そ
れ以上に退院しても継続して治療していかなければいけない人が非常に多い。そ
れなのに治る前提で保険制度をつくっていたらうまくいかないに決まっている。
ひとつだけ今日の話で気になったのは、薬価を下げるのと患者負担を下げるの
とは分けて考えないといけない。薬価というのは、適正な対価である必要がある。
そこを薬価にだけフォーカスすると厚労省の怠け官僚の思うツボだろう。製薬会
社と患者をケンカさせる構図で、これにはマスコミも飛びつく。しかし製薬会社
も会社を維持できなければ次の薬をつくってくれなくなる。誰がどう負担するの
かとは分けないといけないだろう。
闘い方が同じでなければいけないというものでもなかろう。韓国では医師もゼ
ネストをする。日本では、これだけ団結心のない医師集団なので無理だ。いいと
こ取りできればいいのでないか。
(この記事は、ロハス・メディカルweb http://lohasmedical.jp に6月13日付
で掲載されたものを一部改編したものです。)