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Vol.250 国公立大入試改革について考える(1)~現行制度下での問題点~

医療ガバナンス学会 (2013年10月17日 06:00)


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代々木ゼミナール講師
藤井 健志
2013年10月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


政府の教育再生会議(座長、鎌田薫早大総長)が国公立大入試の二次試験からいわゆる「ペーパーテスト」型の学力テストを原則廃止し、実行した大学に補助金 を出すというかたちで人物評価中心の選抜試験に切り替えるよう促す方向で検討に入ることがわかった。センター試験を衣替えした「新テスト」、及び高校在学 中に基礎学力をはかる到達度試験を創設することとあわせて、「知識偏重」とされる現在の大学入試を改革するのが狙いだそうだ。

以上の動きについて、大学受験予備校の現場で受験生の教科指導に関わる人間として何回かに分けて考察してみようと思う。

まず最初は「大学入試センター試験」を中心とした現行大学入試の問題点から考えてみよう。

東京大学が論述型のいわゆる「二次試験」を受ける学生数を絞り込むために単独実施していた基礎学力テストを全国公立大学が利用するよう衣替えし、1979 年に第一回が行われた「大学共通第一次学力試験」(共通一次試験)は、1990年からはさらに「大学入試センター試験」(センター試験)に衣替えされ、私 大も巻き込むかたちで現在まで続いている。
その間、いわゆる大学レベルの「輪切り」の問題が発生したのはもちろん、カリキュラム、受験科目、受験機会に関する度重なる「改良」によって、受験指導の 現場、そしてなにより受験生たちが振り回されることとなった(私自身1988年入試。そのあまりの「超」弱肉強食型が問題視されて87~89年のたった三 年間で廃止された「A・B両日程方式」での受験者である)のであるが、ここではもう少し受験生たちの学習、学力養成に直結した問題点に着目してみよう。

1)負担の重さからくる問題
元来、東大入試の基礎学力テストであるセンター試験は東大を受験する学力レベルの受験生にはまだマッチしている部分もあると思われるが、大半の国公立大学 受験者には荷が重く、実際地方のいわゆる「新制大学」のレベルでは、二次試験の占めるウェイトを下げざるをえないため、各大学独自の理念に基づいた選抜が されにくくなっている。

2)基礎学力テストの域を超えてしまっているという問題
1)に説明した傾向に加え、参加した私大の中にはセンター試験の点数のみで合否を決める「センター型入試」を導入するところもあり、センター試験は「あま りにも基礎的な学力を欠いている受験生に二次試験を受けさせない」ためのテストではなく、そのもの自体が最終的な合否を決めるテストとしての性格を強め た。そうなれば当然「奇問」「難問」といえる出題が見られるようになる。たとえば、私の専門とする現代文などでは「正しいものを選べ」ではなく「最も適当 なものを選べ」とすることにより、「正解の選択肢を選びにくく作る」というようなオペレーションが強く加えられた結果、本文は読めているのに選択肢を選ぶ 段階で間違えるといったケースも出てきやすくなる。

3)悪しき「平等主義」からくる問題
実は2010年度のセンター試験を前に大学入試センター( www.dnc.ac.jp/ )が「過去問使います」宣言をしている。共通一次試験以来30年間「一部の受験生だけが見たことがある問題を出しては不平等だ」という「配慮」を持って出 題し続けた結果、科目によっては徐々に出題できる分野がなくなり、仮に重なる分野を出す場合には極力問い方をオリジナルなものにせねば、という更なる「配 慮」の結果、これまた「奇問」「難問」といえるものが目立ち始め、「もうこれ以上は無理だ!」となったのである。この一件からもわかるようにセンター試験 は徐々に基礎学力試験たりえなくなってきた。残念ながら2010年以降も完全には従来の基本的な心性から抜け出せてはいない。たとえば「古典」のテスト。 普遍性を持つがゆえに古くから読み継がれ、日本人なら誰でも知っておくべき作品について問うことこそが「古典」の基礎学力テストでよいのではなかろうか。 教科書レベルの古典をしっかり読み込んだ受験生が「あ、これは読んだことがある」というのはまったくおかしくない。少なくとも大学で古典文学を教える先生 が、専門外の私に向かって「今年のあの文章はどういう文章なの?」と質問してくるようなものである必要はないはずだ。初見の「古い文章」を読みこなす力を 問うのは、それこそ各大学、学部に応じて二次試験で試せばよいのである。

以上のような状況の中で、一部の「上位校」を除いて、各大学がその指導・研究の理念、現場の実際に合わせてそれぞれに選抜を行うことができなくなっている ため、「大学に入る準備」と「大学で学ぶ準備」の乖離が進むこととなる。私は教育再生実行会議の言う「知識偏重」傾向の根本原因のひとつはそこにあると考 えている。もしこの分析が多少なりとも正しいとするならば、政府主導で補助金を餌にした一律の入試改革というのはかえってマイナスに働く部分があると言え ないだろうか。百歩譲って「補助金を使って改革を促さないと変わらない」という言い分までは認めたとしても、年に何回か実施可能な画一的「新テスト」のみ を学力テストとして、「二次試験では原則学力テスト廃止」という内容の押し付けは、どう考えてもおかしい。

議論が少し国公立大入試に偏ったようなので、最後に私大入試の実際を物語るエピソードをふたつ紹介して終わりにしたい。
少子化の影響で浪人生が減り、厳しい状況の大学受験予備校の中で毎年増えている仕事がある。顧客は大学、業務内容は「入試説明会、あるいはオープンキャン パスの席でその大学の入試傾向と対策について解説する」である。引き受けてきちんと報酬もいただいている人間が言うのも甚だ失礼という話なのだが、私はそ の際に大学側の担当者と話す機会があると、予備校側営業担当者に嫌な顔をされながらも必ず言うようにしている。「来年からは私を呼ばず、入試担当の教授が ご自分で受験生の前に立って『うちはこういう人材を求めてこういう問題を出す。こういう勉強をしてきて下さい。』と言ってみてはどうでしょうか」と。
最後は、都内進学校の保護者に向けての説明会での高校教員によるお話しから。「難関国公立大受験に失敗した場合、私大でありながら思考力、小論文を通じて 論述力を試す慶応に合格していた場合、そちらへ進学するのはひとつの選択肢だと考えています。一方、いまだに知識偏重、選択式で間違い探しをさせている早 稲田は…どうでしょうか。安易に現役進学を考えず、来年もう一度第一志望にトライしてみるのもよいかと思います。本校では近年『早慶』とは言いません。 『慶早』と言っております。」
各大学の指導、研究と連動した「血の通った入試問題」を切に望む。

次回は、「人物本位の二次試験」の問題点について考察する。

<略歴> 藤井 健志(ふじい たけし)
代々木ゼミナール現代文科・小論文科講師。東京大学教育学部教育行政学科卒。
三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)勤務後、河合塾現代文科講師を経て現職。

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